しかしケチの中身は、「気持ちがこもってない」とか「本気で思っていないだろう」とか、勝手な感情論ばかり。
言論かつ文章という、誰が見ても意味をとらえ違えようがない形で発表してるのに、感情論でしか批判できないのは、談話を出した安部首相は関係なく、もはや、「こうでなくてはならない」という聞き手、読み手の気持ちの押し付けではないだろうか。
一国の首相がだす談話であるから、当然、それは日本国の過去や現在、そして未来すべてを考慮したものが望ましいだろう。
なのに、マスコミは被害者だと主張する国々の側だけに回り、被害者だと主張する国々の視点でしか談話を見ようとしていない気がする。
被害者だと主張する国々の中には、もう何十年も前に和解し、双方合意の上での賠償金を受け取った国も含まれている。
未来思考を築けないのは、安部首相を攻め続けないと存在意義が否定されてしまうマスコミにあるといっても、もはや過言はないだろう。
私は戦後生まれだ。70年も前に、しかももう互いに和解する条約を交わした当時の事案について、いつまでもグズグズ攻め立てる人たちやマスコミに対し、いいイメージはなく、むしろ怒りすら覚える。
彼らは自分の主張を通して別の目的を達成しようとしているだけのように思える。
マスコミにだって今回の安部首相の70年間談話を批判する自由はある。しかし、公共の電波を使用して伝えるならば、少なくとも談話の具体的箇所をあげて、どう直せば良いのか明示すべきではいか?
「申し訳ない」という文章をみて「申し訳ないという気持ちがこもっていない」と批判するのは、もはや宗教かお笑いでなければ説明がつかないと感じた。
え、でも本気で思ってないでしょ? ブロック経済ガー植民地主義ガーって言い訳がましすぎるし。 結論として自分の考えたスローガンに結びつけるあたり酷いよね。