お父さんが死んだのは中学生の頃で、今大学生をやっている私にとって何年も前の話になる。
でも正直、もう誰と一緒にいてもご飯食べてもお泊まりしても、遊んでも。
どこか満たされない、帰る場所が無い虚無感、寂しい、そして欠けているって気持ちが今もずっと心にある。
長年の時を経てもジメジメしてる私のこんな思いは、相談するにも馬鹿馬鹿しいから、ここに吐き出してしまおうと思った。
関東のちょっとした郊外に生まれて、家族4人で借りた一軒家で9年余り過ごしていた。父は鬱病で、母は専業主婦。
ケンカも耐えなかったけど、それに父は機嫌が悪くなると物に当たってすごく怖かったけれど。家族皆で富士山の麓でお団子を食べたり、江ノ島に行って展望台に登ったり、ファミレスで皆でチーズフォンデュを食べたり、パパが写真を撮って、私が笑う。クリスマスにはサンタが今どこにいるのか中継するってテレビを見ながら、お母さんの作ったシチューとタンドリーチキンを皆で食べたりした。
部屋の中は温かくて…だから私は今でも冬の匂いでこの光景を思い出せる、
幸せだったな……
この数年間の幸せな思いで、私は生涯生きていけると思う。
そんな日々は長くは続かなくて、お父さんは鬱病が悪化し、ケンカの耐えなかった母は、私が小学校高学年のとき、身の危険を感じて私と妹を連れて田舎の実家に飛んだ。
家族が離れ離れになる寂しさもあったけど、お父さんは時々ここまで会いに来てくれたから良かった。話し合いを重ね、私が高校生になるときにまた一緒に関東で暮らすことになった。私はそんな話を聞きながらファミレスの大きなステーキを食べてたのを覚えてる。いつも美味しいご飯のそばには家族があった。
が、
突然、父は帰らぬ人となった。
父1人で数年間過ごしていたため、睡眠や食事が不規則で不健康になったのだろう。脳梗塞で、しかも発見は死後三日後だったという。腐敗が進んでいたため、私は最期眠った父の顔を見ることは出来なかった。
最後、そばにいられたら…、苦しい思いをしたのかな、最後に会った時、これから一緒に暮らすって約束したじゃん、
そして今だに、動いてない父の飼い猫のトプ画のTwitterアカウントを見て、ちゃんと生きていた、動いていたって確認してしまうのです。
そして、
もう私には完全に帰る場所が無くなったのだと…帰りたい場所は過去にあるんだと、もう帰りたい、家族に甘えたくても、手に入らないんだと
そんなどこか欠けてるような諦めがふとした時に思い出されるのです。
それは例えば友達の家に遊びに行った時。家具や小物から両親から大事に育てられて、帰ったら両親がいる。そんな幸せがどうしても羨ましくも妬ましく思ってしまう。私とは違う、私はこれにはなれないって。
そんな私は大学受験を頑張って再び関東に帰ってきた。もう帰る場所はないよって思い知らされるのが嫌でまだ思い出の地を訪れ、そして過去と決別する勇気が出ない。
高校の楽しかった思い出とか側からどんどん忘れていってしまう。
どうしたら過去を忘れられるのだろうか。どうしたら決別できる、どうしたら幸せになれる………
これではいけない、今から死にものぐるいで母と父の分まで幸せを掴むんだと、必死で勉強してお金も貯めているが、ふと後ろを振り返ったときに思い出してしまう欠落感…。寒い日にふとファミレスの窓から見えてしまう家族のあの光景…
何もかも吐き出してちょっとスッキリしました。最近朝にならないと眠れてないので今から寝ようと思います。
おやすみなさい。よい一日を。