はてなキーワード: アイデンティティとは
BBCラジオインタビュー:キャス博士に訊く、キャス・レビューついて。
https://www.jegma.jp/entry/CassReview-BBC
女性司会者:英国の18歳未満を対象としたジェンダー・アイデンティティ・医療サービスに関する報告書(レビュー)によると、医学的介入に関する調査不足と著しく弱いエビデンスに失望させられているといいます。小児科医ヒラリー・キャスの報告書は、こうも語っています。専門家たちは、彼女がジェンダーに関する議論の有毒性と呼ぶもののために、自分たちの意見をオープンに議論することを恐れてきた、と。
男性インタビュアー:待ちに待った、子どものジェンダー医療に関するキャスの報告書の結論は、医学界に響き渡るシンプルで手厳しい一文を含んでいます。ほとんどの若者にとって、医学的な治療法はジェンダーに関連した苦痛に対処する最良の方法ではないと、ヒラリー・キャス博士は述べているのです。
インタビュアー:思春期ブロッカーが安全に使用できるという証拠はありますか?
キャス博士:いいえ、今のところ、使用しても絶対に安全だという十分な証拠はありません。
思春期ブロッカーは、思春期が早すぎるという全く別の症状の子供や、ある種の癌を患う大人にも使われています。しかし、これは思春期を抑制するという新しい使用法です。ブロッカーが脳の発達に長期的にどのような影響を与えるかは分かっていません、というのも思春期には脳の発達が急速に進むからです。
また、ブロッカーがジェンダーや性心理の発達の軌跡を変えてしまうかどうかも分かっていないのです。
インタビュアー:医学の世界では、未知のものが一つの分野で大量に使用されるというのは標準的なことなのでしょうか?
キャス博士:研究チームは臨床試験から始めましたが、臨床試験結果が出る前に日常的な処方に移行し、さらに幅広い若年層に処方するようになった時点で、エビデンスから逸脱しました。
リベラルはナショナリズムを危険視して、それは保守的な考えから生まれるんだと批判するけど、そもそもナショナリズムが生まれたのは何故かっていう歴史的背景を見るとおかしな事になる
個人の自由や権利を求めて、封建制や絶対君主制に対する反発から国民国家という概念が生まれて、それによって個人はアイデンティティの行き場がなくなったから、国民という共通の仲間意識をし始めて、それが行き着いた先がナショナリズムなわけ
つまりさ、ナショナリズムというのはリベラルから生まれたわけで、封建制や絶対君主制のような保守的な考えから生まれたわけではないんだよな
そして、常日頃言われるのが、そもそも現代の保守を名乗ってる人たちの多くは昔の保守とは違い、古い価値観や伝統を守ることには全く無関心で(口では言うけど、実際に田舎に住んで伝統を守ってる人なんているのかね?)日本スゲーというナショナリズムでしかないわけ
となると、現代はリベラルとリベラルが争ってるだけというのが正しい見方だと思うんだよな
他にもおかしいのが、封建制や絶対君主制が独裁制と同一視されてるようにも見える
封建制や絶対君主制って、歴史的にみても、調整的なトップであって、絶対的な権力ではないんだよな
責任取らされるというか
まだまだ歴史に疎いんだけど、ルネサンス、産業革命、国民国家、植民地化、この辺の流れがめっちゃ怪しく感じる
人間が神とか宗教に対する認識を改めだして、人間中心主義みたいなのとか、科学を信奉し出して、傲慢になったというか
Chat gptにその辺、尋ねると
総じて言えば、ルネサンスは神の否定というよりも、既存の宗教的・文化的な枠組みを再評価し、人間の理性や個人の価値を強調する動きでした。神や宗教が完全に否定されたわけではなく、新しい視点や解釈が生まれた時期と言えます。
なんて言ってるけど、再評価ってのはなんか違うくないか?明らか、別物になってる気がするんだよな
まあ、こうなる前に十字軍の敗北による宗教的な権威の失墜とか、聖書には出てこない南北アメリカ大陸の発見とか、そういうのがあって、既存の価値観との整合性が取れない疑問が出てきたんだろうけどさ、インディアンに対して人を人と思わない行いをしたのは聖書に書かれてないから、だから古い価値観がダメなんだみたいな事なんだろうけど、それ、責任転嫁だよな
それで結局、近代化できない国を近代化してやるんだみたいな傲慢な考えから植民地化していくわけだが、何を反省したんだ?これってなるわけで
資本主義やリベラル的なものの表面の綺麗事と、奥底にある人間のドス黒い何かの乖離が凄すぎるんだよなあ
でも、過去の責任を全く取らない、反省しない、敵を外に作る、これらの当事者意識ができてないというか何というか
歪だよね
そして、ChatGPTに色々尋ねてみたので共有する
他国を植民地化する方法には、以下のような主な手段があります。
- 軍事力を用いて他国を侵略し、支配下に置く方法です。侵略軍は現地の軍事力を打ち破り、その地を占領します。
- 経済的な影響力を用いて他国を支配する方法です。例えば、貿易や投資を通じて他国の経済を支配し、その国の政策や決定に影響を与えることができます。
3. **文化的影響**:
- 自国の文化や宗教を広めることで、他国の文化や価値観を変える方法です。これにより、現地の人々が植民地支配者の文化や制度を受け入れるようになります。
4. **政治的操縦**:
- 他国の政治的な内部対立や混乱を利用し、自国に有利な政府や指導者を設置する方法です。この方法では、間接的に他国を支配します。
5. **外交的圧力**:
- 条約や協定を通じて他国に有利な条件を押し付ける方法です。これには、経済制裁や政治的圧力をかけることが含まれます。
これらの方法は単独で用いられることもあれば、複数の手段を組み合わせて用いることもあります。また、植民地化の具体的な方法やプロセスは、時代や地域、具体的な状況により異なります。
歴史上、さまざまな国が異なる方法で植民地化されてきました。以下に代表的な例と、それぞれの植民地化に用いられた方法を紹介します。
- **経済的支配**:東インド会社が貿易を通じてインドに影響力を広げ、徐々に領土を拡大していきました。
- **軍事力の行使**:1757年のプラッシーの戦いなどで軍事力を用いてインド各地を制圧。
- **政治的操縦**:現地のマハラジャ(王)やナワーブ(地方の統治者)との同盟や対立を利用して支配を拡大。
2. **アフリカの大部分(19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ諸国による植民地化)**
- **軍事力の行使**:ヨーロッパ諸国(フランス、イギリス、ドイツ、ベルギーなど)がアフリカの土地を軍事力で制圧。
- **外交的圧力**:1884-1885年のベルリン会議で、アフリカ分割のルールが決められ、ヨーロッパ諸国が相互に合意して植民地を分け合った。
3. **フィリピン(スペインおよびアメリカによる植民地化)**
- **軍事力の行使**:スペインは16世紀に軍事力でフィリピンを征服し、支配を確立。
- **文化的影響**:カトリック教を広めることで文化的支配を強化。
- **政治的操縦**:現地の支配層を利用し、間接的に支配。
- **軍事力の行使**:1830年にフランスがアルジェリアを侵攻し、その後長期間にわたる戦闘を経て植民地化。
- **経済的支配**:農地の収奪や現地経済の再編を通じて支配を強化。
- **軍事力の行使**:1895年の下関条約により、日清戦争後に台湾が日本に割譲され、日本の軍事力が支配を確立。
- **経済的支配**:インフラ整備や産業振興を通じて経済的な支配を強化。
これらの例からわかるように、植民地化の方法は軍事力、経済的支配、政治的操縦、文化的影響、そして外交的圧力など、多様な手段が組み合わさって行われることが多いです。具体的な手段やその組み合わせは、それぞれの時代や地域の状況によって異なります。
清(清朝、中国)は形式的には完全な植民地にはならなかったものの、19世紀から20世紀初頭にかけて、複数の列強国から経済的、政治的な影響を強く受けました。この過程で、いくつかの重要な事件や条約がありました。以下に主な事例を挙げます。
1. **アヘン戦争(1840-1842、1856-1860)**
- イギリスとのアヘン戦争に敗北し、南京条約(1842年)や天津条約(1858年)、北京条約(1860年)などの不平等条約を結ばされました。これにより、香港が割譲され、広州、上海、福州、寧波、厦門などの港が開港され、外国人が商業活動を行うことが許可されました。
- 清朝は19世紀後半から20世紀初頭にかけて、列強国(イギリス、フランス、ドイツ、日本、ロシアなど)により、経済的・軍事的な「勢力圏」に分割されました。これにより、列強は特定の地域で独自の権益を持ち、鉄道や鉱山の開発権を取得しました。
- 義和団の乱に際し、八カ国連合軍(日本、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリー)が北京を占領。これにより、清朝は1901年に辛丑条約を結び、多額の賠償金を支払い、列強にさらなる経済的譲歩を強いられました。
4. **日本の台頭**
- 日清戦争(1894-1895)の結果、下関条約によって台湾が日本に割譲され、朝鮮が独立しました。また、日露戦争(1904-1905)の後、南満州の影響力が日本に渡りました。
5. **租界の設置**
- 上海や天津などの都市に設置された租界は、列強の法的支配下にあり、事実上、外国の植民地のように機能していました。
これらの事例から、清朝は正式な植民地にはならなかったものの、列強による半植民地状態に置かれたと言えます。清朝はこれらの列強による干渉や支配を受け、国家主権が大きく損なわれました。最終的には、1911年の辛亥革命によって清朝は滅亡し、中華民国が成立しました。
資本主義社会が植民地化を進めた背景には、いくつかの要因がありますが、その結果は確かに多くの国や地域にとって恐ろしいものでした。以下に、その理由と影響を説明します。
### 背景と要因
- 資本主義社会では、企業や国家が利益を追求するために、新しい市場や資源を求めて海外進出を図りました。植民地化は、これらの経済的利益を確保するための手段として用いられました。
2. **産業革命の影響**:
- 19世紀の産業革命により、ヨーロッパ諸国は高度な工業技術と生産力を持つようになりました。これにより、製品を販売する市場と原材料を供給する植民地が必要とされました。
- ヨーロッパ諸国間の競争が植民地獲得を促進しました。国家の威信や国力を示すために、多くの国が植民地を競って獲得しようとしました。
### 植民地化の恐ろしさ
1. **暴力と抑圧**:
- 植民地化はしばしば軍事力によって行われ、現地の住民は暴力や抑圧にさらされました。これにより、多くの人々が命を失い、生活が破壊されました。
- 植民地は資源の供給地として利用され、現地の経済は植民地宗主国の利益に従属させられました。これにより、現地の経済発展は阻害され、多くの人々が貧困に苦しむことになりました。
- 植民地支配は現地の文化や伝統を破壊し、宗教や教育を含む社会構造を変えてしまうことがありました。これにより、現地のアイデンティティが損なわれることも多かったです。
4. **社会的分断**:
- 植民地支配者は、しばしば「分割統治」政策を用い、現地の民族や部族間の対立を利用して支配を強化しました。これにより、現地社会の分断が深まり、後の紛争の原因となることもありました。
資本主義社会がもたらした進歩や経済発展の一方で、植民地化という形での負の側面は無視できません。多くの人々や国々がその過程で苦しみ、長期にわたる影響を受けました。
資本主義自体が恐ろしいものかどうかは一概には言えませんが、その制度の下での利益追求が、倫理や人道に反する行動を正当化することがあったのは確かです。したがって、現代においては、経済発展と人権尊重のバランスを取ることが重要視されるようになっています。
・上流階級の人々が、ほとんどコストをかけずに主張することでステータスを獲得できるような信念
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
変更案→不快な言動をとられたことにより精神的な苦痛を被ったことに対する賠償を求めて、ジャイアン側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案②:スネ夫の自慢話を聞かされたのび太が悔しがってスネ夫に報復を行う
変更案→自身の行動を模倣されアイデンティティを毀損されたことに対する賠償を求めて、スネ夫側がのび太に損害賠償請求を行う
検討事案③:しずかちゃんのお風呂を覗いたのび太がお湯をぶっかけられてトホホな被害者ヅラをする
変更案→自身の裸体を性的搾取されたことに対する賠償を求めて、しずかちゃん側がのび太に損害賠償請求を行う
言ってみれば弱男のチー牛だからこうなるのか。
ひどいね令和。
ブックマークコメントという形で全世界に意見を発信しておきながら、反論されたら削除申請という形で反対意見を黙殺するなんてダサすぎねえ?
誹謗中傷された訳でもないのに。
「うえええ~ん。ドラえも~ん。ジャイアンに正論で殴られてくやし~よ~。なんとかしてよ~」
ってドラエもんに泣きつくのび太も同然じゃん。
ドラエもんの世界ならのび太は小学生だから保護者同然のロボットに泣きつくのも仕方がないけどね。
でも、いい年した大人が、
別増田だが、ワイも強制力がないと生活のリズムが作れなくて、強制で何かをしていないと頭がごちゃごちゃしちゃって負のループに入るタイプだけど、
仕事の忙しさでリズムを作ってそれに乗り続けると、ある日突然にエネルギー切れが来るから、そこは自覚的な方がええど
それから、増田みたいな仕事をしてる方が楽タイプはスキル『金と仕事に困らない』は、得ることができると思うんよ。ワイもそうだしね
ただ、金と仕事に困らなくても、強制力がないとリズムが作れなくて頭がごちゃごちゃしちゃうタイプは、何かを極めたり、高給を貰える組織のボスになるのって、なかなか難しいんよ
世の中はどんどん高齢化しているから、高給で器用貧乏がテキトーかます限界が何歳で来るのかは不明だが(とりあえず40代ではないみたい)、
なんらかの理由で、かなりお給与妥協しないといけない時も来るかもしれんのよ
その時に金を稼げるだけが自分の軸だと、学年1位だったのが俺のアイデンティティだった学歴厨みたいに、簡単に折れちゃうのよ
人の目に映る自分を見なければいけない。そうでなければ、自分というのは虚無になるから。
日常の中で、僕はいつも他人の視線を意識している。仕事場での同僚の評価、友人たちの言葉の裏にある感情、そして通りすがりの見知らぬ人々の一瞬の視線。これら全てが、自分自身を形成する一部になっているのだ。鏡に映る自分の姿だけでは不十分であり、他者の目を通して初めて自分という存在が確立される。
他者の評価に頼ることで、僕は安心感を得る。承認されることで、自分の価値を確認する。だけど、その一方で他者の期待に応えようと無理をしてしまうこともある。自分が本当に望んでいることや、自分の考えがどんどん薄れていく感覚に襲われるのだ。自分自身を見失い、他人の目に映る理想像を演じ続けることに疲弊してしまう。
社会の中で生きていく以上、他者との関係は避けられない。しかし、それに溺れてしまうと、いつの間にか自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなる。自分自身を見つめ直す時間を持つことが大切だと思う。静かな場所で、他人の目を気にせずに、自分の心の声を聞く。それが、自己を取り戻すための第一歩なのだろう。
しかし、現実はそう簡単ではない。他者の目を意識しないで生きることは難しい。人間は社会的な生き物であり、孤立することはできないからだ。結局のところ、他者の目に映る自分と、本当の自分とのバランスを保つことが求められるのだろう。
それでも、そのバランスを保つことは容易ではない。他者の期待に応え続けるうちに、自己の本質が徐々に薄れ、やがて消えてしまうかもしれない。そうしていつの間にか、自分自身というもの、アイデンティティは社会に霧散して二度と帰ってこなくなる。
ビジネス上の役職とか仕事のロールではなく、部下や上司という役柄とアイデンティティが一体化してるため、上司に言いづらいとか、仕事に関係なくてもヘコヘコしてるというか
労働者の人権を労働者自身が軽視していて、民主主義を勘違いしているアホの国なだけ
オタクって昔からずっとコレやってるんだけどさ、いい加減そういう形で自分を着飾って褒め合うのダサイから辞めたほうがいいよ。
トラペジウムみたいなニッチな作品でやってる分にはまだいいかもって気はしてたんだけどさ、アイカツやプリキュアにまで乗り込んでいって「子供向け作品の奥に宿る素晴らしい価値を見出す俺の凄さ」とかやってるキモさと比べればさ。
でも最近の褒め方は本当に気持ち悪くて、やっぱコイツらのやってることはどこで何に対してやった所でありえないぐらいダサイことなんだなと感じたわけよ。
何がどうダサイかってさ、結局のところオタクは「この作品の凄さが分かる俺」を騙りたいだけでしかないってこと。
一見すると語ってるはずの作品の良さなんてのは、本当は自分の凄さを引き出すための触媒ぐらいにしか思ってないわけよ。
よくよく見てくと「この作品のこんな所に気づく俺凄いなー」とか「こういうのが分かる俺の感受性って豊かだなー」しか言ってないわけ。
たとえば歪んだラーメンオタクはラーメンの美味さを語っているように見せて「この有益情報を広めている俺って本当に偉いな」にしか興味がなくなっていくわけだけど、トラペジウムの褒められ方は本当にそういった類のムーブばかりなんだよ。
なんでそんなになんでもかんでも自分のアイデンティティ確立のための手段へと貶められるんだろうね。
誰もが「この作品の面白さを理解し、こうして言語化してみせる俺のオタク教養の高さたるや」とナルシスってばかりいる。
ゲームを勝ち負けを通して自分の凄さを証明するための手段だと思いこんだり、アニメに対して痛いレビューを書きまくって自分の見識を自慢したりしてさ。
ちょっと変な所があるゲームをやたらとクソゲー扱いしてこき下ろして陰湿なオタク同士の中で人気物になろうとしてたこともあったな。
でも成長した今ならわかる。
ダサイんだよ。
自分という人間は凄いんだぞって必死にアピールしたいなら、自分の身一つでやるのが関の山だろ。
なんで他人が時間や情熱を注ぎ込んで作り上げたものを、赤の他人のお前がしょーもない自意識を満たすための小道具として持ち出してんだよ。
本当にダッセーよ。
そのダサさに早く気づいて欲しい。
人生の傷口が広がりすぎないうちに気づいてもらいたい。
「田舎における車とは"ラクダ"のことだ」と誰かが言ってたけど、本当にそうなんだろうなと思う。
砂漠におけるラクダのように、それを与えられることが一人前の人間の証でありアイデンティティの拠り所にもなるという話。
逆に言えば車がないと何をするにも保護者や大人の伺いを立てなければならず、自由が全くないということ。
都会だと車に対するそういう感覚はない(繰り返すがいい悪いの話ではない)。都市計画としてもいかに集積して賑わいを作り出すかという議論がされるしね。
もうほんと嫌っていうか下心みえみえのおべっかだから気持ち悪い
とか、
「さすが増田さん!聞いてよかったです〜〜✨✨」
みたいなこと言いまくる。
「前職でこういう経験あるって聞いた気がするんですけど分かりますか〜?」
とか無理やり質問してこちらに喋らせて、自語りさせて気持ちよくさせてあげた〜とでも言いたげに悦に入ってる。
無理やり趣味の話させようとするのもほんと嫌、めんどくさい
下心見え見えなんだよ
「子育てってお金かかるんですよね〜(チラチラ)、給料上がるように頑張らないとな〜(チラチラ)」
「沖縄旅行とか行きたいけどお金かかるしな〜(チラチラ)役職ついてからかな〜(チラチラ)」
すげえ疲れる
報連相を勘違いしてんのか、日報のごとく「共有です!」「報告です!」と私あれやりました!これもやりました!恐れ入ります!
みたいな感じで自分の言いたいこと、相談したいことで30分くらい電話につきあわされる。
報告だの共有だの言ってるけどこっちは「で?」でしかない話しかない。
上司として判断が必要な箇所が何も無い。もともとやる予定だったことをやっただけ。
見てて思うけど他人に自分の仕事内容を言いまくって「私は言いましたからね!みんなの耳に入れましたからね!これで何かあっても私だけの責任じゃないです!聞いてて何も言わなかったみんなも悪いんです!」みたいなアリバイ作りをしたいのが見え見え。
さすがに必要以上に他人を巻き込むな、自分の仕事に責任を持て、都合よく他人を保険に使うな、保険の先は上司たる私と私の上司だけだっていう話をしたけどたぶん効果はない。
みんなちゃんと業務を共有しないとか言って怒っている。周囲は関係ない業務の話を聞かされたり、業務カレンダー見れば済むその日のスケジュールの報告を求められて都度「スケジュールに入れてありますけど…」って言いながら返している。
そして時短でも一生懸命頑張るママの私!というアイデンティティのアピールも絶対に忘れない。
自分に都合よくするための言動行動だけ、別にそれは構わんけどもっと賢くばれないようにやれよ、下心が見え見えなんだよ。
「子ども連れてきてもいいんならフルタイムできるんですけどお〜🥺🥺」とか言い出したときはさすがに「じゃあ介護が必要な家族がいる人もご家族連れて来て仕事しながら介助ができるようにしましょうか?平均年齢40超えなので育児よりも介護に直面してる従業員のほうが多いと思いますし。どう思いますか?」って聞いたら黙った。