2019-07-22

未だ混乱の中

ハルヒが3話辺りまで放映された頃、友人に強く勧められて見始めた。深夜アニメはよく観ていたけど、ラノベ原作ハーレム物だと思っていて(まぁ完全に間違いでもないが)避けてた。そして視聴してすぐどハマリ

近所に住んでいたので、よくあの待ち合わせ場所で友人と罰金!などと言い合ったり。

エンドレスエイトSNS(あの頃はmixi)で知らん人と議論して盛り上がったなぁ。今は批判ばかりだけれど私はリアルタイムループ感を感じられて割と気に入ってた。

就活で切羽詰まってたときには消失を観て励まされた。ちなみに京アニ一般事務で応募したけどかすりもせず…万が一ここで入ってた今どうなってたんだろうと少し思う。

働いてしばらくアニメから離れていたけどFree!第一報のキャラの後ろ姿を見ただけで夢中になった。京アニ女性向けを作ってくれる!という興奮、今も覚えている。

1話から、なんて綺麗に水の質感を描くのだろうと惚れ惚れしたし、なんと言っても筋肉造形が…京アニありがとうって何度思ったか

旅行計画だけ綿密に立てていて結局仕事が立て込んでいて行けなかった岩美町気持ちがもう少し落ち着いたら行こう。

仕事が大変なとき産後鬱になりかけていたときありがちな言葉だけど救われたことが何回もあった。辞めてしまっていた創作Free!に触発されて再開した。

聲の形はそういえば妊娠中に観に行った。良い胎教になったと思う。

つらつら書き出してみて、女子高生母親にになるまで、ずっと側に京アニ作品があったと思い知る。

今は心が抉られ、ニュースを見かけるたび手先が冷える。放火被害者描写ミスミソウ連想してしまった。

アンナチュラルでも火災被害者の検死をするシーンがあった。

無駄感受性が強く感化されやすいので、深く考えないようにしても、あんな、考え得る限り最も辛い亡くなり方をされた方々の苦しみを思ってしまう。

本当に貴重な人材が、とか、Free!の続編が、とかも辛いけれど、何よりも、私の人生の一端を彩ってくれた作品を産み出してくれた方々が、名前を存じ上げている方々が、そんな目に合ったことに耐えられない。

どんなに悼んでも偲んでも祈ってもその人たちの苦しみは現実だ。

しかっただろう、痛かっただろう、熱かっただろう、訳が分からなかっただろう、悔しかっただろう、怖かっただろう、絶対絶対にこんなところでこんな目に合わされていいはずなかった、こんな悪意に曝されていいはずなかった。

亡くなった方はもしかしたら私と同じように小さな子どもを持つお母さんだったかもしれない、みんな誰かの大切な人だった。


気持ちのやりどころがない。

Free!映画を何度も観て支援しようと思うけれど、スタッフロールに耐えられるだろうか。そもそも絵を見るだけで、この絵を描いた方は今生きているのかと、そんな気持ちが湧き上がってきて、苦しい。

子連れアニメイトに行きにくいので、ダウンロード販売だけちまちまと購入している。

毎晩寝ようとすると事件のことがワーッと思い返されて泣いてしまってほとんど寝れず、ぼんやりしている。

事件から日経って少し落ち着いてきて、ふと笑って会話しているときなどに、あんなに苦しんだ人たちがいるのに私は笑って生きている…と申し訳ない、でもないけれど、どうしようもない気持ちになる。

負けないでとか、そんなこともまだ言えない。

こうして吐き出すことでほんの少しでも気持ちが整理されたような気はする。

でも、この悲しみが薄れていくことすら辛い。

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