今日、仕事を休んだ。9時始業なのでもう皆働いているだろう。私がいないことは影響がないだろうと判っているけれど、ちょっとでもいたほうがよかった、と思えることがあればいいのに。
地方のIT関連企業……そう、たしかにIT関連だな。そこでへっぽこSEとして12年働いてきた。ここにきていろいろ心が疲れることが多くなってきた。結局、どんな仕事でも最後は金の話だ。給料も含めて。自分自身を経営すると考えたらすこしでも高く売るのが正解だろう。しかし地方では売り先も少ない。愚痴。コンピュータが好きだったのだけれどそんなのは最後の話でそれまでに延々金の話が続く。そこを解決してやっとコンピュータの話だ。最近はそれもちょっと変わって、大手がとってきたのが回ってくるだけになった。それだって一番安くした協力会社が選ばれる(?)だけのことだ。顧客からしたら大手と取引したつもりだろうが、実際は10年前と変わらず、地場のうちがやっている。なるほど。
そう思うと、先が見えなくなった。去年くらいから、1年後どうなってるか、3年後、5年後、10年もっと未来。どんどん暗くなる。ああ、光なんてないな、と思う。せめて技術的に興奮なり納得なりがあればいいが、そんなものはない。あいにくと。
いま、この瞬間に誰かがガンダムをつくってるのだろうと思うと涙が止まらなかった。それが日曜。仕事があるだけまし、という状況はいともたやすく人を消耗品に変える。1人が生き残るために大勢が消費される。そんな話があふれている。生き残ったやつが、正義を語り、自分を守る。死んだ奴らは運が悪かった、自己責任、そういう時代だ、などと自分以外の責任にする。責任の値段が重すぎる現代は、責任を取らないのが正解となる。逃げられなかった奴が責任を取る。理由なんてなんとでもなる。言ってしまえばそれが理由になって、責任は個人に変換される。そして人が死に、人が生き残る。生き残ったやつらは別に死んだ奴らの責任なんて感じない。もう死者が多すぎて背負ってしまうと、せっかく生き残ったのに死んでしまうから。
たぶん、みんな肌感覚で生き残れる限界数を解っていて、いまそれを越えていて、だから殺さなないと死んでしまう状態なのだと知っているのだ。もうこれ以上この船には乗れない。生き残るためには海に突き落とすしかない。落ちた奴は自己責任。全員が押しているのだから悪いのは自分じゃない。自分だってそうしないと落ちてしまうんだ。俺だって被害者だ。この小さな船に乗せた奴が悪い。これに乗るしかなかった状況を作った奴が悪い。
ああ、そんなことを休みに書く。「黒子のバスケ」事件の意見陳述書を読んだ。頭のいい人なんだとわかる。そして私がこうして休んだのも、この一文をしたためたのも、彼の意見陳述書が契機の一つだと告白する。可能なら出所した彼と少しでも話をしたいと望んでいる。どんな人格なのか興味があるのだ。自分より優秀な人が、どんな不運にあったのか。そう単に自分は運が良かっただけなのだ、と確認したいのだ。まちがっても頑張ってなどいないのだと確信したいのだ。
笑いながら。
まるで、ポエトリー・リーディングのように響いてきた。 以前もらったCDの節回しのように聞こえてきた。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm16706246 私も元派遣SE。今は死なないように去って逃げ...