ムダ毛処理というのは男女問わず現代人の身だしなみの一環である。何がムダな毛かというのは色々議論があるところだろうが、おちんちんやおまんまんの毛に対する認識のように、社会や文化や個人によって大きく異なる。これを日本の社会人に限定するならば、ヒゲをムダ毛に含めてしまっても大して問題にはならないだろう。
日本では無精髭という言葉があるように、ヒゲは定期的に剃るのが当たり前になっていて、手入れせずに放置しておくのはだらしない印象がある。だから、たいていの社会人男性は毎朝ヒゲ剃りをして出社をしている。
毎日ヒゲ剃りしている人間なら分かると思うが、剃り残しなくキレイに剃るのは非常に難しい。時間がかかる。安物を使っていた時は適当にそって剃り残しなんて気づきもしなかったのに、道具にこだわればこだわるほど、些細な剃り残しが気になる。
それなのに、ヒゲは十二時間も経てば触って分かるほどじょりじょりと伸びてくる。あれほどキレイに剃ったのに、半日後にはこんにちわだ。なんという徒労だろうか。なんという生命力だろうか。その生命力がなぜ頭髪へいかないのか。世の薄毛男性ならば、この忌々しいヒゲの生命力と頭髪の貧弱さの差について一度ぐらいは考えたことがあるだろう。
なぜ毎日伸びるヒゲを剃らなければいけないのか。毎日毎日ヒゲを剃ってどうなるというのか。ヒゲを溜めたらポイントでももらえるというのか。どれだけ剃っても剃ってもヒゲはすぐにチワッスと顔を出す。なんだこいつは! バカにしているのか! なぜ好きでもないのに毎日顔を合わせなきゃいけない。相手をしなきゃいけない。
ウンコにしてもそうだ。なぜ毎日ブリブリブリブリウンコをしなければいけないのか。それは毎日毎日バクバクバクバクとメシを食うからだ。じゃあなぜメシを食うのか。それは生きるためだ。生きるためにウンコをするのだ。ならば、ヒゲ剃りも同じだ!
我々人間は生きるためにヒゲを剃っているのだ。分かるか? 分かるだろう。理解できるだろう。この当たり前の思考が。そこに人生があるからこそ、ヒゲを剃らなければいけない。ヒゲ剃りとは人生そのものである。
ならば人生とはなにか。それはただただ繰り返すことにある。日常を脱糞を食事をピストン運動をすべて繰り返すことが人生そのものなのだ。分かるか! 繰り返すことが人生なのだから、ヒゲ剃りもまた人生なのだ。
ハゲ。