ニコ生で、将棋電王戦リベンジマッチ・菅井竜也五段 vs 習甦を見た。
対局開始である13時よりもずいぶんと早い、12時15分過ぎには対局室に入り、正座のまま目を閉じて精神を整える菅井。
表情は「こんな張り詰め方では、とてもこの先十数時間も持たないのでは」と思えるような厳しいもの。
封じ手なし(=中断なし)で双方持ち時間8時間という、無謀とも思える対局条件で始まったこの将棋は、13時の開始から17時、22時、3時、7時に計4回、1時間ずつの休憩が設けられている。
昼食休憩や夕食休憩ならいざ知らず、「早朝休憩」や「朝食休憩」などという言葉を目にしたのは初めてだ。
序盤、持ち時間8時間とは思えないハイペースで指し続けた菅井は、しかし習甦の74手目△1二玉を見て大長考に沈む。
攻め合いの中、一見脈絡もないようなタイミングでスッと自分の王様を逃がす、人間にはひと目浮かびにくい妙手だ。
夜食休憩開け直後に指された相手のこの手に対し、2時間半の考慮でじっと対抗するような応手を返した時点で、時刻は日付をまたいで1時半。
そこからは一手一手、先手の菅井ばかりが時間を使い続ける展開に。
この頃からいわゆるボヤキや、自分に活を入れるようなひとり言が増えだす。
中盤から終盤にかけての難解な局面が続く中、数十手を過ぎても形勢は互角のまま。
が、ミスをしない、恐れを知らない、疲れを知らないコンピュータに対し、有限の肉体を持つ人間がついていける地点には限界がある。
どの地点が限界かは未だ示されていないし、その一端を示すのがこの戦いの意義でもあるわけだが、それでもどこかに必ず限界はある。
長時間に渡り驚異的な均衡を保ち続けたこの将棋も、5時、夜が完全に明けた頃には、評価値がマイナス500とはっきりと先手不利を示す形勢に変わっていた。
永遠に無くならないと思われた菅井の持ち時間は30分を切り、一方で相手の習甦は3時間弱を余している。
見ているだけの視聴者すら疲労がピークに達し、コメントもほとんど無くなりかけていたその最終盤手前から、しかし菅井は、彼自身が対局前にPVの中で話していた「120%」の境地に至り始める。
うなり、頭をかきむしり、太ももを己の拳で何度も音がするほど殴りつけながら手を読む。
当然の一手でもこまめに時間を使ってくる習甦に対し、盤に駒を叩きつけるようなノータイム指しを連発するたび、徐々に差が縮まっていく評価値。
銀をタダ捨てして相手の馬を払いにいった107手目▲4五銀からは流れが明確に変わる気配がし、ついに評価値は先手プラスにまで傾く。
しかし局面が最終盤を迎える中、菅井の持ち時間もまた逼迫していた。
残り10分を切ってからは時計の数字が赤く点灯し、秒数のカウントダウンが始まる。
次の7時の休憩にまでたどり着ければ、1時間の猶予と休息が得られるが、持ち時間を見ても局面を見ても、そこまで勝負が続くか――続けられるかはぎりぎりのところ。
6時52分、菅井が8時間を使い切り、ついに1分将棋に突入する。
後手には一手でも余裕ができれば勝負を決めきるだけの持ち駒がある。
頭を抱え、一手一手顔をくしゃくしゃに歪ませながら指し続ける菅井。
呼吸のできないような長い長いカウントダウンの末、ついに時計の針は7時を示した。
前回休憩時には「おそらくたどり着けないだろう」と見られていた最後の休憩に、たどり着いた。
見ているほうが泣き出しそうになるような極限の進行の中、体力も精神力も、とうに本人の言う120%の領域に達している。
7時と同時に席を外す菅井。
ここで少しでも横になれれば、あるいは……と誰もが考える中で、果たして彼は盤の前に戻ってきた。2分と間を置かずに。
それから8時の対局再開までその場を動かず、前傾姿勢で盤上に没頭し続けた。
終局は8時30分。
静かに彼は駒台に手を置いた。