国とか民族とかに対する、反○○、ってすっごく便利なレッテルだけど、いくつもの位相が混在している気がしていて。
これはダメだよね。「○○人は劣っている」「○○人を追い出さなければ」なんてーのはもう、アウトだよね。このレベルの「反○○」は逝っていい。政治的に死ね。
まあ、商売敵としての節度を守れるのなら、この「反○○」は別にいいんじゃないかな。「○○国の経済が最近伸びているから、シェアを奪われないように××の施策を講じよう」「○○国の軍事力が近年増強されている。わが国もこれに対応して軍事力を強化しよう」ってのは言葉を置き換えてやれば別に普通の企業もやってることでしょ。「反○○」というか「○○に対抗して」だよね。これは別に問題ない。対○○協調主義者からの批判は浴びるだろうけど、それは経営戦略の方向性をめぐる批判であって倫理的な非難じゃない。
○○国政府が表現の自由を奪ってるとか、国内少数民族を弾圧してるとか、戦時中の犯罪について頬かむりしているとか、敵対者を収容所に放り込んでるとか、そういう事例に関しては積極的に「反○○国(政府)」の態度を取るべきだろう。なによりも倫理的要請として。
問題はこの2&3と1をごたまぜにして主張するひとが一定数いることで。○○国政府の人権侵害を糾弾するのと同じ口で○○人への差別発言を撒き散らしたりする連中は、まあその、枚挙に暇がないというか。そういうのはほんとどうしようもないんでさっさと滅んでほしい。