2021-09-30

漫画『飛べないツバサ』を見て欲しい。

先日、Ciiさんが漫画『飛べないツバサ』を公開した。

https://www.youtube.com/watch?v=H4uezAsjKkw

Ciiさんは絵描きであり、アニメーション作家だ。

アニメーションを作るために、専用のソフトまで作ってしまエンジニアでもある。

「そこまでできる人、世界にどれだけいるの?」って人材だ。

そのCiiさんが今度は漫画を作った。

当然、ただの漫画ではない。

Ciiさんは今回も新しいソフトを作り、これまでの漫画の枠を超えた新しい表現に挑戦していた。

ただ残念なことに、その表現本来の形で読める環境は普及しておらず、

『飛べないツバサ』は漫画撮影し、YouTubeにアップする形で公開された。

そのせいか作品凄さに対しいまいち再生されていない。

今回は作品、Ciiさんの凄さもっと色んな人に知って欲しいと願い、文章を書く。

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『飛べないツバサ』は左から右へとページが進んでゆく短編漫画だ。

どこか遠い異世界、翼の生えた少女がいる。

少女の翼は不完全で、それは空を飛べるものではない。

逃げる少女を捉えようと、軍人達が追っている。

少女は必至で走るが、やがては崖に追い詰められる。

逡巡。

意を決し、少女は崖から空へと走り飛ぶ。

一瞬、ふわりと体が浮く…。

が、重力に囚われ、少女は地面へと落下を開始する。

すると、これまで右へ右へと進んでいた漫画のページが、落下に合わせ下へと下へと進むようになる。

落下する少女断崖絶壁をナメるように、ページを縦に何枚もつなげたような長さで、1コマが下へと伸びる。

漫画を下へ下へとスクロールしてゆくと、こんどは漫画の1コマコマ連続してパラパラ漫画のように動き始める。

崖を落ちながら、必死で飛び上がろうとする少女静止画連続し、生き生きとしたアニメーションで動き始めるのだ。

『飛べないツバサ』はキャラクタの移動にあわせて読む方向が変わり、見せ場のシーンではキャラクターが文字通り動き出す漫画だったのだ。

読んでいて嬉しくなった。

ただフォーマットを崩すだけでなく、それが新しい表現になっている!

紙面の制約の中で効果的に伝えるように、漫画は様々なテクニックが使われている。

例えば、ページの進行方向に合わせた視線誘導などが代表的だ。

自分漫画を描くので、そうしたテクニック自然と身に着いていった。

しかし、ただのテクニックだったはずなのに、自分漫画テクニックに縛られるようになっていった。

過去作を読み返せば、登場人物はたいてい左に向いて走っているし、芝居は前後コマフキダシに誘導するようなポーズになっている。

最近ではスマホで読む人が増えたので、見開きは描かないようになった。

しかし考えてみれば、登場人物が右に走ればページも右に進めば良いし、左に走ればページも左に進んだっていい。

一ページごとに用紙の大きさも変えていいし、なんなら一部をアニメーションにしたっていい。

表現とは、本来それくらい自由ものではないか

はいっても、「紙の本で出版をしたい」「雑誌掲載したい」などの下心があるなら、フォーマットを崩すことは難しい

自主制作でやるにしても、漫画家の多くは、その発想を実現する手段を持たない。

『飛べないツバサ』という作品で、Ciiさんは鮮やかに壁を飛び越えてみせた。

漫画縦横無尽に進み、コマの大きさはページを超え、連続したコマが繋がってアニメーションになる。

フォーマットを超えた自由な発想をし、発想を実現させるソフトを作り、それでもって新しい漫画を作り上げた。

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昔、アニメーションを作っていた頃、Ciiさんは自分の中でヒーローだった。

自分アニメーションというフォーマットの中で、他との差異を作るのに一生懸命になっていたのに、Ciiさんはアニメーション作画工程のものから問い直し、新しいソフト自分で作り、制作環境から変えてしまタイプ作家だった。

発想の大きさに痺れ、自分理想とする作家の姿に感じた。

(もちろん面識は無く、勝手ファン心理だが…)

漫画家になり、アニメーションを描かなくなり、Ciiさんの名前を見る機会も減った。

そんな自分の目の前に、Ciiさんは新しい発想とソフトをひっさげてふたたび現れた。

「相変わらず格好良いな」「この人にはかなわないな」と感じた。

本当はCiiさんは『飛べないツバサ』の少女のように、地ベタを這いずるように、もがきながら作るタイプ作家なのかもしれない。

しか自分幻視してしまう。

Ciiさんは遠く高い空を自由気ままに羽ばたいている。

その姿は昔から変わらず、まぶしく、格好良く、そして自由だ。

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