2013-01-21

体罰を容認せよ」の正しさ

ストレス耐性というものがる

内外からもたらされるストレス(要は刺激、ある変化を要求するもの)による悪影響を、軽減する仕組みの事だ

ここで主張する

体罰による自殺いじめ社会進出後の早期離職などはすべて、このストレス耐性の低下によるものだ」と

何も難しいことを述べるつもりはない

児童と成人を例に出す

両者に同じ恐怖・苦痛刺激(殺人現場、大きな音、誰かが殺しに来る状況、親から暴力等々)を与えるとする

すると、成人に比べて児童はより強いショック・ストレスを受け、精神の安定を崩すこととなる

児童ストレスに対する耐性が比較的備わっていないため、より強く影響を受けることを示している

では、ストレス耐性はどのように備わるのだろうか

生命学習、もしくは破壊再生を繰り返すという性質をもつ

  >例えば筋肉破壊された筋繊維を補強することでより強い耐久性と力が備わる

  >例えば勉強;ある行動(正しい読み書き・自発的勉強)をした後に良い刺激(報酬=報償・食物・達成感)が生じると、行動が増加する

同様に、不快な刺激に対しても人間対処能力を身につけていく

怒鳴られた時に身を固くして我慢する事をはじめとして、反論・交渉や逃避・知性化などの対処法の確立まで多岐にわたる

それらは繰り返すことでより効果を上昇させていき、社会で生きていくうえで十分な能力社会進出までに獲得する

例えば親兄妹との関係で、例えば学校友達との関係で、例えば教師との関係で、例えばバイト先の人間関係能力を獲得する

しかし、近年においては各段階(中学や高校、大学社会進出時)で必要ストレス耐性や対処能力が獲得されていないと考えられる

それが良いかいかは別の議論であるとして、ストレス対処能力獲得の面でいえば旧来のしつけや体罰許容の環境の方がよく育った

以前は全体主義で、子供意見封殺され殴られ、耐える事を推奨されさえしたが

それは同時に”耐えるべきストレス”が常に存在していたということだ

いかえれば、常に筋トレをしているのと同義であった

スパルタ式と表現しても良いだろう

もちろん、それに耐えられない子供はその環境精神に異常をきたすか、自殺をしていただろう

ある意味子供時代に選別を受けていると考えてもいいだろう

対して、現代では逆になっていると考えられる

耐えるべきストレスは親の手によって排除され、教師はストレスを与えず、生徒同士は互いに個人同士で正面切ったけんかをしなくなった

この環境では”耐えるべきストレス”は極力取り除かれ、言い換えれば筋トレされていない状態である

そうすればストレス耐性は育たずに過ごすこととなる

もし、社会全体がストレスの全くない、争いすらない世界であればこの状態でも良かっただろう

もちろん現実にはそうではない

ここで問題なのは、その個人が持っているストレス耐性を大幅に超えるストレスを、環境の変化とともに与えられる可能性だ

例えば学校会社

学校側・会社側としては、「この年齢であるのだから、多少の叱りや暴力、居残りや残業負担責任を与えても耐えるだろう」と考える

しかし、そこに至るまでに十分にストレス耐性を獲得していない個人は、あっという間に打ちのめされてしま

さながら、ストレス耐性の低い児童と同様に

そして、精神うつなどの変調が生じたり、自殺を思い立ったりする

この場合ストレス耐性がない個人が悪いのか、今までの教育担当者(親・教師、社会)が悪いのか

親が子供を殴ったり言葉で何か言えば虐待と言われ、教師が殴ったり叱ったりすれば体罰であると言われ

個々人はそのような中で、どのようにして自らのストレス耐性を獲得すればよいのだろうか

ストレスを与えなければ育たないストレス耐性であるが、与え方を誤れば自殺を誘発する

  • なげえから要約するね。 社会で必要とされているのは殴られて「痛い」じゃなく「ありがとうございます!」と言える人材だ! だから子供は殴って育てろ! こんな感じかな。

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