はてなキーワード: 疑似科学とは
あなたこそちゃんと僕のエントリ読んでください。
僕は疑似科学批判者の主張する所については理解できます。
そのやり方が下手糞だと言っているのです。
当たり前でしょう。血液型診断とか、あんなもん信じてませんよ、僕は。
ただ、真実でなくても有用性については認めています。
疑似科学批判者は言説をもうちょっと上手くやれよ、とみんなに言いたい。
はぁ?すさまじく頭悪いな。
という主張に対して
強いて言うなら
『スイカを果物として扱うのはおかしい。野菜に分類すべきだ。』と言ってる人間に対して『いや、スイカは野菜なんだから果物として扱ったら問題が起こるんだよ、だからお前の主張は間違ってる』とかいう意味不明極まりない返しをしてるのと同じだぞ?
>科学と文化を分けろ
科学信者は疑似科学を「科学」として扱ってほしくないのではないの?
だから文化として語った。
>決め付けるのもまた裏づけの無い
それを言うなら、
>偽科学批判っていうのは「検証もせずに信じて疑っていない」人間に警鐘を鳴らすためのものだろ。
ここもまず裏付けてくれなくては。
っていう水掛け論になるでしょ?
それを抜きにしてもぼくが言いたいのは、疑似科学批判論者の態度についてである。
俺はそうやって自分の信じたいファンタジーを
他人にも共有させようとする輩にうんざりする。
心の中で信じてるだけなら無害だが口に出して疑似科学を説いた瞬間に
甘いファンタジーを一緒に楽しもうという脅迫に変わっている事に気付いて欲しい。
それともそれは俺に対しての踏み絵のつもりな訳?
自分が信じたいようにしか信じない癖に、それを周囲に振りまいて
軽い小石を投げ込んで水面を揺らす事は許さないというんだね。
そういうのは親しい仲間内か、円熟期の恋人相手とだけで分かち合っておくれよ、頼むから。
科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
駄目だこいつら……早くなんとかしないと……と夜神月ばりの顔になった。
もちろん、エントリ主ではなく、ブコメで叩きまくってる連中にだ。
ぼくはなぜ自分が疑似科学批判論者にイラッとするのかわかった。
彼らはまず、自分(科学)が唯一の正義であると信じて疑っていないのである。
そんな態度じゃ、いくら正しいことを主張していたとしたって、話を聞いてもらえないというのが解らないのだろうか?
その偏執的で高慢な意見の数々を見ていると、そりゃ科学が宗教と一緒にされちゃっても仕方ないよ、と思う。
科学であるというだけで盲目的に信頼する姿勢の方が、よっぽど詐欺に合いやすいと思うのだが。
まあ、こういうブコメから解るように、この手の疑似科学批判で多いのは、
「ニセ科学自体が「科学を詐称してる」「ウソをついてる」などの「詐欺」だから」であり、転じて
「嘘を信じちゃうことの不利益」がある、というこういう言説が多い。
そんな彼らにどう思うか尋ねてみたい諺がある。
「鰯の頭も信心から」という諺である。
プラシーボ効果を許さないのか、と言い換えても良い。
実際に信心を持って、偽薬を薬と成した人に、
それは「薬ではない」と宣言して、その効果を打ち消すことが
果たして本当に正義なのだろうか?
疑似科学は、本当に悲劇しか齎さないのであろうか?
マイナスイオンのドライヤーを買って、髪の毛がサラサラになって少しかわいくなった気がする、勇気を出して家から出てあの人をデートに誘ってみよう!
「いや、それ錯覚ですから! あなた不細工のままですから! 残念!」
また、例えば、飲み会の席などで気になる異性に話しかけたいとしよう。
うわべの会話でなく、相手の性格をもっと知りたい。
そんな時に会話の端緒として「血液型、何型?」と訊くのは、これだけ血液型に対するコンセンサスがある日本では、実際にかなり有用なことである。
「○○ちゃん、何型? そうなんだ、××な性格って言われない?」
「えー、うち、そんなことあらへんよう……けっこう、落ち込みやすい性格やと思ってるんやけど……」(ぼくが萌えるので便宜的に関西弁風女子とさせて頂いた。意味はない)
そこからフォローするなりアドバイスするなり裸で向き合い本当の性格をキャストオフさせてあげるなりワンナイトカーニバルを決めるなりはあなたの腕の見せ所だ。
少なくとも「血液型何型?」と訊かれて「そんなのは疑似科学なんだ。それよりアインシュタインがどうやってブラウン運動からアボガドロ定数を求めたか知ってる?」と返すよりは仲良くなれるだろう。
「嘘も方便」
こういう諺もある。
差別に使われるかもしれない。でも人を救うこともあるかもしれない。実際、血液型云々は、会話の潤滑剤として現代の社会ではまだ充分に有益なものなのである。
疑似科学批判批判批判をする人間は、あたかもそれを排斥することが唯一の正義であり唯一の価値観のような顔をして主張するのが、どうしても解せないのだ。
・民間信仰もまた文化である
そして、この立場からも、言わせてもらいたい。
あなた達がその科学は偽である、間違いである、と主張することも諭すことも自由ではあるが、それを信仰する人間自体を貶めて良い理由にはならない。
批判者を馬鹿と断じる心こそが、最も醜く差別的な精神であると思う。
ぼくはなにも、疑似科学批判批判の批判をするな、と主張したいわけではない。
科学者はデータや検証が全てという価値観の中に生きているのだろうが、世間一般の人はそうではない。
人を説得するなら説得するなりの、言葉や態度というものがあるのだ。
それを「科学」信者が自覚しない限り、血液型診断は100年先も余裕で生き残っているだろうと思う。
<11/17 追記>
元増田です。
このエントリで一番言いたかったことである
「疑似科学批判論者はまずキレすぎ。キレるな。」
ということが微塵も伝わらなかったので、絶望しました。
もうこの問題に言及するのをやめます。さようなら。
ニヤニヤ
うーん。誰と何を争ってるんだかわかりません。
遺伝子が考えているわけじゃないし、しきりにサカルあなたと意中の相手を争っているわけじゃないし。
増田に書いてるあなたが遺伝子そのものであり、見目麗しく異性からのアプローチが絶える事のないあなたの外見が単なる器であると思い込まれるのは自由ではありますが、疑似科学に片足つっこんでると思います。
基礎的な知識がないのにヘタな擬人化をするのはおよしになられたほうがいいかと思います。
炎上の特徴のひとつとして、相手の精神が擦り切れてしまうってのがある。たとえば、理性で反論しようにも、匿名なので深いところまで掘り下げられない。何度も何度も、論破したはずのことが(おそらくは違う人から)繰り返される、炎上の理由にもいろいろあるが、仮に集団でぶったたいているほうに理が無いとしても、ほぼ説得は不可能。こうなると、普段理性的なほうから心が折れる。だって、いわゆる馬鹿の壁の物量攻撃だもん。
疑似科学系でありがちなのは、論破された人が、なぜか何度も同じ事を繰り返すこと。聞いていないのか、聞いていない振りなのか、馬鹿すぎてわからないのか不明だけど、とにかく同じやつが延々と同じ事を繰り返す。で、説得するほうの心が折れる。ちなみに、その「トンデモ」のレッテルを貼られたほうから見ると、馬鹿の壁が集団で自分を叩いているように見えている。これは疑似科学者の古くからの特徴。
そういうわけで、息の長い疑似科学者は炎上耐性の強いやつが炎上という環境圧力に負けずに生き残っている状態。エリートといえる。
松浦氏に関しては「馬鹿が」といえば炎上するに決まってんのになぁとおもう。この人は無駄に感情的なんだよ。ま、それが行動力の源だし、今回に限って言えば愛国無罪的嫌中意識にあおられて理性を失っているやつをおびき寄せて一網打尽にするという意味では効果的だよな。
俺?俺は中国嫌い。
普通に書いたらと学会持ち上げそうな記述になって、ちょっと直してああなった。すまん。
リベラル思想=左翼というワケでもないよね、確かに。左翼でも911陰謀論とか非科学、疑似科学みたいな変な説を持ち上げたりするし。
つづきです。「殺虫剤入り蚊帳」の配布に反対しているNGOの話です。
アフリカでの「殺虫剤入り蚊帳」の普及に反対しているNGOが多くて(協力関係にあるの?)絶望した。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_08/pico_118.html#118-3
http://www.npo-supa.com/active/noyaku.html
彼らの主張によれば、使用されているペルメトリンは有害であって、蚊帳には本来、殺虫剤は必要でなく、殺虫剤を使用しない普通の蚊帳にすれば3倍以上の蚊帳を配布できるとしている。
しかし、彼らの主張はどれも根拠の無いものばかり。
ペルメトリンは、現在も日本で認可され、広く使用されてはいるが、アメリカ科学アカデミーが1987年に公表した発がん性リスクの一覧表の中で、「C」(ヒトに対する発がんの可能性がある物質。動物実験で一定程度発がん性が認められているが、
アメリカ科学アカデミーが何かは知らないが、この分野ではもっとも権威のあるIARC(国際がん研究機関)も、またACGIH(米国産業衛生専門家会議)も発がん性の可能性があるとは分類していないし、EHC(環境保健クライテリア)の評価でも発がん性については否定的な評価です。アメリカ科学アカデミーとやらの評価や、発がん性の可能性があるというデータは私は見つけられませんでした。
http://www.inchem.org/documents/iarc/vol53/08-permethrin.html IARCの評価ではGroup3(分類できない)です。2A(可能性がある)よりも下になります。
http://www.inchem.org/documents/ehc/ehc/ehc94.htm EHC。発がん性に関しては否定的。
これらの蚊帳の利用者は無償で受け取ることになっており、蚊帳の生産から利用者に届くまでの諸経費の大半はODA資金で賄われる。他に国連関連団体のWHO、ユニセフ等で配布支援を行っている。1張のコストは、蚊帳のサイズ及び、為替レートにより異なるも2005年10月時点で約700円とされている。
(中略)
サパは、ギニア産蚊帳を農民中心に配布しているが、1張り当たりのコストは約200円前後である。農薬蚊帳1張りに対し3倍以上の数量配布ができることになる。マラリアの予防に蚊帳は有効であるが、利用者の健康を阻害し、コストの嵩む農薬蚊帳は不要で且つ、税金の無駄使いと言わざるを得ない。
マラリアの予防に蚊帳が有効で、かつ3倍以上の数量配布が出来たらとても素晴らしいと私も思います。でもそれはこの変なNGOの妄想であって、現実ではありません。マラリアの予防に「蚊帳」が有効なんて、証明されてません。一方、「殺虫剤処理した蚊帳」がマラリア予防に有効であることは証明されています。医学分野ではもっとも信頼できるエビデンス、コクランライブラリーによる系統的レビューによって。
http://rbm.who.int/partnership/wg/wg_itn/docs/Cochrane_reviewITNs2004.pdf
これによると、マラリアの罹患数は約半分に、子どもの死亡率は17%削減(アフリカに普及させることができれば年間37万人が助かる)することができます。さらに、同レビューから、「殺虫剤処理しない蚊帳」の効果がほとんどないことも明らかなんです。つまり、殺虫剤処理しない蚊帳なんて、意味がない。ほとんどの効果の無いものを、3倍以上配布できたって、やっぱり意味ないですよね。
・・でも彼らは、
また、農薬蚊帳を使うことによって、マラリア罹患率が劇的に下げることができた発表されていますが、それは、単に蚊帳を使用していなかったからです。農薬のついていない普通蚊帳を使用した時、農薬蚊帳を使用した時、という状況下での比較データーはありません。
なんてことを言ってたりします(サパの掲示板 http://6408.teacup.com/supa/bbsより)。比較データはあるんですよ。よほど彼らの調査能力が皆無なのか、それとも意図的に嘘をついているかのどちらかです。
私、これ調べるのに、疑問に思ってから資料集めてざっくり読むまで一時間くらいしかかかってません。
なんていうかね、ここまで来るともうリスクの比較とかそういうレベルじゃないと思うんだ。NGOに難癖つけられてるに等しい。
http://d.hatena.ne.jp/tondora/20080530#p3 彼らはプロ市民だっていう指摘があった。
疑似科学も有害だけど、こういうNGOも本当有害だと思うんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20080627/p1 なんか宣伝してまわってる先生もいるし・・。大学の先生なんて専門外ではトンデモになっちゃう例も多いですよね。私も、この件は別に専門じゃないので、批判はありがたいです。
殺虫剤無しの蚊帳なんて配布したら、本当いい笑い物になります。国際的に。
あれが本人も信じていない詐欺だったって実証されてたっけ?
疑似科学だということは分かるよね?
本人に騙す意思があったかどうかはシラネ。
だから「・・ではなかろうか。」「・・じゃね?」って俺は言ってる。
アドバイスをするというのは、疑わしい療法だ。
だが一般的に大した害もないだろう。
Giving advice is a doubtful remedy,
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
世界的に有名な児童精神科医、製薬会社との金銭的繋がりを暴かれる - 精神科医の犯罪を問う - Yahoo!ブログ
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。
ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。
それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。
俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベートの戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。
これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
つまり、君が絡まなくなるまでだ。
別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。
ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカに亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカのナショナリズムの勝利ということなのだ。
で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本(英語も文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。
底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機やプログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄なコードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。
以下は枝葉末節。
具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。
そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本の古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価の反動で明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本にプロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
なぜそういうものができないか?
じゃあ、たとえば、反歴史修正主義とか反疑似科学のFAQってあなた見たことありますか?いや、かなり上質なものがあるんですよ。でも、歴史修正主義者や疑似科学信奉者はそれを読まないでしょ。だから、反歴史修正主義や反疑似科学の論陣を張る人も、もう諦めてしまってる。「ググれカス」どころか、「ググる」ことをしない人たちこそが歴史修正主義者であり、疑似科学信奉者の本質なんですよ。
非モテにしても同じこと。非モテ論が歴史学や自然科学ほどの確固たる基礎を持ってるとはさすがに非モテの俺でも思いはしないが、しかし反非モテブロガーのお粗末さはそれに輪を掛けてひどいものですぜ。
何よりもまず、「非モテとはプレイボーイになりくてもなれない奴のこと」という誤解一つ未だに解けないわけです。そうした前提を踏まえないで「非モテはキモい、うざい」なんて頭ごなしに決めつけるコメントが数多く入ってくるのでは、なかなか神経が持ちませんよ。まして、「覚悟」みたいな極端な一例をもって「非モテは、女は全て肉○○だと思ってるんだろう!」とかそういう頭ごなしの非難までが一定周期で降りかかってくるのでは、とても当初の目的を果たすどころではない。こうした論点は既に何度も通過されたところであるのに、誤解を解けば解くほど誤解する人間が増えていくような無力感に陥るわけです。「なんどめだ」という言葉を非モテがつぶやくのはどういうことか考えてみてほしい。「どうせFAQを作っても読んでくれないだろう」という諦念が非モテには共有されてるわけです。
実際、非モテを叩いてる人ってのは、過去記事読めと具体的な記事を挙げても、まともに読まずに、色眼鏡で頭ごなしに罵倒してくる人ばっかりなわけでしてね。FAQを作ったところで事態が改善されると思うほど非モテはおめでたくないですよ。
駆け出しの知人の話を聞いていると、オイオイ、とツッコミを入れたくてたまらなくなる時があるのだが、人間関係を維持するためにはこのまま隠しておいたほうがきっと無難なんだろうと自らに言い聞かせている。
とりあえず、知人が妙な壷を買わされたりただの石をありがたがったりするようになるまでは、あたりさわりなく接するのが正解なんだよな?
何を心のよりどころにし、何を信じるかは自由なんだ。科学的に間違っていても歴史認識が違っていても、それは(周囲に害がないかぎり)まったくフリーであるべきなんだ。
だがどうしよう、知人の歩みは危なっかしい。
水晶はただの二酸化珪素の結晶でその形状には何の不思議も無いというのに、イシスがどうとかアトランティスだとか本気で言っているんだろうか。