2012-07-21

プロレスお笑いいじめ

プロレスという興行がある。

スポーツ風なんだけど、オリンピックの種目ではレスリングであり、プロレススポーツではなく、スポーツの技をおもしろおかしアレンジして、敵と味方に分かれて、戦いをショーアップする何かだ。

当然、子供はそれを真似るわけで、技をかけあってみたり、どちらかがあらかじめ勝利するストーリーを描いて、お互いに演じあったりもする。

あえていうと、成熟したプロレスファンは、プロレスでは死者やけが人がでないこと、興行は連日続くので、善玉も悪玉も安全かつ翌日も興行できるようにお互いに配慮し合っていることを暗黙の了解とした上で、プロレスを楽しんでいる。

プロレスに熟知した子供もそうかもしれない。

熟すほどにプロレス精通していない子供が真似したらどうだろう。

最近テレビ放映も少ないので、そんな真似する子供も激減したかもしれないが、お約束を理解していない相手に力を誇示するためにプロレス技を使ったら、きっといじめに近いものになるのではないだろうか。

あと、わざとけんかのようなことをする人はいると思う。当事者たちの間では、一種のプロレスであって、周りを面白がらせるためにあえて遊んでいる人。炎上屋といえばいいのでしょうか。

ネットの表層的な部分で発言している人の中にもいるだろうし、人前では複数人でわざといじめのような状態を楽しみ、当事者しかいないときに本音を話す。

そんな衆目を集めるための行動も部外者がかかわろうとしたときお約束が通じない状態を体験して、いじめのような状態になってしまう。

続いてテレビで気軽に見ることができる娯楽のひとつお笑いについて。

笑いをとるときには、何か触媒必要になる。

うっかりした勘違いを笑いに変換することもあれば、貧乏やだらしなさや見てくれを笑いに変換することもある。

あと、ことば遊びもそれになりうる。

笑いと不愉快は紙一重で、不愉快に近づくほど笑いの効果も大きくなる。

プロレスで死人やけが人がでない程度に激しく技を繰り出すのと同じく、訴えられたり消されない程度にきわどいことを触媒にして、笑いを構成するほうがより、お笑い芸人として面白いという評価が得られるはずだ。

しかしながら、お笑いにも構成作家がいて、面白さを増幅するストーリーを描き、批判を受けないようにネタを確認したり、許可を取っていたりする。

ラジオ落語家さんが、このテーマ20分で新作落語を考えてくださいと無茶をいわれていたときは、本当に切羽詰まった様子で、できた落語もそんなに面白くなかった。

高度なお笑い番組ほど、何人もの構成作家がバックに控えていて、より多くのリハーサルを行いつつも、何度も練習した様子を見せずに質の高いお笑いを作るものだ。

今のテレビで、許可もなくシロウトをドッキリにかけることはあり得ないし、放送できない。

一見、シロウトが笑われているようでもプロ劇団員や名の知れないお笑い芸人の卵がシロウトのフリをしている。

子供お笑いの真似をすると、構成作家創作もなく、リハーサルもなく、責任者のチェックもなく、お笑いの良くない部分が全開となった状態で、笑いが作られる。確かに笑いは取れるが、負の側面が多すぎるお笑いができあがってしまうのだ。

誰かを傷付けたり、失言であったり、暴言だったりする。お約束が守られていないお笑いも、いじめに近いものになってしまうのではないだろうか。

華やかな舞台活躍する人たちは、人知れず練習しているし、ずっと舞台に立ち続けるための配慮があるということを断固として子供たちに教えたい。

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