はてなキーワード: トーキング・ヘッズとは
うどんから蛙が話題ですが、果たしてうどんをG・Eで🐸に出来るのでしょうか?
小麦粉は既に生命ですがうどんになってしまった小麦粉はある意味で死体なわけです。
生命にG・Eを使って変化させるのは確か無理だったはず。
ブチャラティの例を考えると、死せる小麦が生命エネルギーによりゾンビ小麦となるだけで🐸にならないのではという説が有力です。
前置きはこれぐらいにし、何故G・Eが🐸化戦法を辞めたのかの話をしましょう。
序盤においては必殺とも言える戦法として成立しており、涙目のルカは完全にこれで再起不能(リタイア)しております。
相手の攻撃を半自動的に全反射するという最強の能力は一部の完全自立型スタンド以外には無敵の強さを持ちます。
極論を言えばボスが相手であっても全員が全身を🐸でコーティングしていれば攻撃を一方的に反射し初見勝利さえ出来たのです。
というか反撃を受ける本体が存在しないタイプの自立型であっても、ノトーリアスBIGのような完全無敵型以外であれば反撃によるダメージで行動不能に陥ってくれればそれだけで反撃のチャンスは無限に広がってしまいます。
そうでなくてもG・Eは無敵に近く「ジョルノが助けに来れなかったので」は他の仲間を活躍させるための重要なエクスキューズとして作中のかなり多くに広がっております。
こういった話題でよく上がるのがパープル・ヘイズですが、あちらはあくまでも「超火力が高い」であり相手とステゴロの距離まで接近する必要があります。
対して🐸は完全な能力バトル的対話拒否🙅を可能にしており、トーキング・ヘッズのような精神面への攻撃以外は全てが実質的に無効化されます。
もしも全員が常に🐸アーマーで覆っていればあらゆる名バウトが崩壊します。
ペッシの釣り針は勝手に本人に戻ってきますし、老化は🐸を通して本体に🐸の数だけ倍加された速度で襲ってきます。
🐸の仕組みによってはグリーンデイさえも高低差を超えて自動反射されてしまうかも。
なので🐸化戦法は封印されたのです。
ジョジョという作品は緻密な頭脳バトルが売りとされていますが、実際にはかなりライブ感よりな作品です。
超自然的な現象に対して人間が必死に対抗措置を取ろうとした時、それが自然と頭脳バトルの様相を呈するでしょう?
そのため理屈っぽい部分は数あれど、完全に世界がロジックで動いてるわけではない。
超自然的な現象が超自然的でありながらも何らかの法則に基づいていて動いている様子を、人間が必死に解明してそこにルールを見出しているだけなのです。
なので「凄み」で解決できるときもあるわけでして、ジョジョを緻密なロジックバトルだと勘違いしているとこの辺の理解がバグるんですよね。
私も学生の時にこの罠に一度落ちました。
でもここを勘違いしていると読み味を見落としてしまうんですよ。
だから「強すぎるから🐸は使えなくなった」をそのまま許せるぐらいの寛容さを皆にも持って欲しい。
繊細すぎるとジョジョは楽しみにくいです。
ホラー映画なので。
ホラー映画も当然、繊細すぎる人には向いてないですね。