自分にとって不都合なこと(欠点)に気づかないと、自分にとっての本当に可能性(欠点を活かした・うまく回避したうえでの選択)にも気づかないんですよね…。ところが、たいていの人は欠点を突きつけられるのも嫌うし、やっぱり嫌な気分になるし、突きつけられると救いの話ではないかとを過度に恐れる
kanose どれだけ他人のことはわかっても自分にあてはめられないなら意味ないな
乳袋は2次元特有のものだと言い張る人達って、アレかな?そのうち、ブルマや旧型スク水についても2次元特有のものって言い出す人達なのかねぇ…。どっちにも言えることだけど、昭和後期に流行ったものの平成になって現実で普及率が減って、二次元では昔の名残で残ってる感じのものよ…?元は現実よ?
おそらくネトフェミかどっかの間で流行った性的消費議論もそうだけど、「性的」とそうじゃないものなんかきっちりわけられるわけ無いじゃん!人間自体が性的であり、かわいいやキレイには性的なニュアンスを含んでるし、含まれていることを計算した格好をする女性もいるんだから。
脱原発もそうだけど、脱するのにどれぐらいかかるかとか、脱した後にどうするであろうかとかそう言うの無しで「脱原発こそ(割と無条件に、フィクションの世界ではテロなどに訴えかけてでも成し遂げるべき)正義」と思ってる人見かけると「おまえ、大丈夫か」という気持ちになるんだよね。脱原発にしても、フェミ的な「性的消費はダメ」論争にしても僕からしても「無条件にダメなものと無条件にいいものとがくっきりわかれてるほど世の中って単純なのか?また、無条件にダメなものを擁護するほどバカな人間がこの世にそれほどたくさんいるのか?」と思えてしょうがないんですよ…
本当に頭が悪いのか、自分の思ってることを言葉にする能力がないから自分に紋切り型の主張に乗っかってしまうのかは知らないけど、なんでだ?という人を見かけるのが怖い。特に脱原発についてはそれまでは政治色がなかった作品の中に持ち込まれるのがもうおっかない。