先週(10月23日)、衆議院議員選挙が行われた。日本国民の義務として、私ももちろん参加したが、昔の選挙と違い、今の選挙って惰性みたいなものなのかもしれないなあとぼんやり思う。
記憶は朧気だけれども、一人の独裁者ではなく国民の総意を決めるために、投票によって議員という国民の意見を取りまとめる人間を決め、みんなが納得する政治を行おうとするというのが、選挙の目的だったように思う。
けれど今日本では議員の25%程が世襲だといわれているように、その「国民の代表」という議員の立場のあり方が、いまいち大衆の納得のいくものではなくなっている。
愛知7区問題とかその典型だよね。二人のからどちらかしか落とせないというシステムにより無効票が続出して、山尾志桜里議員が当選することになったようだし。
で、なんでそういうことになったのかと考えると、やっぱり戦後ずっと続けてきた選挙システムが「民主主義」を作り出すのに適当ではなくなっているんじゃないかな、と思わずにはいられない。ちょっと軽く3つ挙げてみると
1:議員数が定数
一票の格差問題で480→465議席になったが、議員数を人口比ではなく定数にしていること
議員が小選挙区の地盤を固定することから、地盤を引き継ぎやすいこと。
最初から支持者がいる地盤のほうが圧倒的に有利なため、世襲議員は個人の資質を図りづらい。
政治の在り方として、各地域の意見を取りまとめる議員が、似たような考えを持つ人を集めて政党を形成して意見を煮詰めていくのが民主主義の理想像だと思っているのだけれども、
現在それって逆になっているよね?私の気のせいならそれはそれでいいけれど…。
選挙の目的はあくまでも「代表としてふさわしい個人」を決めるものだと思えるのだが、政党間のいざこざがあれば面倒だからと個人ではなく政党名で入れることが多いように思う。
正直個人で入れる場合など、芸能人などよほど有名な人のみのように思う。
そういう明らかなものがない場合、消去法で学歴詐称だの不倫だの行っている議員に入れざるを得ないことは少なくとも私はすごく悔しいなあ、と思ってしまう。
選挙は仕組み的にだれかに絶対投票せざるを得ないため、こいつ個人についてはあまり信用してないけれど、政党的には入れざるをえない…。みたいなことがよく起こる気がする。
若者の投票率が低い、ということが言われて久しいですが、選挙というシステム自体も古くさいものになっているので、かつては民衆の代弁を行うためになされてきた「選挙」ということ自体が信用できないものになっているんじゃないかなー。と思っている。
結局このシステムの見直しを行うのも議員様なのだろうし、自分らに優位なものである以上変わることはないのだろうけれど、こういうことが腐敗を招くのではないだろうか。
あとこれは選挙自体というよりも選挙に参加する際のめんどくささですが、ネット投票かせめて電子投票が行えるようにしてほしいと思います。せっかくのマイナンバー制度もほとんど利用されていないし、時間外は時間が決まってるし、選挙当日に行っても結構待たなければならないので面倒くさいことこの上ないです。お偉いさん、ちょっとは考えてみてほしいなあ。