はてなキーワード: 戦地とは
牛丼店・ハンバーガー店・ファミレスなどの全国チェーンの飲食店に混じって地元チェーン店や個人経営店もある飲食店の激戦地に、新規出店したばかりの店だった。
この『タルタルソースはおかず』という店ができる前にあったのは、立ち食いステーキ店だったか? それとも二度付け禁止の串かつ店だったか? などと思いながら、壮年の男はその店の前に立っていた。
それにしても派手な看板だ。
看板に書かれている謎のインベーダーとロボットはどういう意図なのだろうか。
外壁も看板と同じ色になっていて強烈なインパクトを放っている。
そう思いながら、男はその店に初めて入っていった。
座席配置は牛丼店のようだ。U字型カウンターを中心にテーブル席もある。男は店員の案内にしたがいカウンターに座ってメニューを探した。メニューは座席に無く、壁に貼り付けてあった。
並 | 600円 | (1人前、卵4個) |
大盛 | 800円 | (1.5人前、卵6個) |
特盛 | 1000円 | (2人前、卵8個) |
激盛 | 1300円 | (3人前、卵12個) |
追加タルタル | 300円 | (0.5人前、卵2個) |
この店はタルタルソースと食べ放題のご飯しかないのか? と思ったが、隣にトッピング表があるのを見つけた。
チキンカツ | 250円 |
唐揚げ(1個) | 100円 |
サラダ | 100円 |
みそ汁 | 100円 |
チキンカツや唐揚げはメインのおかずではなく、サラダやみそ汁と並んでトッピング扱いなのか?
男はメニューを見ながら何を注文しようかと考えている間に、カウンターのふたつ隣に遅れて座った客が先に注文した。
「タルタル特盛、以上で」
特盛? タルタルソースは並や大盛では足りないのか? ラーメンや牛丼が並だと物足りないように。俺も並ではなく大盛か特盛を頼むべきなのかと考えながら、男は隣の客を見た。やや小柄な男だが太っていて、ズボンのベルトに腹肉がだらりと乗っていた。そして、ハゲかかった頭頂部は毛髪の隙間から、汗なのか油なのか光を放っている。
いかんいかん。いかにもな大食漢の注文に呑まれるな。タルタルソースのボリューム感がわからないし、口に合うかどうかも分からないのだ。そんな物をたくさん食べる羽目になるリスクは避けなければ。何か、この店で初めて頼むべきメニューはないだろうか、と男は壁をあらためて見たら、おあつらえ向きとも言えるメニューを発見した。
迷ったらコレ!
タルタルソース(0.5人前) | |
ご飯食べ放題 | |
チキンカツ | |
唐揚げ(2個) | |
サラダ | |
みそ汁 |
これだ! 揚げ物をメインとしながらもタルタルソースが付いている。ふつうの店にもありそうな定食的なメニューで無難すぎる気もするがこれでいい。タルタルソースをメインとする尖った店に自ら入っておきながらも、男は店の雰囲気におののいて堅実に初心者向けセットを注文した。
注文を終えて一安心した男は、目の前にある調味料を見た。塩・コショウ・山椒・唐辛子・しょう油に、いろいろな種類のソースがたくさんある。卓上調味料の種類の多さは某牛丼チェーン店以上だ。これらの調味料はタルタルソースに使うのだろうか? そう思いながら男は待っていた。
「お待たせいたしました。タルタルソースの特盛です。よくかき混ぜてお召し上がりください」
店員はそういって隣の客の前にどんぶりを置いた。ここからじゃよく見えないが、あれがタルタルソースなのか? しかし「よくかき混ぜて」とはどういうことか? 混ぜずに提供しているのだろうか。さらに店員はどんぶりに入ったご飯も置いて、
と言って、カウンターの端にある自動ごはん盛り付け機を指し示して厨房へと戻っていった。
隣の客は全身を使って一心不乱にかき混ぜているが、どんぶりの中身はどうなっているのだろうか。男がそう思っている間に頼んでいた初心者向けセットが届いた。
なるほど、ごく普通の定食だ。ご飯・みそ汁・サラダ・揚げ物、ただ一点タルタルソースが異彩を放っていることを除いては。小鉢に入ったそれは、例えるならば居酒屋等でよくある混ぜて作るポテトサラダのようだった。ゆで卵1個・温泉卵1個・キュウリのみじん切り・ラッキョウのみじん切り・マヨネーズが入っていることが見受けられる。
フォークでゆで卵をつぶしながら混ぜるとドロリとしたペースト状になってきた。しかしこれはタルタルソースと言えるのだろうか? タルタルソースと言うより、卵サンドイッチの具材だ。フォークでもすくえるくらいにドロっとしている。
サラダ——キャベツの千切りに申し訳程度のトウモロコシとキュウリが添えられた粗末な代物に、タルタルソースをドロリと乗せて食べてみたが……うまい。思っていたよりも卵の味が濃厚で、そんなに油っぽくない。卵はゆで卵と温泉卵のそれぞれで違った食感を与えてくれる。黄身はマヨネーズと一体化した半熟の黄身と、一体化せずに固ゆでのままの黄身の二種類が感じられる。白身もドロリとした白身と、しっかりと形を保った白身の二種類だ。
タルタルソースのメニュー表で卵の使用個数が丁寧に書いてあったのが気になっていたけれども、まさかゆで卵と温泉卵の二種類だったとは。それならば、タルタルソースの並(1人前)はゆで卵2個に温泉卵2個、大盛(1.5人前)はゆで卵3個に温泉卵3個ということになるのだろう。隣の小太り薄毛が頼んだ特盛(2人前)だと、ゆで卵4個に温泉卵4個の量になるから、小鉢ではなくどんぶりで提供されているのだ。なるほど、この店は卵料理の専門店なのだな。こうして実際に食べてみるとわかる。タルタルソースは調味料なんかじゃなくて、立派な卵料理だ。タルタルソースはまさにおかずなのだ。
タルタルソースを唐揚げに乗せて食べてもうまい、チキンカツに乗せて食べてもうまい。タルタルソースがあまりにも濃厚でうまいので、唐揚げやチキンカツが完全に負けてしまってる。ここでは、タルタルソースと揚げ物の主従関係が逆転している。濃厚なタルタルソースの前には、唐揚げもチキンカツもトッピング扱いなのだ。
揚げ物と一緒にタルタルソースを食べると、キュウリやラッキョウの食感が食欲を増進させるように感じる。キュウリやラッキョウは大きめに刻まれてゴリゴリとした歯ごたえがあり、濃厚な卵に負けず劣らずの主張をしている。キュウリに独特の酸味が感じられるが、もしかしてピクルスも入っているのだろうか?
タルタルソースの濃厚さに心を奪われて男はしばらく気づかなかったが、味が薄い。タルタルソースに入っている塩の量が少ないのでは? そうか、それで卓上調味料が大量に存在しているのだ。そのことに気づいた男はチキンカツにタルタルソースを乗っけてウスターソースをかけて食べる。これだ! 舌上に感じる旨さに恍惚して、後頭部で脳髄が歓喜のあまりに跳ね上がる。思わずご飯を口に掻っ込む。うまい! うまい! 男はタルタルソースをサラダやチキンカツや唐揚げに乗せて思い思いの調味料をかけて食べて、ご飯を消費するのに夢中になった。
気が付くと目の前には唐揚げ1個だけになっていて、他は全て平らげてしまった。ご飯もタルタルソースもなくなっていた。隣の小太り薄毛がどんぶりにご飯を入れて席に戻ってきたのを見て、男は自我を取り戻した。小太り薄毛がどんぶりを手に席に戻るのは初めてではない。おそらく、おかわりは2回目かそれ以上だろう。せっかくのご飯食べ放題なのだから、俺もおかわりをしようと男は思った。しかしながら、1つだけの唐揚げをおかずにご飯を食べるのはむなしい気がする。せっかくならばタルタルソースをおかずにご飯を掻っ込みたい……隣の小太り薄毛のように。小太り薄毛は今まさに、どんぶりのご飯の上に残ったタルタルソースの全て乗っけている。そこにしょう油・山椒、他にもいくつかの卓上調味料を代わる代わる振りかけては、一気に口の中に掻っ込んでいき、食事のラストスパートをかけていた。
俺もだ。俺もそれをやりたい。男は強く願い、思いは言葉となって自然と口から滑り出てきた。
【完】
https://anond.hatelabo.jp/20231013195131
古来からどの国でも戦争が始まると男は徴兵で戦地に駆り出され、生きるか死ぬかの役割を背負わされていた。
これは日本でもその精神は受け継がれており、武士道はいわば死ぬ覚悟を常に念頭に置く事を中心に据えた哲学だ。
いわば兵隊アリ、兵隊バチみたいなもので、我が村のコミュニティを脅かす敵が現れれば命を賭けて戦うリスクを常に背負っていた。
これは何も国同士の争いに限らず、村同士、果ては家同士の争いでも大黒柱たる父親が矢面に立って敵と交渉し、身内を守るという役割が大前提にあった。
父親は命を賭けて身内を守るから尊大に振る舞う。母親は子どもを産んで身内を増やす役割を背負っているから命を賭けてはならない。その代わりに子育てと家の中の雑事をこなす、という事に全員が納得できる制度だったのだ。
いわば男は捨て駒で、死んでも代わりは居る。母親こそ家の中で守るべき存在、ということだ。
しかし戦後長期に渡る平和ボケで命を賭ける機会は全く無くなり、欧米から持ち込んだ表層的な男女平等の煽りで男は全く弱腰になってしまった。家父長などほぼ壊滅的な状況で、共働きは当たり前、腑抜けのような父親は身内を守る、子どもを育てるリスクを背負う気概を失ってしまった。
父親となるべき人間が我が身可愛さに一人で生き永らえるという、コミュニティにとって何の価値も無い、むしろ迷惑な存在に成り果ててしまった。
母親はメンタル的にもフィジカル的にも身内を守る戦いには向かないのだ。そんな人間に家族を作る価値判断を押し付けてはならない。
家族というコミュニティを作る上で、それを交渉するのも決断するのも判断するのも守っていくのも父親となる男が背負うべきなのだ。脳の構造的にも身体的特徴においても全てにおいてそれが理にかなっている。
つまり少子化の原因は男が死ぬ役割を放棄し、保身に走ったからに他ならない。生物の役割としては男の命は軽い。軽いものを重宝してはならない。
問. 五条悟って実は復活するんじゃねーの?
根拠① 伏黒パパVS五条悟戦での五条悟の「お前の敗因は首チョンパしなかったこと」という発言
根拠② 羂索VS九十九戦で、上半身下半身真っ二つにされても呪術を使った九十九
⇢つまり、体真っ二つにされた状態でも呪術の使用は可能。九十九ができるんだから五条悟なら尚更。
上記から、五条悟は現状からでも反転術式で復活可能と思われる。
問. では呪術高専メンツは何をしようとしていたのか?また、現在しているのか?
最低ライン⇢まこーらの排除、宿儺を反転術式が使えない限界まで追い詰める
最高ライン⇢宿儺を完全に倒す
予想② 五条悟の敗北後、いま何をしているのか
冥冥がいる以上、裏梅を含めた宿儺側の動きを高専側は把握している(鹿紫雲の「来たな」発言、秤は裏梅の更に上空から登場)
⇢現在高専側がしていることは五条悟復活までの時間稼ぎ・それを悟らせないようにすることではないか
高専側で最速の鹿紫雲を戦地に投入・宿儺の気を引かせて五条悟から遠ざける(鹿紫雲本人はそのつもりないかも)
秤を投入し領域内に裏梅を閉じ込めたのは、宿儺VS鹿紫雲サシバトル実現のためではなく五条悟復活を見せないため
予想 ③ 高専側の思惑
勝ち目のない戦いを続けても死ぬだけ。
実際その通りだと思うんだよね。
ロシアの支配下になっても庶民の生活はそう変わらないでしょ。中国人だってロシア人だってまあまあ幸せに生きてるよ。
じゃあウクライナの誰がロシアに負けたら困るかと言うと、まあ支配者層だよね。政治家とか財閥とか。そいつらがプロパガンダでロシアに支配されるなんてまっぴらというアピールを行い、ウクライナの国民や他の国々が煽動されてる。
日本の戦争もこれだったよね。国がなくなって本当に困るのは支配者層だけ。支配者層の権力維持のために庶民が戦地に送られるのが戦争(でも実際のところアメリカに支配されて財閥は解体されたけどやつらは君臨し続けたよね。結局新しい支配者が来たところでそれまでの支配構造をまるきり変えるまでにはなかなか至らないんだよね)。そういう現実を目の当たりにして、戦力放棄戦争放棄を固辞するものとして70年くらい生きてきたのに私達はもう忘れようとしている。国体護持が大事なんだと思わされようとしている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
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うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
確かに日本は「唯一の被爆国」だ。だが、1945年3月には「東京大空襲」があり、国会議事堂や最高裁判所が爆撃されただけでなく、10万人以上が亡くなっている。このときに何故戦争を終結させられなかったのか。何故反戦運動が起きなかったのか。本土決戦を覚悟していたわりに何故あっさりGHQの占領を受け入れ、寧ろ喜んだのか。結局、1945年4月~8月の期間に戦争を継続した意義はあったのか。「過ちは繰返しませぬから」も良いが、もう少し自分たちの弱さを直視したほうが良いのでは?未だに公共放送が芸能事務所創業者のスキャンダルを報道するのにもここまでコストが掛かるのを見ると、多くの報道機関が談合しているのを見ると、他の国ならば1945年3月には戦争終わらせることが出来たのでは、もっと早くに戦争終わらせること出来たのでは、というかそもそも開戦しなかったのでは、とか思ったり思わなかったり。
【追記】
・1944年頃から講話に向けた動きがあった、1945年2月には「近衛上奏文」があった
で、結局当時の一般の日本人は何をしていたのか? 自分の子供を戦地に無邪気に供給していただけなのでは?
日本人しか興味なさそうな言葉の定義に関する議論お疲れ様です。
何故隠蔽されてきたのか、報道機関は「忖度」していたのか、とかは興味がある。日本みたいに芸能事務所や広告代理店がメディアをハックしている事例とかも調べれば他国にあるのだろうか。
夫が戦地で必死に戦って死んだのに、妻はとっとと死んだ夫との「正統な大和人の」子供を捨てて夫を殺した白人の米軍兵に股開いてアヘアヘヨガって「混ざり物の」あいのこ産んでんだから
これを読んで心底腹が立ち絶望しこの世に怒りと虚しさを抱いた。
この国の女はすぐに外国人に股開くろくでなしの動物しかいない。
今に始まったことじゃない。戦後すぐだって夫が戦地で必死に戦って死んだのに、妻はとっとと死んだ夫との「正統な大和人の」子供を捨てて夫を殺した白人の米軍兵に股開いてアヘアヘヨガって「混ざり物の」あいのこ産んでんだからマジで報われないよな。
俺は未だに子供どころか、結婚も付き合ったこともデートしたこともない。
でも、もし俺が白人に生まれてたら違かったんだろうな。都内のクソバカ私大に留学して「ニホンショクスキデスー。アニメスキデスー」って言いながらその辺のクソジャップメスに声かけまくってたらヤリまくれたんだろう。あいのこも産ませ放題で責任も取らなくていい。
俺のこと振った同級生もサークルの後輩もバイトの同期も会社の同期も、俺が白人だったら「コニチワ〜」って言うだけでアヘアヘヨガって無責任生中出し出産プレイさせてくれたんだろうな。
マジでこの世はクソだわ。ゴールデンウィークだっていうのに憂鬱な気分になった。
てかマジで、テレビとかで父親白人男性、母親メスジャップの混ざり物タレントや女優、モデルに仕事させんなよ。その度に不快になるんじゃボケ。
皆様は、何が楽しくて生きてますか?
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自分語りさせてください。
自分はほどほどに太い実家で育った。両親は毒親ではなく、むしろ愛情を受けて育ったと思う。
おかげで良い大学にも行けた。
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でも人生が楽しくない。
楽しくないと言ったら語弊があるかもしれない。
飲み会行ったとき、旅行行ったとき、美味しいご飯を食べたとき、寝てるとき、セックスしたとき。
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でも楽しくないことの方が断然多い。
別にパワハラされているわけではないし、深夜まで働いていることもない。
でも、起きるのめんどくさいし、業務もめんどくさいし、帰ったら何のために今日一日頑張ったのだろうかと虚無になる。
給料日には気分も上がるが、すぐ使い果たすだけ。
この繰り返しの毎日。
この苦痛が、あと数十年続くと思うと本当につらい気持ちになる。
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じゃあベンチャーにでも行ってやりがいのある仕事にでもつけば良いじゃん、とか言われる。
でもやりがいのある仕事なんてないと思ってる。今までの人生全部そうだった。最初は楽しくても、すぐに飽きる。
しかも自分は男だ。将来誰かを養わないといけないかもしれない。短いスパンで転職を繰り返して、家族に心配をかけたくない。
それだったら、大企業で安定した職について、そこそこに高いお給料をいただいていたい。
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楽しいことより、楽しくないことの方が多い。楽しさの関数を積分したら、かなり負の値を取る感覚がある。
死んだ方が楽しいと思う。
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代わりに病気になってあげたいと思う。
代わりに戦地に赴きたいと思う。
毒親に育てられた人を見ると心が痛くなる。
代わりにサンドバッグになりたいと思う。
でも、ドナーになる勇気もなければ、志願兵になる勇気もなければ、毒親を注意する勇気もない。
自分は「代わりに〇〇してあげたい」のではないことに気づく。死にたいだけなんだ。
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よく、なぜ生きてるのか考える。
(あと、親は悲しませなくない。)
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このように考えるようになったのは最近に限った話ではない。なので、仕事のせいではないのかもしれない。
記憶がある限りは、小学校高学年くらいからはそう思うようになってた。
(再三だが、親は優しかった。虐められることもなかった。だから、発育環境のせいではない。 )
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恵まれているのに、このように考えてしまうのは捉え方の問題なんだと思う。
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精神科にも行った。薬も飲んだ。認知療法的なのも試した。でも、頭で考えて、しっかり結論が出てるから考えが治らない。
どうしたら良いのだろう。
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皆様は、何が楽しくて生きていますか?
いやホント税金高くしたりしてマジでろくでもないのに、マジで武の方で納得させられそうになるの昔の武将かよって感じはする。
戦地であっても向かっていくような外交も死を逃れられる運も立派な武だと思う。
現代社会で力を行使するのは行き過ぎでよっぽどのことがない限り悪になっちゃうから、よっぽどのことがあったゼレンスキーですら疑われまくってんのに。
だから今日本が使える武って外交力、政治力、そして運なんだよな。平和だからこそ大きな流れを読み取ったり感じ取ったり何故か乗せられたりする力が必要になるというか。
後は国民が金使いたくなれば本当はいいんだけど、金使えば使う程に外国に流れていくかもしれないならタンス貯金増やさせて必要な時に税金として出させた方が良いのか…?とか思ってしまう。
約600万人ってのが信じられなくてさ
でも昔の資料はまともなのに最近の資料ほど分かんなくなるんだよね
タブーなんだろうねもう、日本での南京事件を100倍繊細にしたような話題
wikipedia見ると
マーティン・ギルバートはドイツのホロコーストによって、730万のユダヤ人のうち570万(人口の78%)が犠牲になったとしている。他に、490万から600万にいたる推算がある
人口の8割を逃さず1人ずつちゃんと処理していくみたいな作業を600万人分はきついよと
戦地に送って死んだとかならまだわかるんだけどね
600万人は途方もない作業だ
調べるとわかるのはアウシュビッツの犠牲者が誇張されてるのと、アウシュビッツの収容者が全部ユダヤ人だったかどうかみたいな話
発表したのは当時のソ連だそうで
まあ多くて100万人台じゃね、という声がそこそこ見つかる
まあでも現代人的にはポリコレ配慮して600万人!!って言うんだろうね、少なかったとか言うとネオナチか!?歴史修正主義だ!って言われるから
気持ち悪い