2012-12-09

友人が結婚をする。

知り合いの結婚を見届けるのはもう5組目くらいか

幸せそうだから、おめでとう。と言う。

でも僕にはそれが幸せかわからない。皮膚感覚、実感としてわからないんだ。経験がないことだから

でも幸せそう、うれしそうに見えるから、おめでとう。と言う。

それにもういい大人なんだし、社会が是とするものを是と言うしかない。

努力をしていた時期もあった。でも一向に片方向なままだった。テレビみたいに。

双方向でマルチメディアインターネッツになりたかったが、それは叶わなかった。だからからない。

しかしいまこの状況でその知り合いの嫁にこの話をしたらどうなるだろう?

彼女はまるで、自己否定されたように感じるだろう。そう、いま彼女らが僕にしていることと同じように。

リア充と非リアは永遠に相容れない。

リア充ふつうに生きて暮らしているだけで、非リアの存在を否定している。

911テロリストもこんなこと感じてたんだろうなって思う。

もし僕が努力をしていた時期に努力が実って双方向になっていたら、非リアの気持ちなんてわからないだろう。

もし彼女らが努力をしても実らずに非リアになっていたら、リア充の気持ちなんてわからないだろう。

自分と、他人と、したいことと、できることって残酷だね。

僕がしたいけどできないことを、あいつはしたくもないのにできていたりするんだ。

イジけていたければイジけていればいいし、イジけていてはダメだと思うなら行動すればいい。ただそれだけだ。

人には、進歩できることとできないことがある。

I can (not) advance.

人は平等ではない。

がんばったって必ず報われる保障なんてない。

がんばりもせずに報われる人もいる。

がんばったことによって報われる人もいる。

がんばりすぎて死ぬ人もいる。

ただそれだけだ。

それがこの世界です。

0~999の範囲の数値をつくる乱数発生器があって、生まれながらにして人は数値を与えられる。

そして皆、"平等"に、「数値を1000にする努力をせよ」と強制されるのだ。

たまにバグって数字が急に増えたり減ったりするんだ。

数値をくれるクイズで1問目と2問目が5ポイントだったのに、最終問題が100ポイントだったりするんだ。

そういった、いろんなこの世の事実を見て

何を感じ、何をするのか。

事実から絶望希望も見出すことができる。

その時どきに於いて希望に見えるものに向かっていくことしかできない。

いま現在希望に見えるもの未来永劫に亘って希望であり続ける保証はなく、実際にかつて希望だったもの絶望に変わる実例もたくさん見ているけれども、

そのように決定しなければ死に至る病に冒されるだけ。

人生はいつも私に選択を迫る。

私にはそれがたまらなく嫌なのだ

ならば決めよう。その先に何があろうとも

その人生を変えてみせよう

私にはこの生き方しかできない。

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