はてなキーワード: 神の国とは
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/02/news088.html
ちょっとまえ、このニュースを読んだときに
なんかきもいなと思ったので、wikipediaでWHOを調べた。
単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(WHO憲章前文より)
とされていて、かなり広い目標を掲げている。
不幸にして健康の維持が難しい人に、
完全な肉体。完全な精神。完全な福祉。
神の国ですか。すばらしい。
「一病息災」とか呟いたらえらい怒られそうだ。
我ら迷える子羊は完全体にはなりえないので、
世界保健機関憲章第1条
を選択できることを目的」じゃなくて
「に到達することを目的」なのですね。
まあ、飲み放題は使わないから、個人的には困らないけど。
この件についてはね。
民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。
一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した。
あなたのような者が、神の国をつぐことはないでしょう。
今まで、自民党は、55年体制の下、経済政党、現実政党としての側面を示してきた。個別の政策には、賛否両論はあるが、このスタンス自体は非難されるべき点ではない。しかし、自民党にはもう一つの側面がある。それは、保守イデオロギーの体現者としての役割である。
私は、自民党が下野したことで、経済政党、現実政党としての側面が消失し、単なるイデオロギー政党になり下がることを懸念している。
自民党のセンセイ方の中には、勢い余って、単なる右翼と変わらないような主張をするときがある。中山成彬、安倍晋三、森喜朗など。「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「美しい国」「日本は天皇を中心とする神の国」、彼らが繰り返してきた発言の背後には、現行憲法に対する苛立ちと、それに連動する、明治以降の近代日本において創造(かつ想像)された、余りにも素朴過ぎる国民国家観(領土、国民、国家が一つになって、国民は単一の存在として把握され、平準化されるべきだという国家像)が垣間見える。中曽根(父)が作成した改憲草案は、近代の産物であり、20世紀前半から中盤にかけて頂点に達した、「国民は一つであり、一つになるべきである」というイデオロギーを露呈している。そういえば、中曽根康弘って、「日本は単一民族である」と発言しているんだよな。書いていて今思い出した。
イデオロギーは、特定の支持者にとっては、ありがたいものである。しかも、一種の洗脳であるので、熱烈な支持を生み出す。妥協が許されない。イデオロギーは、対立する世界を認めない。そのイデオロギーを熱心に支持する者にとって、解は一つしかない以上、複数のイデオロギーの共存は難しい。したがって、論争が集結しない、世界観対立しか生み出さない。これには、なんの生産性もない。
個別政策に賛否はあるかもしれないが、経済政党、現実政党としての自民党は、それなりに評価すべきものがある。
民主党も、今回の選挙のマニュフェストが現実路線へ転換した、と言われているが、政権を担うに当たって、経済政党、現実政党としてのスタンスを取ることにしている様子。個別政策には異論がありうるが、このスタンス自体は、賛成すべき。
しかし、民主党は、参院の勢力構図上やむを得ないとはいえ、社民党と協力する道を選んだ。社民党は、上記の自民党のように、イデオロギー政党である。特定の支持者(絶対平和を愛する人たちなど)しか支持を集めることができない。これは、民主党の政権運営にとって致命的になる可能性がある。
特定のイデオロギーを熱烈に支持する人にとって、妥協は屈辱である。現実に合わせて、政況に合わせて、妥協を選択し続けると、支持が乖離する。これは村山内閣時に起きた、社会党離れである。
あまり知られていないことかもしれないが、成立した法案のほとんどは、自民党と民主党が成立に合意したものである。共産党は「民主党政権の建設的野党となる」とのたまっているが、全く違う。自民党政権の最大の建設的野党は、民主党である。民主党も、自民党の政策のほとんどに最終的には賛成している。政策を遂行する手段、方法には反対する時もあるが、政策の目的自体には賛成している。
はてなで最近人気を集めた「民主党に政権取られてしまいましたが・・・」のエントリ。http://anond.hatelabo.jp/20090906052539
これも法案のほとんどが自民、民主が合意したものであることを忘れている。いわゆるド派手な「対決」法案は、全体のわずか1割以下。年によっては片手で数える程度の時もある。今年の国会は選挙前なので対決ムードを演出したかった様子だが。むしろ、対立が多いのは、「自民党+民主党 vs 社民党+共産党」という構図。法案の成立に最後まで反対する社民、共産の拠り所は、現実ではなく、イデオロギー。
民主党は、思った以上に現実政党、経済政党である。確かに政権を担当していないため、自民党のセンセイ方の現実感覚よりは鈍いかもしれないが、それも程度の問題。今までずっと副委員長や書記の立場だった人が、委員長になる感じ。民主党には閣僚経験者もいるし、現実感覚は、それほど心配していない。2~3年経験を積めば、マシになると思っている。
むしろ、足を引っ張る可能性があるのは、左派イデオロギーの体現者たる社民党である。みずほちゃんが現実に合わせて妥協する態度をとると、社民党信者の支持が離れる。左派イデオロギーを貫徹すると、現実に合わない。民主党300超議席の前には、単なる幼女の我儘にしか映らない。
イデオロギーは単なる世界観対立しか生み出さない。現実の政治の前には優先順位は低い。民主党はそれが寄り合い所帯であるから、イデオロギーを前面に出すと党が瓦解することを知っている。そのため、実は、イデオロギー政党としての側面は、自民党よりも弱い。
下野した自民党は保守イデオロギーにこだわらず、建設的野党として、経済政策などに協力すべき。与党となったみずほちゃんは、現実の前に妥協を許さないイデオロギーを吐くべきではない。それが嫌なら、閣外協力か、共産党と同じ道を歩みなさい。私は、このように思っている。
なお、このエントリを読んで、私が反イデオロギーの立場に立っていると思われるた方へ。私は、多様な世界観が共存することを前提とした上で、政治はできる限り個人の世界観を抑圧も奨励もしない方が良いと思っています。個人が特定のイデオロギーを持つことは否定していません。
こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。
本日のゲストは宗教や伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。
「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします。
まず、もうイヴも終わりましてクリスマスに突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。
「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」
おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?
「ええ、おそろしいです」
それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。
「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」
日本が戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマスの商業化などと関係ございますでしょうか?
「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」
困ったこと、とはなんでしょうか。
「その前にこの映像をご覧下さい」
クリスマスー粉砕ー!
清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!
これはなんでしょうか。
「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモの映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」
笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。
「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」
まあたしかに、有名なところでインドや中国にもそのような思想はありますね。日本の新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。
「また、クリスマスは商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知は重要なのです」
クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。
「つぎに、この映像を見てください」
なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?
「いえ、今現在のアジアを日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」
宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。
「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」
これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。
「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」
幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。
「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」
じゅ、呪術?
「クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」
そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?
「目的は一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」
うわ?照明が消えましたね?
「文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」
誰ですかあなた方?警察?
「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!」
皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!
「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」
あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。
視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日もゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。
さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう。
八百万の神の国だからとはいえ、カジュアルに神を語りすぎなんじゃないですか
写真の神を舐めすぎじゃないんですか
ここで語られる文脈ににおける「神」って、「凄い」と同意義の形容詞だと思うんだが。
とhttp://anond.hatelabo.jp/20071027172214
http://anond.hatelabo.jp/20071027171043を書いたものですが、私は「プロでもない人が撮ったのなら普通にいいよー、よく撮れてるよー」ってことが言いたかったんであって、「神」と言っているのは元増田であるのでそこは区別して欲しいなと。
八百万の神の国だからとはいえ、カジュアルに神を語りすぎなんじゃないですか
写真の神を舐めすぎじゃないんですか
いや私に言われても。そういう話は元増田にどうぞ。
(以下あまりまとまっていない文章です、、、、、あと宗教嫌いの人は読まないほうがよいです。)
表題URLの内田先生の記事「格差社会って何だろう」が、どこか心に突き刺さるのは半面の真理を述べているからだろう。
私は刻下の「格差社会」なるものの不幸のかなりは「金の全能性」に対する人々の過大な信憑がもたらしていると思う。
金は確かに全能ではないから、必ずしも人を幸福にするものではない。
聖書には以下の記述がある。
■ルカ 18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
金があることはむしろ害悪であると。
内田先生はそこまで強いことは言っていないが、方向性は似ている。
■ルカ 18:22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
■ルカ 18:23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
このフレーズでは
が示唆されている。
人間には不可能なくらい困難な要求だが、そうしなければ神の国へ入れないと。
正直自分が持ち物をすべて売り払って施せといわれてもとてもじゃないがそれはできない。人生でそういう境地に達することはあるんだろうか。
しかしそういう不完全な自分でも、ここでは気になるのは、「社会がそういう施しを自動的にする仕組みをつくれ」と言っているのではなく、「(金持ちである/←これいらないな)あなたがそうしなさい」と個人に向かって言われている点だったりもする。
キリストの示唆は、今の格差社会では忘れられているポイントがいくつもこめられているように感じる。
※文中の(金持ちである/←これいらないな)内は公開後修正削除した部分です。
http://anond.hatelabo.jp/20070630210637
「顧客第一主義お客様は神様」「ここだけのヒミツ・アナタだけにそっと教えます」「これが神のお示しになった奇跡なのです」「滅私奉公誠心誠意」「逆援助交際希望のセレブ女性」「貴方の幸せが私の幸せ」「ご支援ご声援をいただいた有権者の皆様の信頼を失うことの無いよう全力で取り組みます」「カレシ?いませんよ(笑)」「全米No.1」「君は将来きっと伸びる」「10万44歳」「本当はこんな事言いたくないんだけれど」「アンタの事を思って言っているんだ」
「大衆は豚だ」「民主主義なんて糞食らえ」「貧乏人は飢えて死ね」「無党派は投票に行かず寝てて欲しい」「我が国は神の国で不沈空母」「一生遊んで暮らしていたい」「双子の幼女と3Pしたい」「勉強したって何の役にも立たない」「馬鹿な男を騙して貢がせて何が悪いの?」「女は黙って股開け」「クソジジイはやく死んで遺産よこせ」「日本軍に戦犯など誰一人いるものか」「童貞キモイ」「うざいチョン公皆殺し」「俺以外の全員皆救いようの無いアホばかり」
個人的には上より下のほうがうそ臭く感じる。
自分の本音と他人の本音は違うものだし。
例えば一国の指導者が「大衆は豚だ」「民主主義なんて糞食らえ」「貧乏人は飢えて死ね」「無党派は投票に行かず寝てて欲しい」「我が国は神の国で不沈空母」等発言したとして、自分はそれ自体については全くと言っていいほど嫌悪感は無い。お互いがお互いに対する憎悪剥き出しで罵詈雑言連ねて罵倒し合う現場に遭遇したとしても同様。むしろ清々しささえ感じる。他にも「一生遊んで暮らしていたい」「双子の幼女と3Pしたい」「勉強したって何の役にも立たない」「馬鹿な男を騙して貢がせて何が悪いの?」「女は黙って股開け」「クソジジイはやく死んで遺産よこせ」「日本軍に戦犯など誰一人いるものか」「童貞キモイ」「うざいチョン公皆殺し」「俺以外の全員皆救いようの無いアホばかり」等も自分にとっては大変聞いてて心地良い言葉だ。そこに「嘘」は全く無いのだから。
自分の考える「嘘」の例として「顧客第一主義お客様は神様」「ここだけのヒミツ・アナタだけにそっと教えます」「これが神のお示しになった奇跡なのです」「滅私奉公誠心誠意」「逆援助交際希望のセレブ女性」「貴方の幸せが私の幸せ」「ご支援ご声援をいただいた有権者の皆様の信頼を失うことの無いよう全力で取り組みます」「カレシ?いませんよ(笑)」「全米No.1」「君は将来きっと伸びる」「10万44歳」「本当はこんな事言いたくないんだけれど」「アンタの事を思って言っているんだ」等あるが、考えただけで反吐が止められない。
人の価値観や思想それ自体には殆ど興味が無く、その人が正直か嘘吐きかどうかその1点においてのみしか評価を下せない事は果たしていけない事なのだろうか。
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
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「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
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そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
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これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
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長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。