単純であるとは、全てが一つになっている状態
複雑であるとは、全てが分離している状態
差別ではなく区別、と誰かは言い訳するが、実は言っていることは同じ。
何かを分けるとそこに優劣や好き嫌いを考えたくなるのが人間。
だから、元々一つであったものを二つに分けると、今度はその二つのどちらが優れているか、どちらが正しいものか、決めたくなる。
それが差別。人類は一つであるのに、人種という概念を作ってしまった。人種という概念を作ると、そのうちのどれが優れていてどれが劣っているかを決めたくなる。
さらに、人種を民族に分けるとさらなる差別が生じる。この民族は劣っているから支配すべき、この民族は優れているから他の民族を自分達に組み入れる権利を持つと勘違いする。
戦争は国家というシステムがなければ起きない。さらに言うなら、グループという存在が起きない。このグループというのは人々を二つ以上の集団に分けたもの。すなわち人間を分離させたところに原因がある。
分けるという考えは恐ろしいほどに人類社会の全てに渡って行き渡っている。
これに気づくと、あれとこれと分けるのではなく、あれもこれもと全てを一つに統合することが平和への道であることに気づく。
もちろん、これは人類だけに当てはまることではない。
動物や植物、あらゆる生き物と自分は同じである、一つであると気づくと恐れが消えていく。
恐れ、恐怖とは、自分と繋がっていないものと対峙したときに感じる気持ちだからだ。
あらゆる生物は一つであると気づくと、恐れがなくなる。繋がっているという感覚が安心をもたらすからだ。
さらに先を進めば、あらゆる無機物、一般には生物ではないとされるものも自分と同一である。
これは別にオカルトではない。全てが一つという考え方を進めていけば、
生物と無生物という境界は無意味になり、一つにしてしまっても何も問題はないからだ。
目の前にあるパソコンも包丁も壁も家も水も雲も空も土も山も、地球も太陽も銀河系も宇宙も、全てを一つにすることが出来る。
全てが一つになれば、恐れがなくなる。恐れが消えていく。恐れる必要がなくなる。
だから、ものごとを複雑に考えすぎる人というのは恐れのかたまりであるとも言える。
一般にものごとを複雑に考えるのは大人である。大人は「世の中は単純じゃない」が口癖で、複雑なものを好み、単純なものは子ども騙しだと笑う。
そう、一般的に言えばものごとを単純にとらえるのは子どもだ。子どもは大人よりずっと自由で、恐れが少なく、一瞬一瞬輝いているように見える。
ほとんどの人が気づいていることだが、幸せになるには子どもの気持ちに戻ればいいのである。
子どもの気持ちとはすなわち、すべてを一つに統合すること、ものごとを単純に考えるということ。
世の中が幸せで満ちる方法は簡単だったということだ。それは、分離、区別、差別、複雑、をやめて、シンプルに考えシンプルに生きること。