今、日本には1兆3,000億円ぐらいのバイオ市場があります。これは人口当たりにしますと米国より多いんですけれども、内容を見てみますと、その8割ぐらいがライセンスイン、あるいは輸入ということになります。日本は、見事にバイオの世界では張り子の虎になってしまいました。どういうことかというと、日本のバイオ産業の人たちが、1980年代の第一期バイオ研究開発競争のときに、この技術をプロセス技術だと認識したわけです。ところが米国は、もう1980年からバイ・ドール法を成立させて、これからの国際競争は知的財産だということを認識しておりました。バイオにおいてもこれはIP(知的所有権=Intellectual Property Rights)のゲームだということを認識していたということになります。
例えば1980年に日本の企業25社が遺伝子組み換え技術でアルファーインターフェロンをつくっておりました。ところが今、日本の市場で組み換えアルファインターフェロンを売っているのはたった2社。米国のシェーリングプラウ社とスイスのホフマン・ラ・ロシュ社、この2社です。彼らは物質特許を持っている。ですから日本の企業はどんなに安くつくろうと市場から駆逐されていったわけです。
日本のバイオ産業が20年間を無駄にしたのはどういうことかというと、IPの競争だということを認識しなかった。安く、納期に間に合って品質が良ければ勝てると思ってしまったんです。これは、ゲームのルールの設定に関与できない、極東の一小国としてのいつもの悲哀ですけれども、米国が国際ルールのグランドルールを変えるときには、必ずそれを認識して早めに対応しないと常に負けてしまうということです。日本の特許庁がこれに対応できるようになったのは1994年からです。ですから15年近く私たちは違うゲームをやってしまったんです。米国は、大きなグランドルールをデザインをしながら国際競争の質を変えてきたんですけれども、日本は15年間そこを無視してしまった。そこに大きなポイントがあります。
日本の医薬品業界でもやっとこの失敗がわかってきたのですけど、バイオ機器業界みたいな弱小業界にこれを理解する人間がいるかどうかです。