2021-11-24

第3賞 芸無

前回 https://anond.hatelabo.jp/20211124015201#tb

絵心がなければ、絵の道は行き詰まる。

音感リズム感もなければ、音の道は行き詰まる。

文才も想像力もなければ、筆の道は行き詰まる。

反射神経も動体視力もなければ、ゲームを遊ぶことさえ行き詰まる。

分析力も資料作成能力もなければ、RPGさえ行き詰まる。

プログラミングは、書けば動く。

コピペして、繋いで、くり抜いて、入れ込んで、数字を弄り、エラーコードに従えば、そのうち形になる。

広がりだしたインターネットの海が見せる可能性、巷に溢れる比較的できの良い教材たち、才能のない者たちでさえ「なれるよ」と道を示される。

善意でその道は敷き詰められていた。

ゲーム研究会は2種類の人種に別れていた。

ゲームをひたすらやり続ける暇人オタク

市販ゲーム分析してそれっぽいコピーを作って楽しむゲーム製作をするオタク

この両者である

共通言語はどちらもオタクコンテンツであった。

とはいえ最近ゲーム漫画の話ができればなんとなく流れには乗れた。

しろ流行りのドラマだったり音楽だったりに対して今で言う『リア充』のような匂いを感じてアレルギーを感じているだけの偏食者の集いだったのだろう。

私はその中で、少しずつプログラムを学んでいった。

プログラムコピペして動かすだけなら簡単だった。

何かを作りたいと思って手持ちのコードを組み合わせようとしだすと途端にその闇の深さが見えた。

それでも、漠然と「これが将来の自分仕事になる」と思っていた私は必死ゲームを作ろうともがき続けた。

1年目の文化祭ゲームは間に合わなかった。

2年目の文化祭ゲームは間に合わなかった。

3年目の文化祭ゲームは間に合わなかった。

エスカレーターで上がった高校に上がってそっちではプログラム部という名前になっていたゲーム研究会に入った。

4年目、流石に間に合った。

間に合ったが、先輩の作ったゲームコードを弄って、他のゲームから持ってきた要素を組み込んだだけのバッタもんだった。

なぜ4年もかけてこんなことになったのか?

答えは明白だ。

途中からゲームを作ろうという気持ちが折れて、ゲームをやるだけの人になっていたからだ。

ゲームをやり続ければゲーム理解できるようになる。

それは正しかった。

当たり判定のプログラミング自分で書いてからは当たり判定が見えるようになっていた。

これやると多分バグるなと思って試してみて実際にバグったのを見て「手抜きだな」と呆れたりもした。

そういったことが出来たからと行って、それが自分ゲームづくりには活かせなかった。

努力の才能と、努力以外の才能、その両方が恐らく足りなかったのだろう。

「俺にゲーム作りは無理だ……」

受験勉強があるから高校1年の文化祭プログラム部を辞めた。

それから、空いた時間インターネットが滑り込んできた。

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