それは信仰の問題では全くない。あなたがセンスを磨いていないというだけ。もし憧れがあるならば今は簡単に自分のセンスを磨くことができる。方法は外を回って好きなものを写真に撮るというだけです。
センスとは感じるということ。街中のビル群の向こうに赤い夕暮れを見る。それをなんだかいいものと思う人もいるし、そうでない人もいる。写真家や画家は、一面の青空にふわふわと雲が漂っているのが好きだ。なぜかは分からない。後付けで考えるならば、一面に広がる青空に雲が動いていることは、太陽の豊かさ、大気の豊かさ、十分な水を表しているだろうし、それが我々人間にとって命に関わる大事であることに疑いはない。おそらくそういう経緯で人は物事に好きと嫌いを感じ取る。しかし、重要なことはまず自分が感じるということが先にあって、根拠が先にあるのではないということだ。宇宙や太陽、大気について人類が知ったのは人類の歴史から見れば最近のことであって、その昔の人類は全くの知識なく生きていたのである。重要なのは好き嫌いであって、その好き嫌いが淘汰されるという形で現代に残っているのかもしれない。
私達は私達のことについてほとんど知らない。全く知らない初めての食べ物を食べる時は気後れがするし、もし舐めてみて不味かったり苦かったりしたら、それは危険かもしれない。あるいはそうでないかもしらない。細かいことは分からないし五感が全能であるわけもない。しかし、その中で私達は身体全身によって生きている。
どうかわかってください。人間の精神は身体抜きに考えることはできないのです。また我々は何が身体にとって良いのか悪いのかについても未だわからないのです。少なくとも視覚的な美(最も私達が見るに値するもの)ですら完成してはいません。
科学などのロジックは人間の主観的な感性を排することによってその能力を先鋭化させていきます。一方、文章から察するにあなたに豊かな感受性があることを私は疑いません。先も言ったように、外を歩いて周りいいと思ったものを写真に集めて回るだけでも少しずつあなたの心は開かれてくるでしょう。
勧誘の仕方がどこの宗教だよってくらいうさんくさくて全能感に満ち溢れてるわ写真撮るとそうイキっちゃうのか