でも僕にはそれが幸せかわからない。皮膚感覚、実感としてわからないんだ。経験がないことだから。
それにもういい大人なんだし、社会が是とするものを是と言うしかない。
努力をしていた時期もあった。でも一向に片方向なままだった。テレビみたいに。
双方向でマルチメディアなインターネッツになりたかったが、それは叶わなかった。だからわからない。
しかしいまこの状況でその知り合いの嫁にこの話をしたらどうなるだろう?
彼女はまるで、自己否定されたように感じるだろう。そう、いま彼女らが僕にしていることと同じように。
リア充はふつうに生きて暮らしているだけで、非リアの存在を否定している。
もし僕が努力をしていた時期に努力が実って双方向になっていたら、非リアの気持ちなんてわからないだろう。
もし彼女らが努力をしても実らずに非リアになっていたら、リア充の気持ちなんてわからないだろう。
僕がしたいけどできないことを、あいつはしたくもないのにできていたりするんだ。
イジけていたければイジけていればいいし、イジけていてはダメだと思うなら行動すればいい。ただそれだけだ。
人には、進歩できることとできないことがある。
I can (not) advance.
人は平等ではない。
がんばったって必ず報われる保障なんてない。
がんばりもせずに報われる人もいる。
がんばったことによって報われる人もいる。
がんばりすぎて死ぬ人もいる。
ただそれだけだ。
それがこの世界です。
0~999の範囲の数値をつくる乱数発生器があって、生まれながらにして人は数値を与えられる。
そして皆、"平等"に、「数値を1000にする努力をせよ」と強制されるのだ。
数値をくれるクイズで1問目と2問目が5ポイントだったのに、最終問題が100ポイントだったりするんだ。
そういった、いろんなこの世の事実を見て
何を感じ、何をするのか。
その時どきに於いて、希望に見えるものに向かっていくことしかできない。
いま現在に希望に見えるものが未来永劫に亘って希望であり続ける保証はなく、実際にかつて希望だったものが絶望に変わる実例もたくさん見ているけれども、
そのように決定しなければ死に至る病に冒されるだけ。
ならば決めよう。その先に何があろうとも
その人生を変えてみせよう