2023-09-05

子育ての正解

長年周囲の家庭を見ていて気づいたことがある。

それは大切に育てられた長男というのは多くの場合無能なチー牛に育つということだ。もっと正確に言うならば、「生きる能力に欠けた男性」と言ったところか。

大切に育てられた男は、ありとあらゆる生活の術を他人に頼っていたために、自分では何も決められない存在に育つ。家事も下手、時間管理も下手、優柔不断で、他人にばかり甘えたがる(自分に甘えられるのは嫌う)。

当たり前だ。何もしなくても、両親が決めて甲斐甲斐しく世話をしてくれたのだから自分で何も決める必要がないし、家事時間管理他人任せだから無能なチー牛が完成する。

そして、それは多くの場合長男に発生しやすい。両親にとって最初の子供だから、うっかり甘やかしすぎてしまうのだ。

こういう男は、大抵の場合「優しい長男」と評されるが、実際のところそうではない。自分では何も決められないし、決断コストを背負う勇気もなければ、他人対立する能力もないために争いを避けているだけだ。悪い意味で卑屈なのである世間で言うチー牛の特徴である

つまるところ、男に対する教育というのはある程度スパルタであることがちょうどいいということだ。間違ったことをすれば引っ叩く、なんでも自分やらせる、こうした教育を施してきた家庭のほうが、最終的には親子関係もよく、快活で性格のいい大人に仕上がっている。

一方で、女性に対する教育の正解はこれではない。

女の子場合は、同じようにスパルタで育てると言われたことを何でもしてしまう、悪い意味で男に従順存在が出来上がってしまう傾向がある。

そのため、最終的には悪いモラハラ男、パワハラ男に捕まってしまい、不幸な結婚生活に陥ってしまいがちである

女の子を育てる場合は、なるべく若いうちからよりよいものを与えてあげる家庭のほうがうまくいっている。審美眼を身につけ、真贋を自分判断できるようにする能力を養うことが肝要だ。

高級なホテル、一流のレストランで本物の所作を観察することで、下手な男の危険性を察知する能力が身につく。パワハラ男、モラハラ男の危うさというのは、こうした所作にこそ現れやすい場面だからだ。

そしてもちろん、こうした審美眼を身につけることは、前述の「無能なチー牛」からアプローチを避け、不要リスクを負う危険回避もつながる。

家事時間管理について言えば、女性場合はそれほど問題にはならない。女性生来まれ持っての観察眼の鋭さ、そして女性にのみ発生する化粧や生理といったルーティンが、そうした社会性を否応なしに身につけさせるためである

女性において社会性に欠ける人間ほとんど見ないのは、まさしくこれが理由である

  • 長男って最初に生まれた子供って意味じゃないぞ

  • 異性への関心をそういうふうにしか示せないのって、よくないよ?

  • これ真逆の皮肉に読めない人は現実見えてなさそう。

  • 少子化で大切に育てられたチー牛長男増える→チー牛は子孫を残せない→少子化さらに加速 ってならない?

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