2017-08-01

https://anond.hatelabo.jp/20170801125319

社会の最下層に自動的に名づけられるもの、という定義は、少し乱暴な気がする。

昨日、キモおっさん自称する増田がいたが、まったくキモく感じなかった。

キモ要素を除けば比較シンプル経済的弱者問題になり、罵りコミュニティであるはてな界隈ですら罵り合い要素などが減少するはずで、

例えば、キモくて金のないオバハンとはむしろ共闘関係が結べておかしくないのだが、キモおっさんは「いざとなればウレるくせに」と牙をむく。

エマ・ワトソン的なものへの憎悪の仕方も「お前はキモおっさんを選ばないくせに」というセクハラ混じりの悪態になる。

この辺が、「キモ」の発生源でありやっかいさがある。性的社会階層というか。

社会的階層の最下層である定義するには、キモくて金のないおっさんの3要素の意味を改めて考えてみる必要があると思う。

 キモくて=性的弱者

 金がない=経済的弱者

 おっさん=可塑度・取り返しのつかない度

と、上記のようにに素因数分解し、其々の戦闘力を合計15点(各点5点ずつ。高いほど残念)と設定、

合計10点程度のおっさんAとおっさんBを、仮に勝手に作ってみる。これは架空おっさんである

 A キモ5(MAXキモイ)/金無し3/年齢2=合計10点、

 B キモ2(キモ度低) /金無し5/年齢3=合計10点、

このおっさんAとおっさんのBについて、それぞれ勝手想像してみる。仮定架空おっさんなので許して。

すると、Aのおっさんのほうが深い問題を持っていそうな感じがしないだろうか。

金の無さが最下層でもキモさがマシであると、やっかいさが無さそうだし可塑性が高そうに見えたりしないだろうか。

増田は、「キモ」が、キモおっさん問題要諦なのではという仮説を立てた。

個人的には、コミュニケーション不全力、それから弱者男性自己定義する割には過剰なプライド存在が「キモ」の源泉じゃないかと思っている。

放っておいてくれというスタンスおっさんは「キモおっさん」じゃなくて、「金ないおっさん」なので、ジャンルが違う(シンプル経済弱者)としてもいいぐらいなのかもしれない。

ちなみに、本増田は、断言はしないが、容姿については「キモくて金ないおっさん問題」のあまり多くを占めていないのではと考えている。

見た目に難があっても性格が魅力的とかそれなりに稼いでるなどのプラス要素によって平穏な家庭を持ってる人は少なくないし、

自称キモおっさんたちの意見を読んでいると、おそらく彼らが手に入れたいだろう「旧来的なごく普通家族」において

夫・父がイケメン、というのは、彼ら自身にとっては必要条件ではないと考えているのではと思ったので。

女性サイドがイケメン要素を求めてくるから悪いんだ!という怒り方をしている意見があるのが、逆説的だが証左になるのではと思う。

自らイケメンでありたいというよりも、市場要請で仕方なくイケメンを頂点としたヒエラルキーの最下層に閉じ込められたと考えている一群がありそうなので。

したがって、容姿については、キモ・金・おっさんのどれかの改善カバー可能な従属的要素だと考えている。

もちろん十分条件しては欠かせないのだろうが、それが「キモくて金ないおっさん状態を解消・軽減するための必要条件ではないというか。

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