先日日経夕刊に「白菜とキャベツとレタスの区別がつかない大人」「魚の区別がつかない大人」が載ってた。
「嘆かわしい」と言うトーンの記事で、例によって「食育で教育」的内容にまとまってた。
しかし、例えば戦前の人は、ちゃんと食材を見分けられる人が果たして多数なのか?
食材レパートリーが豊富になったのは戦後、というか高度成長後。
(所得が増えた、スーパーで物流が豊かになった、冷蔵技術が発達したから。)
一方、戦前はある意味「地産地消」で、遠隔地の農作物の種類を覚える必要はなかった。
戦前、海無し県である長野県在住の大人が知ってる「海産物の種類」は、海有り県の大人が知ってる海産物種類数の5~10分の1ではないか?
多分、戦前の長野県人はマグロもカツオもブリもサンマも区別付かない。豊橋からまとめて「ちくわ」でやってくるだけ
逆に、長野県の「りんご」「そば」「わさび」など、戦前の宮崎辺りの人は知ってたかどうか疑問
食材種類数が、日本の歴史上かつてない程に「インフレ」化してる、だからある程度は覚えられなくても仕方ない、というスタンスは、日経は取れないのか?
あと、戦前だと「牛乳を飲んだことがない」人が人口の半分程度占めてたのでは?
チーズとかバターとかヨーグルトとか、そもそもそういう言葉を知らない日本人が戦前は半分以上だったのでは?
雑穀類、粟とかヒエとか、今の日本人は区別がつかない(そもそも見たことがない)が、戦前の日本人はちゃんと区別ついてたんだろうなあ