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はてなキーワード: 河原町とは

2024-06-04

で、実際のとこ川崎はどういう街なのか問題その2

anond:20240604184316 から続き

やっぱり川崎ってやべーのでは

既に書いたが流動性高いのである生活費が安く済むし行政サービスも平均以上で悪くないので住み続けるのもできるが、住んでて死ぬまで川崎に閉じこもるのかと言われたら、普通に市外に就職もするし遊びに行く。免許取っちゃえばお台場に30分、ディズニーランドに1時間弱、丹沢バーベキューに行って川に流されたっていい。川崎基本的企業城下町として発展してきた町でありその意味地方都市的な性格が大きいが、一方で電車に飛び乗れば20分で銀座に着くお手軽ベッドタウンでもある。「流される」ことは多々あるだろうが「腐る」ことはない。

腐らないけど早死にする人もいなくはない

川崎ヤバイネタ定番はJFE、かつての日本鋼管だった。日本鋼管に勤めてる人は給料が良かったので川崎一戸建てを建てる人も多かったが、その家の当主は家を建ててすぐ死んでしまうというので「命と金の交換会社」と呼ばれていた。鉄粉石炭粉塵舞う口上をマスクもせず働いてたそうなので。そんなJFEの製鉄も終了であるヤバいネタはどんどん消えていく。

とはいえ性犯罪に巻き込まれ可能性はある

中学時代といえば、地下街アゼリア新星堂で「八神くんの家庭の事情」のイメージアルバムを購入して店を出たところでスーツ姿の中年オッサンに声をかけられ、お茶に誘われた。声かけて即座に太ももを撫でてきて、ちんこまでちょいちょい触れてきたので当然のごとく誘いを断ったが、当時はあれが性的意味だとちゃん理解してなかったのでちょっとヤバかった。

トンチキな格好をしてる人がいるが、歩いてるだけ

上記痴漢は平均的サラリーマン姿のおじさんであり、そういう人のがヤバいのだろう。一方で川崎駅前をトンチキな格好の人が歩いてることがあるが、基本、歩いてるだけである

川崎駅前危険というわけでもない

アゼリア地下街のど真ん中で痴漢というと凄く治安が悪いと思われるかもしれないが、当時、駅前ゲーセンで遊び倒していてトラブルに巻き込まれたことは皆無であるゲーセンでヤバそうに見えるのは川崎から離れた産業道路近くのラウンドワンとかベネクス、あるいは今はとっくに潰れてる町内の小さいゲーセンとかは雰囲気がヤバげではあったが、三国志大戦艦これアーケードあっちこっち入り浸ってた頃も特にトラブルはなかった。三国志大戦で言うなら高津あたりのがよほど(略

川崎危険そうに見えるといえば

川崎駅前で有名どころといえばタケちゃんマンの歌で有名な堀之内風俗街)だが、再開発マンション建てまくって往年の面影はない。飲み屋街の仲見世通り客引きが多いが善光寺門前一定の秩序が保たれてる(店は選ぶ必要がある)。堀之内よりガラが悪く素人は行くなで有名な南町風俗店はだいぶ減って客引きもいなくなり、普通に歩ける。というか川崎区民の通勤通学路であり、XX組の黒塗りの車がやたら停めてる前を女子高生サラリーマンが徒歩や自転車大勢通り抜けている。一方、昔の闇市だった平和通り砂子通、銀柳街が昔の一般商店が消えて風俗や夜の店ばかりになり、こちらは静かになって逆にガラが悪くなったなーと思ったりする。

静かなのが治安が良いかと言えば

ガルクラでお出しされる川崎市の風景だがセレクトに引っ掛かりを感じることはちょくちょくある。川崎駅前路上ライブ場所浮浪者を追い出して作られた話は先日書いたが、昔の駅前はそこらじゅうに浮浪者が寝ていた。駐輪場入口など特に排水溝に小便をするのでめっちゃ臭かった。一方で浮浪者はそこにいるだけなので特に害があるわけでもなく、治安悪化に直接影響するでもなく、直接接触するわけもないので汚いとも思っていなかった。どちらかといえば浮浪者ちょっかいを出すクソガキのほうが危険で、段ボールハウス放火してボヤ騒ぎになった一部始終を見てたこともある。

しろ浮浪者不在の今の方が

自分駅前で遊び飲み食いしても犯罪に巻き込まれることは(痴漢以外は)皆無だが、弟は駅前路上で寝てたら財布を盗まれたそうである。寝るな、としか言えないが、浮浪者の目があった頃のほうが路上で寝てても安全だったかもしれないと思う。

追い出しといえば

仁菜ちゃん練習してる多摩川河川敷公園だがすぐ目の前にマンションがある。あの公園マンション多摩川堤防河川側に家を建てて住んでた人たちに立ち退いてもらうために整備された場所多摩川が増水するたび被害が出て危険なので補助金を出して立ち退いてもらったという場所なので、行政努力の場でもある。

川崎名所めぐり

あの多摩川公園の向かい側にあるのはリクルート事件の発端となった開発エリア。どうせならソリッドスクエアの1階の噴水をバックに汚い大人たちを思いっきり蔑む歌詞をシャウトしてくれても楽しい

川崎名所めぐりその2

ちゃんとルパちゃんの住んでる河原町団地は有名だが、そこからもう少し先に行くと川崎競馬の小向厩舎がある。早朝5時前に行くと小向厩舎から多摩川河川敷練習場へと競走馬公道を横断してるので、馬を眺めながらのシーンがあっても可愛い感じで良いのでは。そこからウマ娘コラボをぜひに

2024-06-01

新快速って酔いやすくない?

大阪に住んでて、

京都に行くときはたいていJR大阪から京都線の電車に乗るんだけど、

新快速だといつも乗ってるとき気持ち悪くなる 乗り物酔いみたいな感じ?

だいたい高槻過ぎたあたりからかな

普段電車では酔わないし、新幹線でも全然酔わないんだけど

京都線の新快速だけはいつも酔う

試しに阪急特急梅田京都河原町)に何回か乗ってみたら、全く酔わなかった

あと同じJR京都線でも快速では全然酔わない

なんでなんだろう

電車スピードが早いからかな?あとちょっと揺れるし…でも京都線以外にもっと揺れる区間いっぱいあるしなあ

2024-04-25

福知山線脱線事故の最大の原因は阪急宝塚線との乗客獲得戦争

また今年もこの日が来てしまったというか、あの事故根本的原因が解決されずに19年の月日が経った。

表題に書いたように、脱線事故の原因についていろいろ言われているけど、一番の原因は「乗客の獲得競争」そのものである

大阪から宝塚に向かうのに、乗客立場としてJR福知山線阪急宝塚線の2つの選択肢があり、自由に選べるメリットがある。

つの選択肢があるということは、それだけ両者の競争が激しくなるということである

私鉄大国関西」と言われていることも知っている。

正直言って、大阪宝塚間だったら鉄道路線は二つもいらないし、どちらか一つあれば十分ではないか

競争のために乗客安全犠牲になるくらいなら、それくらいの抜本的解決必要ではないか

大阪三宮間の場合はその選択肢が三つもある(JR神戸線・阪急神戸線阪神本線)のは多すぎ。

大阪京都河原町)間も三つ(JR京都線・阪急京都線京阪本線なのは、はっきり言って異常ではないか

首都圏だったら東京千葉間、東京大宮間、東京横浜間はほぼJRの独占になっているし、それが普通だと思っていたけどね。

2024-03-15

anond:20240315105031

東大路河原町を迂回したら怒る客もいるらしい

知らないなら任せときゃええのにな

2024-03-13

anond:20240313123638

京都河原町地下通路

毎日通勤通学でアホみたいに人が通るのに店がない。

地下に店を作ったら地上の店の客を取られるとかアホなことを言い出したことが原因。

2024-03-07

京都歩いてたら明治から続いてた古本屋がなくなってた

明治から古本屋がなくなるって相当だよね

河原町商店街だし立地もいいし

さらさな古本屋で本を買う人いないのかな

そこの近所にブックオフもあるし

なんなら檸檬で有名な本屋もあるし

仕方ないね

悲しいけど

2024-03-03

anond:20240302000009

京都駅から乗らなきゃいいだけでバスはわりと便利で好き。

 

西大路四条大宮出町柳の隠れた結束点を使いこなせば京都バス観光は快適になる

なによりも西大路駅は優秀。

京都駅の隣なのに乗降客はほぼいない閑散駅

バス停はちと遠いが感覚的に遠いと感じてしまうだけで京都駅構内を歩くのと比べると物理的には遥かに短い。

四条大宮も良い、阪急特急が停車しないし近隣に観光名所が無いため観光公害が比較的マシ。

しかしここからバスに乗り継げばたいていの場所に一本で行ける

そしてわりと座れる

嵐電も始発駅なので確実に座れる

大阪方面から阪急京都へ行く場合特急河原町まで行かずに普通に乗り換えて四条大宮からスタートしたほうが快適度は140%上がる

嵯峨野線絶対に使うな。

これに乗った時点で不快指数は一気に跳ね上がる。避けるが吉

電車は来ないわクソ混んでるわ

2024-03-02

京都駅発のバスを使わず観光地へ行く

京都市バスの混雑っぷりがヤバい。なので、京都市は極力電車を合わせて使う観光推しているが……。

バスが混雑する京都駅周辺や四条周辺ではバスを使わないようにして観光地へ行く方法について考えてみる。

伏見稲荷大社

京都駅からJR奈良線を使えば2駅で付く上に駅の目の前に伏見稲荷がある。電車活用しない手はない。

一応、京都駅からバスもあるがそこまで本数はない。

ただ、奈良線京阪との乗り換えがある東福寺駅、そして稲荷駅はめちゃくちゃ乗降者数が多いから、京都駅の時点ではヤバいくらい混んでいるんだよね・・・

ちなみに歩いて行けば30~40分ほどで着く。

嵐山

京都駅からJR嵯峨野山陰線を使えば着く。ただし、JRの駅から嵐山中心部からは少し距離がある。

地下鉄丸太町まで行ってそこからバスか、地下鉄太秦天神川まで行って嵐電バスに乗るか。

ちなみに京都駅からも直通バスは一応ある。

嵯峨嵐山駅から嵐山中心部まで少し歩くとはいえ普通にJRを使った方がトータルでは早いか

でも奈良線と同じく、嵯峨野山陰線京都駅ではめちゃくちゃ混むぞ。何が嫌かって、京都駅始発の電車からメチャクチャ混んでいる状態で発車するまでしばらく待つ必要があることなんだよな。

鞍馬貴船

京都駅から地下鉄終点国際会館まで行って、そこからバスか、叡電岩倉駅まで歩いて叡電に乗る。

それか今出川駅で降りて、出町柳駅まで歩き、そこから叡電の始発に乗るか。

京都駅から直通バスはない。

清水寺

京都タワー広告(今はない)では、東福寺京阪に取り換えて行くことを進められるけど、乗り換えも手間だし、清水五条から清水寺は遠いし全く推奨できない。

混んでることを覚悟してバスを使うのが一番無難そう。

祇園八坂神社

京阪七条駅まで歩いて祇園四条で降りるルートか。でも祇園四条から祇園までまあまあ歩くし、清水寺と同じくバスを使った方が無難そう。

ちなみにJR京阪の乗換駅の東福寺普通準急しかまらないので、特急が止まる七条まで歩いた方がいいと思うぞ。

金閣寺

地下鉄北大路駅まで行って、そこからバスか。

一応、京都駅から205系統に乗れば直通で行けるけども。

銀閣寺

地下鉄今出川駅で行って、そこからバスか。

一応、京都駅から17系統に乗れば直通で行けるけども、四条も通るからあんまり勧められんな。

二条城

二条城前というズバリのものの駅がある通り、数少ない地下鉄だけで行ける観光地。

一応、京都駅から直通バスもあるけど、まあ地下鉄の方がいいだろう。

下鴨神社

地下鉄鞍馬口駅まで行って歩くか(徒歩20分)、北大路駅まで行ってバスに乗るか。

京都駅から直通バスも多いけど、四条を通るからあんまり勧められんな。

上賀茂神社

地下鉄北大路駅北山駅まで行って、そこからバスか。

ちなみに北大路駅からバスに乗る場合は、上賀茂神社の目の前で止まるバスはないので数分歩く必要はある。

一応、京都駅から直通バスもあるけど、四条を通るからあんまり勧められんな。

仁和寺

京都駅からJR嵯峨野山陰線円町まで行って、そこからバスか。

一応、京都駅から直通バスもある。

城南

京都駅から地下鉄近鉄竹田駅まで行き、そこからバスか歩くか(15分ほど)。

ただ、竹田駅からバスの本数は少ないから歩いた方が速そう。

一応、京都駅から直通バスもある。



結論

こうして調べてみると、むしろ京都駅からバスで行けない観光地の方が珍しいな。

ここまでバス路線が網羅されてたとは。そりゃ、みんなバスを使いますわ。混むとはいえバスが便利すぎる……。

裏技

バスが混む箇所

結局のところ、バスが混むのは京都駅周辺と四条通を跨ぐ場合

からそこを避けて使うと、比較的混雑なく使える。だから市内北部場合はまず地下鉄丸太町駅より北に出た方がいい。

下京区総合庁舎前で乗る

205系統のように京都駅発着でないバス場合は、京都駅の1つ前の下京区総合庁舎前で乗れば100%座れるので混雑していたとしても車内で苦しむことがない。

バスの1駅分くらい歩いても大した距離じゃないし、何より京都駅から目と鼻の先だからな。

九条車庫前で乗る

京都駅から3駅先の九条車庫は市バスデカい車庫なので、ここから発着するバスが多い。

それに混雑する京都駅を通らない系統も多いので、ここから乗るのもアリ。地下鉄で1駅分であるけど、京都駅九条車庫前は超閑散区なのに、この区間を走る205系統は西大路周りも河原町回りも両方とも走るのでただでさえ本数の多い205系統が2倍になり、本数がめちゃくちゃ多いかバスで行ってもいいかも。

2023-11-29

出入り禁止基準について思っていること


京都繁華街中京区東山区)で飲食業に携わってきた。もう二十年以上になる。独立してから居酒屋をやっていた。

ワンピースがあるだろう。漫画の方だ。多くのキャラクターが出てきて、麦わらのルフィメンツ(なぜか全員童貞に見える…フランキーは別だ)が色々いて、そのうち誰かとは気が合いそうな気が読者はするわけだ。そんな路線をめざしていた。多様性である

今回は自分の考えを伝えてみたいし、お客さんへの接し方の哲学についてもご教示願いたいことがある。料理の作り方や仕入れ広告宣伝とか、そういうのは自分なりの答えをもってる。が、こればっかりは答えが出ない。「嫌な客は出入り禁止にすべきか」という論題だ。

以下、うちの店でお客さんが取った問題行動+店側の対応という形で説明させてもらう。四人分ある。



一人目:壮年男性のA氏

50代ほどの男性だった。夜7時くらいにお店に来る。いつもスーツだった。小綺麗とまでは言わないけど、まあ整った感じだ。性格はおとなしいのか騒がしいのかわからない面があった。『壁』という小説に出てくるS・カルマ氏なんじゃないかと思える時もあった。

うちの店は、京都個人居酒屋標準的メニューを置いていた。豆腐とか、焼き魚とか、季節の野菜の煮つけとか、湯葉スープとか、柚子胡椒風味の鳥のから揚げなんかの、まあ京都って感じのメニューだ。みんなそれぞれ、お互いの店からメニューを盗み合っているという事情もある。俺も若い頃は祇園で修業してたけど、京都市内の飲食街はすべて巡って勉強した。「うちの店」というのも祇園の端っこにあった。先斗町河原町寄りの。

どの業界でもそうなんじゃないか週刊少年ジャンプだってそうだろう。漫画家同士、お互いに表現方法コピーし合っている。半年以内で打ち切りになる漫画でもそうだし、鬼滅の刃みたいな大傑作でも変わらない(○○の呼吸はジョジョの波紋をリスペクトしてる)。

京都飲食業でもそうだ。同業のお店に一般客として出入りし、美味しそうなのを見つけたら、調理法をこっそり見て、自分の店でも同じようなもの提供する。

うちの店では、とあるサービスがあった。お客が女の子店員飲み物を出すと、暇な時間限定で話相手になってくれるのだ。A氏は、いつも地元高校に通っている女子店員ウーロン茶(400円。お客は2杯目から200円)や、イチゴミルク(500円)をごちそうしていた。それで、15~20分程度のお喋りに興じるのだ。そういうサービスが確かにあって、それを目当てに来るお客さんが何人もいた。40代過ぎのリーマンが多かったかな。

彼らは、女子高生や女子大生に限らず、自分の好みの子がいたら「一杯飲んでいいぞ」と声をかける。お気に入り店員飲み物をやり、わずかな時間の楽しみに興じる。

それで、店としては売上が立ち、女の子は注文金額の50%のバックがもらえて、お客さんも喜ぶというわけだ(損して得取れ)。だがある時だったか、猛者の女の子がいて、なんと誕生日シャンパンを奢ってもらっていた。当店の一番安いシャンパンは二万円だったので、一万円儲けたことになる。いやぁ、あれには参ったね……(以後、一万円超の場合は25%バックに変更した)。

そんなある日だった。A氏が行動に出た。帰り際に、ドリンクを奢った女子高生に連絡先を聞いて、食事約束をしようとしたのだ。女子店員は、「え~」といった表情でケータイを取り出していた。すぐさま俺が止めに入って、「お客さん。困ります」とひと睨みすると、「あんたの方がいけんで。こっちの自由やん」とアレな発言をしていた。

この人には二面性があった。このお店に居る時と、それ以外の社会とで違う顔をしていた。女の子には、「オレね、自分名前がわからなくなることがあるんだ」とか、「世界の果てに行ったみたいなあ。世界の果てってどこかわかる?」とか「このグラスと君のグラスが、この間がね、オレとあなたの心の距離」など意味不明なことを喋っていた。

ある日、同じ会社の仲間数人と一緒にお店に来たことがあるが、まるで別人だった。大人しくって何も喋らない。黙々と飲み食いしている。女子店員が話に行っても変わりなしだ。借りてきた猫みたいだ。

かつて、A氏の「世界の果てはどこだろう?」という質問に対して、地元高校に通ってる女子店員(※上で誘われた子)が、「うちの店も世界の果てのひとつですよ。地球は丸いんですよ」と答えたことがあった。でも、その子に話しかけられても黙っていたかな、確か。

で、A氏を止めに入った俺はイライラしていた。「すいませんけど、もう来ないでくれます? 次来たら、その場であんたの会社に連絡しますよ。警察は勘弁してあげますから」とタンカを切った。すると、A氏はそそくさと会計を済ませて出て行って、それ以来うちの店には来ていない。

その日、店員から感謝された。普段、俺に尊敬の念を一切抱いていないと思われる従業員ですら「マスター見直しました!」と言ってくれた。世界の果ての女子高生は、「やりすぎだったんと違います?」と言っていたが、その子未来のためには正しい行動だった。

俺の考えが変わるきっかけだった。どんなお客さんでも受け入れるのが飲食店の正道だと思っていた。面倒くさい客はいるが、それが多様性の確保に繋がるという考えをもっていた。



二人目:B女史

B女史は大学生だった。同志社女子か華頂短期大のどっちかだった気がする。

の子は、いつも夕方に来て、安い定食だけ頼んでサッと食べて帰る。週に一回ほど来ていた。「高島屋化粧品店でアルバイトしてる」と、B女史と店員が話しているのを聞いた。

ちょっと話は逸れるが、うちのお店には、居酒屋としてのメニュー以外に定食があった。安い値段で昼食を食べたい人に向けて、なんと800円でから揚げ定食弁当)を用意していた。味は当然祇園レベルだ。先斗町木屋町にある標準的な店とは比較にならない。

祇園にも、夜に高い値段で酒肴を出している居酒屋が、昼の時間帯にリーズナブル価格で昼食を提供している例がある。それでも千円超えは基本だった。それを、原価計算を積み重ねた末に800円という価格を実現させた。しかウーロン茶が一杯まで無料だ。二杯目から200円。

お昼時に、店の近くの路上弁当を売りに出すのだが、売り切れることが多かった。やはり、コスパがいいのがわかるのだろう。少なくとも毎日30食は売れていた。コスパでこの定食弁当)に勝てる可能性があるといえば、近所だと長浜ラーメンやよい軒くらいのものだった。安い店だと、松屋が近くにあったが、あの定食の味に比べればゴミクズのどちらかだった。

※ここに書いてる話は、相当昔になる。今だと祇園レベルの味で800円のから揚げ定食など不可能だ。あと、今だと道路売店とかやったらすぐに警察が来る。昔は、無許可ラーメン屋台などがよく営業していた。

経営回転寿司のやり方に倣っていた。くら寿司とかで、いくらウニ100円ほど(※当時の価格)で廻っているだろう。ああいう原価割れメニュー提供できるのは、赤だしとかタマゴとかラーメンとかうどんとかデザートとかで黒字にしているからだ。撒き餌である

祇園寿司屋で出してるようなウニだったら、木箱ひとつで当時5万円(200円/g)はした。回転寿司がどんなウニを使ってるかは知らんが、卸値だと(5~10円未満/g)といったところか。祇園で出てくるウニの握りなどは1貫3,000円以上することもある。それでもサービス価格だ。

他流であっても、いいところは積極的に盗むべきだ。から揚げ定食が800円だと原価割れ寸前なのだが、そのお客さんが夜の時間帯にも来てくれたら投資は回収できる(弁当にチラシ入れてる)。そんな未来に賭けていた。

B女史に戻ろう。上のから揚げ定食は、昼の売れ残りの一部を再利用して夕方以降の営業時間にも提供していた。クオリティが落ちてる分は600円にしていた。そして、彼女はその定食しか注文しなかった。夜に来てくれるわけじゃなし、お酒を頼むわけじゃなし、友達と一緒に来るわけでもない。30分くらい居て、女子店員イケメン大学生店員と軽くお喋りをしてアルバイトに出かけていく。

彼氏同志社)と一緒に来たことは何度かあったが、なんと、二人でひとつから揚げ定食シェアしていた。一緒に食べていたのだ。ひとつ定食を。仲睦まじく。電線に留っているツバメカップルみたいだった。

ここまでは別にいい。から揚げ定食投資なんだから

B女史は、ほかの男性から不評だった。うちの店はコの字のカウンターだが、そんなに広いわけじゃない。常連同士、話をするのが基本だ。

B女史の近くの席になった男性客が話を振ることがあったのだが、B女史はいつも愛想がなかった。せめて演技くらいすればいいのに。ストレートに「気分が悪いです」とか「今話したくないです」とか、人が不快になる言葉を発していた。

このまま社会人になれば通用しないだろう。せめて愛想はよくするべきだ。ジェンダーとか多様性とか言われているけれども、保守寄りの価値観大事にすべきだ。人間本来的な感情に根差しているのだから。B女史は、せめて社会関係を保てる程度の『優しい嘘』はつくべきだった。

それである時、とある男性客のおじさんがB女史を叱ることがあった。「あんた、もう少し考えて行動しいや。いけんで。もっと仲ようせんと。就職しても通用せんで」だったかな。俺もそのとおりだと思い、フテ腐れているB女史をやんわりと宥めた。

すると、「だったら、もっとおいしい店を紹介してもらっていいです?」(※京都だと、いいです?↑とイントネーションが上がる)と、人を舐めくさった態度を取るので、俺も頭にきてしまった。

「前から思ってたけど、このお店は君には合ってないみたいや。もう、今日で来るの終わりにしとき

と言ったら、B女史が席を立って会計をしようとした。すると、近くに座っていた若手社会人の常連さんが、「○○さんだっけ。あなた、まだほとんど食べとらんやん。俺も注文しとらんし、よかったらいい店教えてやろか。どうする、まだ時間ある?」と提案をして、それでB女史も同意して、二人で一緒にお店を出て行って、それから彼女が店に来ることはなかった。



三人目:C氏

さっきの若手社会人だ。当時30代前半だったが、人間ができていた。相応の男前で、体格もあった。すでに遠方に異動しているので言わせてもらうと、日本銀行職員だった。ほかの常連さんには内緒にしていたが。会社名を聞かれると、彼はやんわりと『優しい嘘』をついていた。

ちなみに、後で聞いたところによると……彼がB女史を連れて行ったのは、京都で一番予約が取りにくいとされる伝説居酒屋だった。グーグルマップに載っている。高島屋からも近い。C氏は、お店の扉を開けて、「今日入れますか」と店主に声をかけたところ、予約客がキャンセルしており入ることができたらしい。

だが、B女史の財布には非常に厳しい金額だった。C氏が「千円払ってくれる? 好きなだけ食べていいから」と言うと、B女史は本当に好きなだけ食べたらしく……C氏によると、その時に連絡先を交換して、またおいしい店を紹介する約束を取り付けたらしい。それで、その後はと言うと……これはまた別のお話、機会がある時に話すことにしよう。

ここだけの話、『伝説居酒屋』(食堂 おがわ)はバッファーを作っている。全席が予約されてるわけじゃなく、店主の気分次第では、予約なしで入れてくれることもある。後は、偉い人が来店した時くらいか体感だと、5回に1回くらいは予約なしでも入れる。

とにかく、C氏は人格レベルが高かった。若い店員にも敬語だし、いろいろ注文するし、お店の周年記念にはシャンパンを入れてくれるし、テーブルは綺麗にして帰るし、飲み方も綺麗だ。

なぜC氏をここで挙げるかというと、彼もまたやってくれたのだ。どんな人間にも欠点はある。C氏の欠点は、完璧すぎることだ。完璧すぎて、ほかの仏―の人間からすると予想できない方向でトラブルを起こす。

事例①

女子店員がC氏に近づきすぎる。彼はモテた。見た目はそれなりで、清潔感があって、人当たりがよくて、自信に満ちた振る舞いをしていた。彼からいい扱いを受けたい女子店員人間関係が悪くなった。

事例②

正義感が強く、営業中のトラブルに首を突っ込む。警察を呼びたくないのに彼が呼んでしまって、えらいことになった。特に暴力団半グレ関係。体を張ってくれるのはいいが、清濁を併せ呑んでほしかった。

みかじめ料とか何とか言われても、払わねばならないお金だってある。俺に言わせれば、あれは税金一種だ。あれで飲み屋街の平和が守られている面は確実にある。あの辺りの多くのお店は、おしぼり台や観葉植物リース料として支払っている。たまに半端なやくざ者(半グレに近い)が現金要求してお縄につく。

事例③

4人目に譲る

ある時、C氏にやんわりと警告をした。うちの店の課題に首を突っ込まないでほしいと。うちの店の課題自分解決する、と。行政に頼るのは最後の手段なのだと。

それからスッタモンダあって、彼はお店に来なくなった。後は風の噂で聞く程度だ。残念な結果になったが致し方ない。いいお客さんだったけど、これも運命だ。




四人目:D氏

時系列的には、C氏がまだ来ていた頃だ。

D氏は、障害者だった。軽度の知的障害で、あまりモノを喋ることができず、メシは食えるが手がおぼつかない。テーブルの上は汚い。いつも母親が一緒に来ていた。

来客を断る意思はなかった。当然だ、お客さんなんだから。いつだったか、彼が口からご飯を吐き出す行為マネしていた大学生立命館だったと思う)には厳しく注意をした。「客を馬鹿にするな。お前、今度やったらクビにするで」と明言している。

が、お客さん同士のトラブルになると話は別だ。ある日の午後八時頃だったか、その母親とD氏が米類を食べていたところ、ゲフンゲフンとD氏がせき込んで、口の中から飛んだ米粒が別のお客さんグループビールジョッキに入った。幸い、店員が気が付いてすぐに替えのビールを用意した。ほぼ満席で席移動は難しかった。

その日、同じようなことが何度も起きた。何度も何度も、D氏の口から飛び出したモノが、隣のお客さんのスペースに飛んで行った。ついにキレたお客の一人が、「おいあんた! そこのぎこちない感じの人(※京都人なりの婉曲表現)、家に帰してくれへんか!!」と母親に怒鳴った。

母親は「すいません」と謝っていたが、彼が譲る様子はない。「その人は外に出したらあかんのと違うんか。なにしとん。帰ってくれん?」と捲し立てる。

母親は何度も謝っていた。その間も、何がしか物体がお客さんの方に飛んでいく。彼はさらにカッカして、これはいかんとなったところで、離れたところで呑んでいたC氏がこちらを見た。

俺はもう、余計なことは勘弁願いたかった。母親に向かって「お代はいいんで。今日は帰ってください」と伝えた。すると「すいません。堪忍してください。今日誕生日なんです」と返ってきたが、今度はもっと強く「帰ってほしい」と伝えた。

すると、C氏が怒った様子でこっちに来たのだ。「増田さん。その対応で本当にいいんですか。自分がこの人の隣に行きますよ。五人くらいスライドすればいいでしょ」と。

俺はキレた。「お店のことに口を出さないでって言ったでしょ。俺が責任とりまから」と端的に返すと、C氏は憮然とした様子で自分の席に戻った。

母親と息子には、その場で帰ってもらった。お母さんには「ほかのお客さんのこともあります。お店が空いている時でないと今後のご利用は難しいです」と伝えて、お店の入り口まで案内した。

翌々日だった。京都市役所の福祉部署から架電があった。母子のことで、差別に該当するおそれがあるとの内容だった。C氏か、D氏の母親京都市に連絡したのだろう。俺はこういう卑劣行為が許せない。どうしてこんな惨いことができるのだろうか。「障害理由差別をすることは~」と電話口で喋る京都市の職員に怒号を発した。

「ええか、こっちは商売でやっとんのやぞ。お前らは公務員やんけ。民間商売に口はさむなや。こっちがどんだけの思いで商売やっとんかわからんやろ。障害者も受け入れんといかんのくらいわかっとる」

みたいなことを言った。すると、福祉部署職員は変わらず「差別はだめ」とオウムのように繰り返すだけだった。「公務員は楽でいい。頭の中が非現実で、お花畑で、お金暮らしことなんか考えなくてもやっていけるんだからな。羨ましい」そう感じていた。

「それは行政指導やろ。従うかどうか選べるんやろ。ウチは従いません。ええな、おい、おーーーーい!! わかったな」という具合で、受話器をガチャンと置いた。

これが商売世界だ。勝った負けたの世界では、強く、強く自分意思を強く主張できないと食っていけない。公務員サラリーマンじゃないのだ。



結局、お客に接することの哲学というか、そういうのは何が正解なのだろう。どういう場合に出入り禁止にすべきなのか。未だに答えが出ない。

ところで、『うちの店』は、約二年前に閉店した。コロナウイルスに勝てなかった。飲食組合から休業要請の通知があって、当初は休んでいたが、行政対応が誤っていると気が付いて通常営業に切り替えた。うち以外にも、筋違いなことをしている行政には従わないという店舗がいくつかあった。

が、コロナウイルスは強すぎた。店を閉めざるを得ないほどに経営が追い込まれた。ほかにも、グーグルマップ食べログ口コミにあることないこと書くような卑劣な奴らがいた。自分正義とでも思い込んでいるのだろう。

今でも飲食仕事をしている。いつかまた、お金を貯めて店をやるのが目標だ。あの店は居抜き店舗で残してある。幸い、まだ借主は現れていない。いつかまた、店を開いてみせる。

今回は、そんな決意を新たにするために増田投稿した。どんなお客を断るべきか、受け入れるべきか。何かアドバイスがあればいただけると幸いです。

2023-10-03

昼間の京都、8割が外国人だった

さっき京都市内の河原町新京極を歩いたが、外国人ばっかりで驚いた

お寺や神社なら分かるが、商店街に来て何するんだろう?

そんなに珍しいのだろうか?

外国人といってもアジア系ばかりじゃなく、白人黒人アラブ系の人もたくさんいた

そんなに京都って外国から見たら魅力あるのか?

京都に住んで10年になるが、分からない

ユニクロいっても外国人ビアホール行っても外国人

ペットショップ行っても外国人カフェに行っても外国人

目的がわからない

こんなに観光客いるなら、なんとか税金集めて財政立て直してほしい

2023-05-13

昨日京都の街を歩いてたけど、外国人多くなったなぁ

河原町の方歩いたけど3割くらい外国人だった

白人の人はノーマスクで、アジア系の人はマスクしてたな

そんな中ワイはマスク帽子サングラスの完全防備で歩いたで

日焼け怖いもん

2023-04-21

anond:20230421112241

落ち着いた雰囲気の店内で最高のスープが飲めてさらアイスコーヒー無料サービスでついて700円。ボリューム足りなければバゲットも付けられる店もあるぞ。

天下一品河原町三条店っていうんですけど。

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-03-07

京都日記

今日京都市四条河原町付近を歩いた。

平日の昼間なのに人がいっぱいでびっくり。外国人観光客もちらほらいて、賑わいがさらに戻ってきている。日差しも強く、春到来といった感じだ。桜が咲いているところもあって写真を撮ってる人がいた。

今日目的は、折りたたみ日傘ロフト東急ハンズを寄るつもりだ。あとついでにユニクロも覗いてみよう。

ロフトユニクロミーナというビルにあり、下の階から順にユニクロロフトGUと店が入っている。便利だ。

ミーナに到着すると、入り口にユニTが壁に何十枚と飾られてきた。その横にはなぜかドラゴンボールの巨大な絵が飾られている。よくみると鳥山明サインが入っていた。関係性が分からないが、すごい。

エスカレーターを昇り、ロフトに到着。目的は折りたたみ傘なのだが、晴雨兼用のものを探している。遮光率・UVカット率が共に99%以上のものが欲しい。でも残念ながらロフトには良いものがなかった。UVカットだがカット率が書かれてなかったり、やけに重かったり。せめて250g以下で探したい。

仕方ないので下の階に行き、ユニクロへ。デニムパンツをいくつか試着してみる。いわゆるジーパンというものを久しぶりに履いてみたが、こんなに重かったのか。夏は暑そう。買うのはやめて、ハンズを目指そう。

ハンズを目指す途中はブランドショップがたくさん並んでる。バーバリーロレックスルイヴィトン大丸高島屋もある。こういう所ははぁ〜と思いながら通り過ぎよう。

ハンズにつくと、入り口に傘コーナーがどーんと特設会場みたいに売り出されてた。さすがハンズ、客の心理を分かってる。

ふむふむと色んな折りたたみ傘を物色する。種類も多いし、最高だ。ただハンズは定価が多いので、同時にネットでも値段を調べる。うーんあまり変わらない。よし、買っちゃおう。五千円也。

疲れたのでスタバで休憩。できれば鴨川沿いにあるスタバに行きたかったが、遠いので近くのスタバにした。頼んだのはさくらフラペチーノ。味はストロベリー味で少しサクラ風味。ピンクマカロンを砕いたのが上に載ってる。これがサクサクで美味しい。そこにサクラゼリーが入っててこれまたチュルっと美味しい。

さ、帰ろう。明日からまたがんばる。

2022-09-12

anond:20220912195150

しか京都も地味に危ないときはあって、10年以上前だが河原町普通に飯屋探してたらヤクザっぽい人の食事中の場所に相席っぽくなってしまたことある

マジで気を付けたほうがいい でも最近ヤクザもいなくなってんのかもな時代的に

2022-09-05

京都ぶぶ漬け出された話

その日は職場上司と3件ぐらい居酒屋はしごしたんだけど、

最終的にはもうやってる店が無くなって、河原町にある上司の家で飲もうって話になった。

時刻は早朝5時すぎ。上司奥さんが「もう始発の電車ありますよ」

俺は「もうちょっといいでしょ。奥さんも飲みましょうよ」と悪酔いして絡んでしまった。

次の瞬間、上司奥さんに「ぶぶ漬け食べますか?」と聞かれた。

俺は酔っ払いながら「ぶぶ漬けちょうだい」みたいに言ったのを覚えてる。

そしたら上司奥さん天井から吊り下がったヒモを引っ張った。

その瞬間、天井から大量のぶぶ漬けが落ちてきてすごい勢いで玄関の外までぶぶ漬けの波で追い出された。

2022-08-14

京都カースト高い地域に住んでるけど、よく大阪みたいなとこに住めるな。と思う

先日二日間ほど難波界隈(心斎橋筋日本橋)と梅田近辺をうろついたのだけれど、歩いてる人間民度というか程度の低さにうんざりした。

河原町のあたりでたまに見かける「うわあ……」な人が満遍なくいる感じ。

あの辺にマンション借りて住む人の気が知れない……

2022-07-16

原画っていいな

今日キューライスのよるのえ展に行ってきた。

キューライス漫画家アニメーターで、

NHKドラマにもなった悲熊とか、あとスキウサギとか、オモコロにも描いてる人なんだけど、

京都で「よるのえ」というイラスト展覧会があるというので、行ってきた。

京都河原町のTOBICHIというレトロビルに、糸井重里ほぼ日がやってるお店があって、

そこで展覧会が行われていた。

展覧会といってもすごく小さなスペース(10畳もないかも)なんだけど、無料イラストを見ることができた。

よるのえはネットでも本でも見たことがあったが、実際に原画を見るとやっぱり違った。

作家の筆使いとか、水彩のタッチとか、細やかな部分まで近くでみれるし、ディスプレイ印刷物ではでない味わいが感じ取れた。

何より、本人がそれを描いたというのが生々しく伝わってくるから、作者の描いてる時の気持ちがなんとなく分かる気がしてくる。

やはり、ネットや本で見ただけでは分からないことがある、そう思ったよ。

実際に見たり経験するのって大事なんだな。

今日祇園祭で人混みがすごかったけど、行ってよかった。

2022-07-02

anond:20220701223039

 あなた良識的な方だと思うから、元の人の発言意図勝手に補足する。


 「どこにでもある田舎」というのに妙な意味をくみ取ろうとしてるのがまずおかしい。京都市民ですら、良くて京都地方都市、悪ければ本気で田舎だと思ってる人は存外に多いのよ。

 京都で過ごす光景って素朴に言えば、周囲は、山、山、山、山。その中のめっちゃ狭い地域けが都会ぽい感じで娯楽施設とかも河原町かに一極集中

 変にプライド高い人じゃなければ、「京都歴史観光資源が多数あるから優遇されてるだけの一地方都市に過ぎない」なんてのはわかるわけでさ。

 地元民で「京都田舎やし」って本気で言ってる人すらいる。

 「どこにでもある田舎」は本当に文字通りの話でしかないのよ。地元観光地があっても、「別になー」って思う地元民って他地域でも多いもんじゃないの?


 そういうのを、洛中中心主義者とか色眼鏡で読まれると本当に困るし、京都過大評価もいいところ。

2022-04-25

阪急電車の罠

阪急梅田JR大阪阪急三宮とJR三ノ宮が隣り合ってるから阪急河原町JR京都が隣り合ってると思うじゃん?

京都に行くとき河原町で降りたら、京都はそこになかったんだよ。

河原町ではなく烏丸でもう1本電車を乗り換えなければならないなんて、河原町京都が離れてることを前提として調べなければたどり着かないよ。

2022-04-02

anond:20220402172706

京都大原三千院恋に疲れた女が一人…

あの人の姿懐かしい黄昏河原町

富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も…

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた その4

最後に。

今回これを書こうと思ったのは、冒頭の話が関係している。

年末に約十年ぶりに京都に行ったのだが、知っている店はほとんど潰れていた。バーも、キャバクラも、スナックも、マクドナルド河原町三条店も、もちろん――S店も跡形もなくなっていた。

年末にしては暖かい夜だった。寂しい気分で歓楽街をうろついていると、学生時代によく行っていた老舗のバー発見した。店員もお客さんもコロナ禍の中でしんみりとした雰囲気かと思いきや、意外と賑やかだった。

ソーシャルディスタンスなんて関係ないぜ!」みたいな連中がわいわいと騒いでいる中、私は2つほどバーハシゴした。その後、さめざめとした心持ち先斗町の狭い街並みをうろつき始める。

すると、心の内にあることが想起された……そうだ、私は一度、S店で接客を受けてみたかったのだ。それを夢見ていた。だから京都に来たのだ!

私の中では、京都旅行の動機の端っこにあった感情だったけど、大きい部分を占めていたことに気が付いた。

通りを一本挟んだ木屋町に戻った私は、S店がなくなったのであれば、別のキャバクラに行ってみようと思った。深夜2時になっていた。

※ここまで読んでいる諸兄はおわかりだろうが、法律上は深夜1時までの営業になっていても、実際には朝5時まで営業できる。警察があえて取り締まっていないのだ。たまに見せしめで捕まる店がある。

そのRというお店は、私が大学生をしていた頃は新進気鋭のルーキー的な立ち位置だった。今では木屋町で一番の老舗になっている(堅気の店だとは思うが、そうじゃなかったらまずいので名前は伏せさせてもらう)。

最初に19才の可愛い子が隣についた。その、あまりの顔つきの美しさ、手足の細さにびっくりした。まるでアイドルみたいだった。※私はアイドルを見たことはない。

ちょっと後になって、チーママ真正面の席についた。30代後半くらいで、落ち着いた雰囲気があって、笑顔が素敵な人だった。談笑は続いて、残り時間があと40分ほどというところで、R店のメニュー表を持ってきてもらった。人生で一度、キャバクラシャンパンを飲んでみたかったのだ。

せっかくの機会なので、5万円のやつにしようと思って――考え直した。ここはあえて、1万円のものを頼むのが正義であると気が付いた。そうだ、これは最初体験なのだ。5万円のやつを堪能してしまったら、1万円では楽しめなくなる。

こうして1万円の一番安いシャンパンを注文し、私の席に嬢があと2人増え、付け回しをしている人が私の席に挨拶に来た。やがて細長いグラスとクラッシュアイス入りのアイスペールがやってきて、カフェドシャンドンみたいな名前シャンパンが細長いグラスに注がれた。

午前3時半に店を出た。

楽しい夜だった。でも、満足はできなかった。あの日々、私が青春を過ごしたS店はもうないのだ。もう二度と行くことはできない。

こうして私は、木屋町に一人残されてしまった。

お酒を飲んだのに――辛い気分だった。寂しい気分だった。やるせなかった。

そういうわけで、この私こそが世界に産み落とされた最初人間なんだと自分に言い聞かせ、木屋町流れる高瀬川沿いの歩道をほっついて回り、いまだに夜の店を求める者たちがはかなげな声で囀りまわる四条大橋の袂へとぴょんと躍り出るやいなや、私は考え始める。

これからどうしよう、まだ眠気はないのだ! どこに行こう……そうだ、まだ祇園では飲んだことがない。でも、木屋町にもまだ懐かしい店があるかもしれないなぁ。

私はまた考え始める。そしてそれが楽しいのだ。私は夢見心地で祇園四条通り石畳を踏みつけて、曲がっていることもわからないまま小道や細道の角を折れ曲がり、川があることもしらずに祇園の中を通る小橋を走って飛び越え、姿形も見えない、これから行くであろう店でどんな話をしようか思案をはじめる。

……でも、今の私はこの街で一人だった。もう仲間はいない。知り合いもいない。一緒にお酒を楽しめる人はいない。今更気が付いたのだ。



こうして、一人ぼっちになった私は、「お酒も十分に飲んだし、暗い気分を晴らしにデリヘルでも呼ぼうか」と考えた。おっとり刀ホテルに帰り、スマホの遅い読込速度にイライラしながらも、どうにかデリヘルを呼ぼうとする。

私はあるお店の、いろんな女の子が並んだパネルを見ていた。風俗店では、口よりも目を隠している子を指名するのが基本だ。そちらの方が統計的アタリ率が高い。

ある女の子を見つけた。右手で目元を覆っている。慎ましい乳房だ。身長は低い――これは加点要素だ。でも、よく見ると髪型で顔の長さをごまかしている。肩幅を見るに、ガタイの大きさをフォトショ修正している感がある。これは勝てん要素だ。場合によってはチェンジ宣言もやむを得まい。鱗滝さんに「判断が早い!」と怒られる可能性がある。

彼女指名した。待つこと約30分、真っ白のマスクを着けた女の子がやってきた。予想通り、背が小さくてかわいいマスク美人かなと思ったが、はずしてもかわいい

コロナで大変じゃない?」と聞くと、「お客さんは減ってる。でもお兄さんみたいな人が指名してくれるから嬉しい」とのこと。

早速シャワーを浴びて、時間はあまりなかったけど、ベッドで少しばかりの睦言を楽しんで、それからプレイが始まった。肌が触れ合う感じがいい。吸い付くようだった。有意義プレイだった。

最後に、お互いの相性がよかったからか、それとも彼女の温情によるものか、サービスにはないが、『合体』をしてもいいという。コンドームも用意してあるらしい。お金のことを聞いたが、お兄さんの気持ちでいいとのこと。ふと、さっきのシャンパンが頭をよぎる。

だが、挿入の前に問題が起きた。私のやつに適合するサイズコンドームがなかったのだ……私は、彼女が持っていた何種類ものから、一番マシな物を選ぶ必要があった。サイズが小さすぎると途中で抜けてしまう。彼女の中で抜けるわけにはいかない。

残り時間が限られる中、高速でコンドームを試着し続ける私に、彼女不安そうに言う。

「そんなに急いで大丈夫?」

私は笑いながら答えた。

「付け回しは得意だからね」

私はその子を知った。

しっとりとした肌の感触だった。心地よかった。心までひとつになったみたいだった。私はいま一人ではない。

特別サービスで、5分だけ無料で延長してくれるという。お言葉に甘えることにする。

行為が終わった後、その頬にそっとくちづけをした。

気持ちよかった。でも、お金は具体的な額を求めないとだめだよ。仕事なんだから

「これはお店のメニューじゃないからいいの。お客さんに気持ちよくなってほしくて」

彼女は笑いながら答える。つぶらな瞳で私を見上げてくる。が、視線を逸らすことはなかった――鋭い、理性的な、豹のような瞳をぶつけてくる。

私の心は最初から決まっていた。さっき節約したばかりの4万円を財布から取り出して、「ありがとう」とその柔らかい手のひらに渡した。猫が喉を鳴らすようにして彼女は、嬉しそうに受け取るのだった。仕事ができる子だった。



追記

私が大学卒業した年にTちゃんからもらったメールによると、イケメン先輩は100万円を払い終えたらしい。

その後は、M主任の後釜に収まった。イケメン先輩のS店への貢献という「状況」が、1年以上も前に下された免職処分を打ち消したのだ。

メール最後には、Tちゃんイケメン先輩と結婚するとあった。

どうか、今も幸せでありますように。

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服仕事に捧げた。

年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。

広島田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。

4月はあっという間に過ぎた。入学式オリエンテーションサークル勧誘学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動

楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。

アルバイトである大学生アルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画アニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。

早速、求人情報掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。

その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。

何分間か話した後、「土曜日シフトはいます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。

その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中ガラケー通話ボタンを押す直前に着信が切れた。

もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。

増田処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。

それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなた電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。

私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。

ある日、京都御所の近くにあるコンビニ求人雑誌を持ち帰った。

パラパラと中を覗いてみる。飲食店小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。

大学生場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識言動知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業官公庁NPO法人就職した連中は、リクルート株式会社はてな高島屋アルバイトをしていた。

当時の私は、リクルートはてな高島屋も知らなかった。私の出身広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京府中市出身だったら、リクルートはてな高島屋も知っていたのかもしれない。

さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックキャバクラバーのページが出ていた。

あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。

「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。

あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。

でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。

5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。

マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。

当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。

おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。

扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメン黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。

ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。

さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。

体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。

店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトル緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファ腰かけた。

「飲んでよ」

ありがとうございます

店長とどんな話をしたかはあまり覚えていない。

思い出せる限りだと、こんな感じだった。

広島出身? 俺の叔父さんが広島なんだ」

「いい高校行ってたんだね」

「18才か。若いね~」

柔道強いんだ。2段だって

「いつから来れる? できれば明後日がいいな」

こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。

ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。

①単純な労働力として

多くのお店では、ホールキッチン仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。

②肉壁として

態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。

※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。

お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費請求しないことが多い。

レアドロップ枠として

一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ京都俗情掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。

私が採用された店というのは、実は特殊タイプだった。

当時の木屋町祇園にあったスナックラウンジキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社経営していた。

私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業経営母体だった。モデル女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。

※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーション母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社存在自体を知るはずもなく。

そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。

以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。



大学回生

 キッチンホール仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。

 最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。

 キッチン仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生最初に覚えた仕事は、社会に出てから仕事の縮図だった。

・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く

・途中で別の仕事に移らない

・雑多な仕事はまとめておいて後でやる

 こういった原則ひとつずつ身に着けていった。

 より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチお盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。

 当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。

 最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初トレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。

 でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。

 このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロタイプ人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記もっと細かくつけておけばよかった。

 今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。

 めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます



大学回生

 この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。

 本来大学生アルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくま代打的に割り振られる。原則社員キッチンアルバイトホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホール担当になったかというと……。

 私の社歴が、スタッフ内で真ん中あたりになってきたからだ。

 信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。

 ホールを回る仕事について、思い出せる範囲優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草女の子だとストッキング生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。

 重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。

 思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。

 その主任にこっぴどく怒られたことがある。

 真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。

 さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコース説明した。金額うろ覚えだ。たぶん違う。

 3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。

 その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。

 主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。

 数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補トークを始めた。

「こんばんは。これから何件目ですか」

「2件目」

「どこ行ってきたんです」

居酒屋

「どちらにいらしたんです」

和民

「次は女の子のいるお店にしましょう」

「この店は高いからいい」

「安くしときます

 こんなやり取りだった。話すうち、だんだん相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。

はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口警官だった。

 その場で2名の警察官サンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。

(続きます

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220543

追記

ところどころやたらと鮮明なのは、当時の日記を見返しながら書いているからだ。

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