はてなキーワード: しこりとは
【追記】
ブコメでもしつこく書いている人いますけど、交通違反は悪いことです。ルールは守れという話ですし、危ないことは良くない。
そこに疑義を呈しているつもりはないですし、実際に呈していません。
でも赤切符というものの位置づけが、なぜ自転車と自動車で違うのか、時速5kmで路地を渡ることが
ひきにげや無免許運転と同じ処罰になる、そこに腹落ちがてきていないという話をしているだけなんです。
なお、50cmや1mの道路なんて嘘だってコメントありますけど、新宿・池袋・上野・秋葉原・御徒町・原宿・神田・有楽町、
でも50cmは狭すぎるか……そこはすみません。心情的なしこりが50cmと大げさに書いたのかも。けど1mの路地は本当に普通にありますよね?
で、片側2車線の道路で歩道は人が2人通れるぐらいの歩道、そこに50cmだか1mだかの路地みたいな道があって、歩道は一旦切れていて交差点という形です。
上側の縦の道路は50cmだか1mとかで、下の縦のは車1台は通れますし、通ってます。(人で溢れかえってますけど)
で、自分は車通りは多いし、人通りも多いしで、自分は普段、歩道を普段は押して歩いてるのと、今回もそうしていたのですが、
図のとおり青信号でも赤信号でも人がずっといて、人通りが凄いのと、加えてここは路地の延長なので、青信号でも赤信号でも
この交差点の上の車道に、右にも左にも上にも下にも行き交っていて、歩行者がチャリでも徒歩でも右側に抜けるのが大変です。
途中から「増」と書いているように、歩道と車道の境目(ですが車道なのでもちろん自分が悪いんですけど)に降りて、
歩行者信号が青になったタイミングで、(人で常に溢れかえっているので青も赤もないんですが)すっと通り抜けようとしたんですね。
でもスクランブル交差点で、歩行者側は縦方向も横方向も青に変わって、一方、車道側は赤に変わってた、という話です。
ぐんぐん飛ばしてたって話でもなく、すっと通り抜けるために時速3-4kmの歩行者と同じ速度で足をついて移動していましたし、
歩行者信号を見るこうした自転車乗りがいないかと問われれば、ネットで調べたら結構いますので、特別不思議とは思っていません。
(繰り返しますが、自分が歩行者信号を見たと言うだけで、良くないことだと思っていますし、車道に降りたら車の信号を見ろというのはどこまでも正論です。)
この図うまく書けてるかわかりませんが。。。
│ │
│ │
――――――│人│――――
人人人人人人│人│人人(歩道)
――(増→)┘人└――――
車→→ 車→→ 車→→
車→→ 車→→ 車→→
――――――――――――――
←←車 ←←車 ←←車
←←車 ←←車 ←←車
――――――┐人人人┌――――
人人人人人人│人人人│人人人人(歩道)
――――――│人人人│―――
│ │
│ │
【追記ここまで】
確かにルール上は信号無視ってことになるし、良くなかったなと反省してるんだけど、
・数秒前まで歩道で押して歩いてた
・小さい方の道路が50cmとか1mしかない路地みたいなところで、みんな道路上に立ってて歩道を押して歩いても渡れないし、赤でも青でも移動できないほど混んでるので、仕方なく車道に出てその50cmの道路を渡ろうとした
・その瞬間、スクランブル交差点というのか、縦方向と横方向どちらも歩行者信号が青になった、つまり車道は赤なのだが、自分は歩道を歩いてたので歩行者信号を見てた
(まあ車道に出たので車道の信号を見ろと言われたらその通りで、ここが確かに悪い)
・他の歩行者のスピードに合わせて時速4〜5kmで自転車にまたがって50cmの移動
・別にぶつかってないけど混んでたので邪魔だったなと反省してる
で、これで危険運転で信号無視だって捕まって赤切符とやらを切られた。
まあ自分が悪かったんだなと反省して、30分ぐらい供述書みたいなのを作ったんだが、そしたら簡易裁判を受けてこいと。
で、厳重注意みたいな話じゃないのかと思って、家に帰ってネットで調べたら、そもそも自動車の赤切符というのは、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転とか事故のレベルで切るもので、シートベルトの締め忘れの現行犯でも白切符(白切符→青切符→赤切符と重くなり、駐禁は黃切符)だと書いてたんですね。
で、気になって更に調べると、
・自分の捕まった日から「 秋の全国交通安全運動 2023 」が始まってたり、
・9月は警察学校の卒配(卒業&配属)前のインターンがいる(インターンかどうかは知らないが若かった)とか、
・下のNHKの記事を見たら、信号無視などを含めて「警告カード」というものがある
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230803/k10014151611000.html
という話で、もちろん形式上は「信号無視」という話になるんだけど、なぜ自分が警告カードや青切符じゃなくて、赤切符という、
ここまで厳しい切符を切られているのか、よくわからないというか、疑問・不満が出てきてます。
信号無視というのも、時速5kmで、直前まで歩道で押してて、渡ったのも50cmとかの路地と同レベルの道路で、だから危険だと思ってないし、実際事故ってない。
もちろん悪いというのはわかるし反省してるんだけど、ひき逃げとか無免許運転とか飲酒運転と同じレベルの切符を切られて、簡易裁判とかで半日費やして、
さらに下手したら前科がつく、という扱いなんだというのがわかり、これが果たして適切な処罰なんだろうか、
自分は卒配前のインターンの練習に使われただけなんじゃないか、ノルマ達成の犠牲なんじゃないか、って疑問が拭えない。
明日、近くに警察署に行って聞いてくるけど、自分は車もペーパーで全く運転せず、当然自動車も自転車も問題を起こしたことがなく、どう考えたら良いでしょうか?
「違反したんだから黙れ」というのは、わかってるから黙っててくださいね。
罪の重さと赤切符というものの重さのバランスに、もやっとしている、納得感がない、ということです。
自転車の厳罰化という話は聞いているが、シートベルトを締めてないのが白切符で、時速5kmで50cmの道路を赤信号で渡ったのが赤切符、というのがどうにも納得がいかない。
なお、直前まで歩道にいたとか、移動するために一旦車道に出ただけという認識なので歩道の信号を見てたと正直に供述?したけど、
それは「信号を見ていませんでした」という供述書?になってた。自分はこう言ったはずだとも伝えたけど手書きで書き直すのが面倒なのか変更してもらえず、
こういうのはパターンがあるから、お前の供述を素に警官が自分で書くからそれにサインしろと言われてたから、まあそんなものかとサインはした。
だけど、なんで供述したことが都合良く? 書かれてなくて、それにサインしなければならないのかも納得が行っていない。
その時は会議が迫っていて、さっさと終わらせたかったし、処理が終わらなくて再度どこかに出向くのが嫌だったので諦めたんだけど。
もう30年ぐらい前の話なんだけど、時折思い出してなんかちょっとしんどくなる記憶がある。
思いたったので供養したいと思う。
小1に上がる前に就学前検診ってのがある。
発育の状態を確認するような健康診断やったり、面談やったり的な内容。
当然当時は年長さんで、別に日頃から練習とかしているわけじゃないから鏡文字が混ざった感じで書いてたんだと思う。
帰ってから母親に「あんたのせいで恥をかいた」と、玄関の冷たい大理石に正座させられて、自分の名前書き取りさせられて、ちゃんと書けなかった罰に鉛筆何回も何回も手の甲に血が出るまで刺されたの。
ちゃんとそのあとは絆創膏貼ってもらったけど、もうその時から、母親のことを信頼できなくなったことをよく覚えている。実家にいた頃は大変辛い時期だった。
もう随分前から一人暮らしだし、いま別に何か辛いことはないのだけど、
時折、ふと思い出して、少し辛くなる。
どうせ面倒くさいんだろ?どっちみちモテないし俺は風俗でいいよ。
どうせ残業とか多いんだろ?どっちみち低学歴だし俺は派遣でいいよ。
どうせ高くてマナーとかにうるさくて食べた気がしないんだろ?どっちみち金ないから牛丼か家系ラーメンでいいよ。
どうせ似合わないんだろ?どっちみち金ないしGUとユニクロで十分。
どうせ税金とか面倒くさいんだろ?どっちみち金ないし瑞江の四畳アパートでいいよ。
こんな感じで酸っぱい葡萄理論振り回しつつ、心の中では既婚者、カップル、正社員、子持ちを羨みつつ生きてきた。
最近首のコリとしこり、乱視がひどくてさ、整形外科行ったら耳鼻科行けって言われ、眼科言っても耳鼻科行けって言われ、耳鼻科行ってファイバースコープってやつ入れた後生検やったら癌だった。医師が「良かったですね!本当に良かった!副鼻腔の腫瘍は珍しい上に、基本的に酷く進行してからじゃないと見つからないんです!今なら外科手術でしっかり治療できます!」って子供みたいにキャッキャしてた。
俺はなんか何も思わなかったんだよな。初期じゃなかったらそのまま死ねるかな〜とすら思ってた。
「生検のことご家族にもお話ししました?安心させてあげてください!」って、俺には家族いませんから。子供や配偶者はおろか、親すらもういない。
治療した所でこの先何があるわけでもないし最後に憧れてたウルフギャングでも行って死のうかなと思ってる。ウルフギャングって一人客入れる?
俺は30代なりたての男なんだが、大学生の頃から死恐怖症(特に癌恐怖症)が治らない。
きっかけは大学時代、病院に行っても解決しなかった謎の膝痛に数ヶ月近く悩まされたこと。レントゲン撮ってもMRIやってもわからなかった。
色々調べてた時に見つけたのが骨肉腫という病気。そしてYouTubeで骨肉腫を再発し当時の自分と同じ年齢で亡くなった女の子の闘病ドキュメンタリーを見たことがきっかけだった。結果的に膝痛はなくなり今ではなんともないが、それ以来俺は癌恐怖症になった。
記憶にないアザや怠さ、歯茎の出血があれば白血病、しこりがあれば悪性リンパ腫、ほくろがあればメラノーマ、下痢になれば大腸がん、幼少期からの鼻炎持ちで鼻くそに血が混じれば副鼻腔癌などなど。
何か一つの症状がある癌に当てはまれば癌だと思い動悸や立ちくらみに襲われ「ついにか…」と倒れそうになる。バイトもあり、思い立って翌日に病院に行ける訳ではないため病院に行き検査結果が知らされる不安で何も手につかない。総合診療医では信頼できず各専門クリニックに行くのでセカンドオピニオン含め財布には12枚の診察券、そして4つの病院の電子診察券を持っている。
「30歳でバイト?」と思っただろうが、この性格なので癌に当てはまる症状が出ると何もできなくなる。留年もしたし、就活も失敗したし、公務員試験も失敗したので現在はバイト暮らしだ。県立中高一貫校から一橋商学部を卒業しているので、幼少期からの親の教育投資を随分無駄にした。
死への恐怖は癌だけではない。電車では後ろに人がいたらホームの先頭には立てない。強盗が怖く、自宅を買い集めた防犯グッズや自作防犯システムで完全防御。大通りや赤信号も常に警戒。
俺の両親は俺が幼稚園卒園前に離婚しており、以来母が看護師として育ててくれた。自称経営者の父は養育費も大学進学費用なども「無い袖はふれない」と一切出さず、母は実家とも疎遠なので大学卒業するまでにかかったお金は全て母が稼いでくれた。
俺は母に「母よりも長生きする」「立派になった姿を見せる」「妻と孫を見せる」という3点を誓っていた。しかし、この死恐怖症によりレールから脱落し立派になった姿を見せることも結婚も孫を見せることも不可能になった今、俺が母のためにできることは母よりも長生きし母を看取るということだけである。
だから俺は何があっても母よりも先に死ぬことができない。先ほど言ったように母は独身で実家とも疎遠で俺は一人息子なので俺が先に死んだら母は一人になってしまう。
それなのに、常に俺に忍び寄って来て隙があれば俺の命を狙おうとする癌や突然の事故、犯罪に対して俺は極度に恐怖し強い怒りを感じる。
脳内整理をするために書く。
昔、ここではないが、記事を書いてプチバズりしたことがある。内容は割愛するが、「幸せなはずなのに失踪したい気持ちが消えない」という感じだった。
記事を書いた一年ほど後に、それを読んで共感してくれた方が私のTwitterを覗いたらしい。その頃、私は結婚の準備をしていた。
その方は記事に「裏切られた」とコメントを残して去って行った。それを見た私はショックを受け、Twitter垢を消した。
の三つに分けて整理したいと思う。
たぶん、NOである。
あの頃は常に焦燥感があった。あの頃を思い返して、文字にするとなると、やはり「幸福だが失踪したい」というものになる。今の自分の考えとは違うが、あの頃の自分を否定したくない。
まず前提として、記事を書いた頃の私と今現在の私は完全に矛盾している。記事の1年後結婚して2年後子供ができて、正しく「理解のある彼くん」案件だ。「なんだ、共感したのに結局ちんこ入れたら生きやすくなるのかよ」と思われても仕方がないと思う。
それでも、変わったこと自体は悪いことだとは思わない。誰だって幸福になれるならなりたいだろうし、なっていいと思う。人口増加にも貢献したし。人口を-1にしそうだった人間が+2にしたんだから、実質3人人口が増えたことになる。
私の一番の間違いは、「固定的な記事に流動的なTwitterアカウントを紐づけたこと」だと思う。
そりゃ記事読んでうわー!どんな人なんだろう!ってTwitter見に行ったら結婚準備で浮かれてるボケがいるんだから、そら裏切られたと思うよな。すまん。
「自分がコメントを書いた人の立場なら裏切られたと思うだろう」と簡単に予想がついたから。
そもそもあの記事は同じように感じている人に向けて、同類がいるよ〜〜と言う気持ちで書いたものだった。「同類」を傷つけた、というのが=自分を傷つけたことになり、勝手にショックを受けてTwitterを消した。自己愛の塊である。
色々書いたけど、②で「変わったこと自体は悪いことだと思わない」と言う結論が出た時点で相当しこりが取れた。時間の経過や環境とともに考え方や受け取り方が変わっていくのは自然なことだと思う。それで誰かを裏切ったとしても、それに自覚的に、生きていきたいと思う。
>>固定的な記事に流動的なTwitterアカウントを紐づけたこと
これが本当に良くなかった。次回は気をつけようと思う。
もちろん、コメントを書いた人も悪くない。裏切ってしまってごめんな。あなたも焦燥感から逃げ切れていればいいのだけど。そしてそれを負い目に感じていなければいいな。
長々書いたけど終わり。
※漫画『ちひろさん』、映画『ちひろさん』のネタバレを含みます。
『守られている』という感覚を知らずに歩く街は心細い。
けど、『ちひろさん』に会った後なら、なにかが足りなくても、つまりあの人が持っているものを私は持っていなくても、それで大丈夫なんだ、と思えるから不思議なのだ。
□
私にとっての漫画『ちひろさん』は、『読む』というよりも『会いに行く』という感じに近い。
『理解する』というよりも『チューニングを合わせる』という感じにも近い。
チューニングが合っている、と表現すると、そこには規則性や正しさがあるみたいに感じるけれど、ちひろさんは揺らぐし、沈むし、また浮かび上がる。
でもその『揺らぎ』や『浮き沈み』こそが『正しさ』で、揺らいでも、浮いたり沈んだりしても、その奥の真ん中のところで『ほんとうのこと』を知ってる自分がいるんだよ、ということを確かめるために私はちひろさんに会いに行く。
私に与えられた意味や、私につけられた値段や、私が身に着けた記号を剥いで丸裸になったって私はいるし、なんかさ、そうやって『持ってる』つもりになってるものなんて全部嘘じゃん?って、ちひろさんの偽りのない目をみていたらそんな風に思えるのだ。
□
高校生のころ、学校帰りに街を歩いていたら、道端で知らない男の人に「あなたがいま履いている靴下がほしい」と言われたことがある。「3000円で」と。
私の高校は、靴下まで学校指定のものを履かなければならなくて、校章が刺繍された靴下は高校の購買部でしか買うことができなかった。
それが『お嬢様学校の指定靴下』としてマニアの間で人気があり、欲しがる人がいるということは知っていた。
なにかの雑誌の対談で、その雑誌の編集者が「女子高生って無敵でしょ」「女子高生ってこの世でいちばん強いでしょ」「女子高生っていちばん価値があるでしょ」って言っていて、「雑誌を編集するような立派な大人がそういうのなら、そういうものなのかな」と思っていた。
テレビでは「いま、女子高生に大注目の○○」とか言って大人は女子高生の流行を気にしてるみたいだし、それに、やがて穴が開いて捨てられるだけの履き古した靴下に、3000円も出す人がいるんだし。
結局、「ばれたら先生に怒られそう」と思って靴下は売らなかったけど、その出来事の後に残った、心臓が冷たくなるようなしこりはいったいなんなんだろう?と思った。
「無敵」のはずなのに、どうして街をひとりで歩くのがこんなにも心細いんだろうって。
□
でもさ、私があのころ怖かったのは、先生に叱られることよりも、「そこに『私』がいなかった」ことなんじゃないかな。あの男の人がほしかったのは『女子高生の靴下』であって、別に私の靴下じゃなくてもよかったんだろうし、『女子高生に人気のアイドル』は別に私の好きなアイドルじゃなかったし。
中学受験でトップクラスの私立中学に入学したけど、そのあと父が浮気して、家に帰らなくなって、お母さんがある日「生活が厳しい」ってこぼしたから、「じゃあ私、学校やめるよ」と言ったとき、お母さんは死ぬほど怒って、私のことを責めた。「こんなにあなたのためを思ってがんばってるんだから、あなたも頑張って学校に行きなさいよ」と叱ったけど、お母さんが捨てられないのは「有名私立に通う私」であって、「私」じゃないよね?
□
映画『ちひろさん』をみたとき、女子高生のころに感じていたあの『冷たさ』の手触りが、もう一度手のひらの中に戻ってきたみたいだった。
『あのキャラ萌えるわ』『そのキーホルダーどこで買ったの?』『私も欲しい』
アニメの話で友人たちと盛り上がりながらも、オカジはお母さんからのメッセージを気にし続ける。
家に帰ると、栄養バランスのよさそうな食事が食卓に並び、お父さんは「週末には、お前がずっとやりたがってた陶芸に連れてってあげる」という話をする。そしてその陶芸を教えてくれる人がどれくらいすばらしくて、オカジのために用意してくれた土がどんなに特別で、どんなにいいものかを丁寧に説明する。
でも、オカジの表情は固い。
どうして親から与えられたものを喜べないのか、どうして今まで友達と一緒に盛り上がっていたアニメの話についていけないのか、オカジ自身も理解できないまま戸惑う。
「あのキャラってありがちじゃない?」「どこかでみたことがあるような感じ」と素直な感想を友達にぶつけて、友達に煙たがられる。
□
「あ、この世のほとんどはカードゲームだったんだ」、と視界が開けるように気がついたのはつい最近のことで、流行りのポケモンカードの開封動画をみていた時だった。
配信者が、私の大好きなポケモンが印刷されたカードをカメラにかざし、「はい、雑魚」と言って机の脇によけた。
そうだったんだな、私が大学のころまで必死になって集めていたのは『希少価値の高いカード』だったんだ。みんながほしがって、みんなが高いお金を出して買う、そういうもの。
『偏差値が高い大学』『美人』『モデル体型』『ランキング上位の職業』が印刷されたカードを何枚持っているか。それが人生だ、と思ってたんだ。
その付加価値の高い『記号』をどれほど子に与えられるかを、親は愛だと思ってたんだ、って。
オカジは「本当はそうじゃない」って心の奥のほうで気づいている人だ。
いま、恋愛もののコミックの棚を眺めていたら、「スパダリ弁護士」だとか「イケメン上司」とか、『記号』の名前がたくさん並んでて、「さぁ、これだけ興奮する記号を集めたんだから興奮しなさいよ」って言われてる感じが結構しんどいんだよな。サプリメントとか、エナジードリンクじゃないんだからさ。
でも、これまでの私はその『記号』に反応して、手に入れて興奮して、手に入らなくて落ち込んで、手に入れても大したことなかったなってすぐ飽きて、次、また次って掻き立てられるように生きてきたし、そうじゃない人生のことを知らなかったんだよ。
私がいま、もしもカードゲームのカードになるなら頭の上には『専業主婦』って印刷されるんだろうし、誰かに職業を聞かれて「専業主婦です」って言ったときの相手の「あー…」って感じの表情を、どうやって受け止めたらいいのかわからないんだよ。
「私はこの人のデッキから外されるんだろうな」っていう、あの感じ。
オカジと同じことを、私だっていまだに恐れてる。
□
「元風俗嬢です」と名乗るちひろさんに、人々はいろんな意味を与える。
『男の癒し』とか『セックスしてくれる人』とか。作品の外でも、『救済の役割を背負わされた人』とか。
「専業主婦です」と名乗る私を、絶句して眺める人がいたり、「大学まで出してもらって、親に申し訳なくない?」って言われたり、
「働かなくてすむなんて羨ましい」という人がいたり、「大丈夫、また社会復帰できるよ」と励ます人がいたり、
「男の重荷」と影で言う人がいたり、
料理や掃除の能力を尋ねて、ハウスキーパーとしての価値を確かめる人がいたり、
なぜか夫の職業を聞かれて、夫の話ばかりされて、「夫の優秀さが君の優秀さの証」みたいにいう人がいたりするのと、どこか似ている。
ちひろさんは元風俗嬢を名乗る。隠すこともできるし、どう考えたって面倒なことの方が多いのに。
ちひろさんは多分、わざと名乗ってるんだと思う。
それは、「セックスワーカーだって立派な職業だということを言いたい」とか、「後ろめたいことなんてしていない」みたいな主張とは絶対違って、ただ淡々と打ち明けているにすぎないと思う。
だって、私、そうなんだもん、って感じ。
理解されるとか、されないとか、価値をつけられるとか価値をつけられないとか以前に、私は私だから、って感じ。
『元風俗嬢』と名乗ることによって、人々がいろんな意味をちひろさんに与えるみたいに、私みたいな人間が、勝手にちひろさんに救われているだけだと思う。
「あ、そうか、私が誰であっても、誰でなくても、人の目線なんて勝手に脱いでいいんだよね、ちひろさんみたいに」って。
ちひろさんが誰かを救おうなんて思っていないと思う。
そして、ちひろさんがやってることって、いまのところ生半可な覚悟じゃできないことなのだ。
記号と、それに与えられた価値でしかものをみることができない人が多い世界に向かって、予測不能の球を投げてるみたいなものだから。
でも、本当はその球があぶり出すのは投げられた相手の価値観と人間性の方なのだ。だからちひろさんはときどきぞっとするほど怖いのだ。
「価値のある場所」には値段が低いものと高いもの必ずあるはずで、ほとんどの人はその高低差を自尊心のよりどころにしている。
「このカードを持っているから」自信を持ったり、「このカードがないから」世界を恨んだり、もしもちひろさんみたいにカードを全部剥いだ人が目の前に現れたら、プライドも劣等感も全部意味がなくなってしまう。
その『地盤の揺らぎ』に耐えられない人がちひろさんに怒り、揺らいだことによって解放される人もいるのだろう。
□
映画『ちひろさん』のオリジナルなシーンの中で、好きなところはたくさんあるけど、私はちひろさんがタエちゃんと自分の母親にどんぐりを渡すところでものすごく泣けてしまった。
たぶん、ちひろさんを産んだお母さんはちひろさんの渡すどんぐりの意味がわからないまま亡くなってしまったんだろう。
私も、自分のお母さんに、ほんとうは私にとっての『どんぐり』的なものを渡したかった。
けど、お母さんががっかりするのが悲しくて、いつのまにかカードゲームの世界にのめり込んでしまった。
お母さんが喜ぶカードを集めて、お母さんががっかりするカードは捨ててしまった。
自分の好きなものが、大切にしているものが、「はい、雑魚」と机の脇によけられてしまう世界で、あのどんぐりの意味を理解できる人の方がきっと少ない。
少ないけど、でも、ゼロじゃないのだ。
『ちひろさん』を描いた人がこの世界にいるように、『ちひろさん』から受け取ったものを映画で表現した人がいるように、『ちひろさん』を演じた人がいるように、『ちひろさん』が何を生きようとしているのか、わかっている人がこの世界にいる。
それを確かめることができるだけで、私も明日からちゃんと私にとっての『どんぐり』を集めよう、と思えるし、そのために街に出て行こう、と思えるのだ。
『最強』のカードを集めるためじゃなくて。
掃除のやり方、順番など人それぞれでやり方はある。
しかし妻は自分のやり方と違うと、「掃除もできないのか?」と語気を強めて言ってくる。
元々鬱傾向が強いから刺激しないように謝ってやり過ごすようにしてたが、子供の前で何度もそういうことをいうのは良くないし、こちらも人間だから限界はある。
やり方が前と違うと怒るとき何回かに一回は元に戻ったりしていて、そういうのを聞いているときに「前と違うじゃん」と思ったりして、心穏やかで居られない時がきて
つい「前はそうやってたけど、やり方変えたのはあなたですよね?」と言い返してしまったりする。
ただ、これは間違った言い争いで、妻の怒りのボルテージがあがる原因となっている。
最終的に謝って怒りを鎮めてもらってるけど、自分の頭の中ではスッキリとはしていない。そのスッキリを手にいれたいけど、その解決策が思いつかないあたり、自分の問題かもしれない。
最近は前に(妻が自分で)言ったことに「固執しすぎなのでは?それは病気だ。」と声を強めに言うようになってきた。
果たしてそれが正しいのか、これはどこまで続ければいいのか、どこに落とし所を持って来れば良いのか。
前述の言い返すような構造は極力避けたいが、スッキリしないしこりのようなものが自分に溜まっていくだけだろう。
だからと言って、自分たちには子供もいるから育てる義務があり、それを放棄することはできない。
自分が言い返すことでこちらも声が大きくなってしまうのは非はあるが、それに至る言われのない妻からの怒りをどう円満に向かわせるのか、
それを解決する術を持ってない自分の未熟さから悩みが尽きない。
離婚と言ってしまえば簡単かもしれないが、子供への申し訳なさ、似たような怒りを子供に向けたこともあり、細かなことへの怒りが子供に向かわないかという心配があり、なかなか言い出せない。
ワイ「いってらっしゃい」
別にそのAくんが嫌われてるとかじゃないんだよね。
まあ特別好かれてるわけでもないと思うけど。
Aくんの挨拶はワイに向けたあいさつではなく、全体に向けて言うような感じ。
なんならワイが一番Aくんからは遠い。
挨拶だけじゃなくて、ちょっとした書類のやり取りとか、普通なら「あ、それ○○だよ」って声が出る場面でも、
なんも言わない。無言で書類だけすっと差し出してくるとか、知ってるのに知らんふりでなんも言わない。
Aくんと同じ立場のBくんCくんもいるが、
この二人も最初は「いってきます」って言ってたのが、今はもう黙ってすっと出るようになったよね。そりゃそうなるわ。
他の事務員がそこまで極端に心根腐ってるやつではないと思うんだよ。
他の場面ではまあまあ普通に挨拶できるし、話しててもまあまあ気のいい人たちだし。
でもなんで、あの場面ではみんなして無視できるんだろう。
Su1:温室
→Su2-1:鍵がないので出来ない
→Su2-2:「言いたいことがあるなら言え」で鍵をくれって言って掃除する
→Su2-2-1:ミオリネがデリングの怪我/出張を言い訳に戻ってこなくなる
→Su4-1:ミオリネは学園にいるけど12話Cパートの件で避けられる
→Su5-1:勝ちました!って嬉しそうに報告する
→Su6-1:デリング&ミオリネ救出だけクローズアップ。学園内で一躍英雄視され、学園内ヒエラルキーが上昇
→Su6-1-1:やっぱり正しいことだったんだ!でスレッタ調子に乗る→Su4-1発生
Su7:5号イベ
→Su7-1:10話でデートしても良いって言った&Su4-1発生で5号と再接近
→Su7-1-1:5号がミオリネを馬鹿にする発言をして、決闘発生
→Mi8以降に発生
○ミオリネ・レンブラン
Mi1:温室
→Mi1-1:トマトを見ると思い出すので温室に行かなくなる。世話はスレッタに任せっぱなし。Su2-2-1へ。
Mi2:部屋の掃除
→Mi2-1:鍵を渡さない
Mi3:メール
→Mi3-1:返事しない
→Mi3-1-1:別フォルダに入れて視界に入れないようにする→スレッタと和解後読む
Mi4:鬱陶しいくらい来て
→Mi4-1:スレッタを避ける
Mi5:決闘:
→Mi6-1:スレッタをそう呼んでしまったことに苦悩する→Mi4-1を選択
→Mi6-1-1:Su2-2-1ルートで接触がなくなる。断絶の時期へ
→Mi6-2:スレッタに謝罪。一応仲直りするけどしこりは残る
→Mi7-1:ジェターク社と手を組んでグループ分割阻止
→Mi7-3:ペイル社と組んでグループ分割阻止
→Mi7-4-1:運び屋フェンのツテを使って宇宙議会連合に協力を仰ぐ。ミオリネとの関係や交換条件は不明。本編待ち
→Mi7-5:奮闘の甲斐なくグループ分裂。少なくともグラスレーは離脱
→Mi8-1:エアリアル改修について問答。ここでスレッタ変化の理由を悟る
※このイベントは絶対発生するけどいつなんだろう。スレッタと和解するにはこの人が必ず障害になる
※ミオリネが社長である以上、対応はミオリネがせざるを得ない。チュチュが絡んでくるのは必至。
→Mi10-1:テスターとして雇ったのに来ないのはどういうことだ!ファラクトはいつ来るんだよ?
→Mi10-1-1:Su7-1と合流。スレッタと再度喧嘩イベ発生
→Mi10-2:5号絡みでベルメリアとの対話※生きていれば良いんですけど
○グエル・ジェターク
Gu1:父親殺し以降
→Gu1-1:フロント側に捕まった後、ジェターク社へ帰還
→Gu1-1-1:Mi7-1へ。条件はジェターク社への資金援助と(父の願いを叶えるべく)ミオリネとの結婚
→Gu1-2:テロリスト側へ回収されて地球降下。ガンダム伝統芸はグエルが実現
○ラウダ・ニール
※ジェターク姓ではない=後継ぎではない、と暗に周囲に周知されてるっぽいので……
La1:父死亡
→La1-1:Gu1-2を受けてCEO代行に就任。La1-2-1へ
→La1-1-1:社内のグエル派とラウダ派の派閥争いに引っ張り込まれ、いつの間にかグエルと対立構造を作られる
→La1-2-1:グエルが学校を飛び出したのはスレッタのせいだと逆恨み。シュバルゼッテを生産。スレッタと決闘/スレッタの命を付け狙う
※この場合、シュバルゼッテの情報元はフォルドの夜明けを経由したシャディクじゃないかと
○ソフィ&ノレア
SN1:アスティカシア学園に編入(ツテはグラスレー乗っとった後のシャディクかな)
→SN1-1:ソフィとノレアどちらか、あるいはスレッタと決闘。誰かの思惑によりエアリアルのパーメットスコアをあげる餌にされる
※SN1が発生した場合、Gu1-2へ。グエルは学園に戻らない(ソフィの正体を知っているからメタ的に戻せない)
○シャディク・ゼネリ
→Sh1-1:地位失墜。グラスレーを追われる。ガールズと一緒に地球降下でフォルドの夜明けと組んで何か始めるかも
→Sh1-2-1:Mi7-2へ。条件はミオリネとの結婚
→Sh1-2-1-1:総裁選のためジェターク社を買収
→Sh1-2-1-1-1:Mi7-2へ。Sh1-2-1よりも票数を持っているので、ミオリネが拒否しづらくなる
→Sh1-2-1-1-1-1:シャディクとミオリネの結婚式にスレッタ突撃 ※さすがにこれはない
○ニカ・ナナウラ
→Ni1-1:マルタン暗殺……は難しいなぁ。体で口封じも無理だと思う
※4号vsグエル戦を見て「電磁波を帯びた砂があんなに」と戦況を見る目はあるようなので、もしかするとモールス信号も理解できてる?
→Ni1-2:学生の船だとモールス信号を打って見逃してもらったとマルタンに説明。地球寮全員で学園帰還
→Ni1-2-1:学園帰還後シャディクと合流。Sh1-1で地球、というかフォルドの夜明けに帰還
→Ni1-2-2:学園帰還後マルタンにより寮内でばらされる。地球寮分裂の危機。Mi9へ
→De1-1:手当ての甲斐なく死亡。クワイエット・ゼロはプロスペラが権限を握る。Mi7発生
→De1-2:生存、でも重傷のためあまり動けない。ミオリネに総裁選を託しMi7へ
#ここから下はただの予想
■ソフィ&ノレア
彼女達は強化人士なのは確定っぽいですね。しかもそれぞれが魔女で花嫁だから、スレッタ&ミオリネのコンビに対抗するポジション。2クール目終盤までがっちり出演。
ソフィはソフィア、ノレアはノーレアと、それぞれがグノーシス主義における「神の子の花嫁」が元ネタ。ゆえに「魔女で花嫁」。
ソフィがスレッタを「お姉ちゃん」と呼ぶのは血縁ではなく、お互い魔女と呼ばれる存在だから。魔女の先輩=「お姉ちゃん」かな、と。
■ゴドイ
プロスペラの部下としてちょくちょく出てくるこの人、もしかして元オックス・アースの人じゃないでしょうか。プロローグだとフォールクヴァングにいた男性がオックス・アースからの出向、女性がヴァナディースのメンバーだったらしいのと、11話で「20年も経ってまだ魔女が怖いのか」と発言しているので、ヴァナディース襲撃をきっちり理解している=オックス・アースのエージェント兼プロスペラの護衛を兼ねてるんじゃないかと。
■エラン5号
ミオリネが10話でスレッタに「決闘はダメだからね」と発言してるので、決闘フラグが立ってしまったようです。ここで決闘しないと4号死亡バレ&ファラクトは危険、の暴露来ないので、何らかの方法で決闘せざるをえない状況が成立するんじゃないかと。でもスレッタから決闘申し込むと5話の再来になってしまうので、うーん。
この人死亡フラグ立ってません?
おまけ:
女性視聴者は「ミオリネは1話からスレッタに惚れていた」と言い、男性視聴者は「序盤のミオリネはスレッタを弾除けに使うつもりでいた」と評するんですね。
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。
ワイは昼間しこりすぎてもう無理やでという話