はてなキーワード: 甘党とは
同期のみんなよりも数年後れて、私はひっそりと「自分の結婚」というイベントを経験した。
結婚式はしていないし、結納とかそういう慣例は簡素に済ませた。
現在、籍を入れて18ヶ月が経過したが、未だに夫に言えないことがある。
むしろ隠し続けていると言ってもいいのだが、
実は、私には好きな人がいるのだ。
その人のことを考えると、よくわからないけど胸のあたりがジワジワ疼いて暴れだしたくなる。
家の中でも突発的にその発作に襲われては、無印で買ったクッションにDVしてしまう。
それを「?」が浮かんだ表情で離れて眺める夫。
彼にこれ以上不審がられないよう、いつも夫の就寝後、ダイニングでノートパソコンを開く。私の自室はない。
本物の私よりも遥かに表情豊かな顔文字を駆使し、夜な夜なお気に入りのコミュニティに入り浸る。
「今朝○○くんを起こしにいったら、すごいへにゃぁって顔でムニョって言ってた。なにそれかわいい><」
「○○くんは甘党らしくカフェオレにめっちゃ砂糖入れてます(*´∀`) かわいいけどメタボが心配…^^」
…こんなこと思ってるなんて、絶対に夫に知られるわけにはいかない。
今すぐに駆け寄ってぎゅってして、柔らかい髪の毛をぐりぐりもしゃもしゃ心ゆくまで撫で回したい、
すると眉尻を情けなく下げ、顔を真っ赤にして私を叱ろうとする顔を、じっと見つめてニヤニヤしたい、
なんて思ってることを。
実はすっごい好きなのである。
夫が。
結婚の経緯がちょーっと複雑で、ふたりの意思のみで"婚約"を決めらたわけではないので
正直、夫が私を、本当はどう思っているのかがわからない。
とくに支障なく同じ屋根の下でふたり暮らせているのだから、とくべつ嫌われてはいないだろうけど。
同じテーブルに向かい朝食を食べている時、ちょっとでも夫と目が合うとすごく気になる。
夕食後みかんをむきながらたわいもない話をしている時、ふっと会話がとぎれる瞬間とか。
あ、鼻の頭がかさかさしてる。あとで私の保湿クリームを塗ってあげなくちゃ。 …夫が完全に寝てから。
……ああ、また発作がきそうな気配がする。
http://anond.hatelabo.jp/20081206220423
釣られてみる。
ただ、その釣りだとしてもこのような考えをもっている日本人はいることだろう。それはまことに残念であるからして記そう。
具体例でもあるかと思えばパッとしない記事でその上醜悪な内容だった。だから一瞬くだらないと思いやめようかと思った。
スピリチュアルで笑った。
でも日本人らしく神経質にネチネチ書いていくことにする。
はっきり言ってあいつらはクズなのである。
日本と自分を同一化し、というくだりでもうめんどくさくなった。
たとえば「募金は偽善だ」なんて言い出しそうな厨二病といわれる人間を相手に、朝から自分はアホなことをしようとしてると悲しくなった。しかしバナナおいしい。
これについてはスルーしよう。
2chだとしても、その他のコミュニティだとしても、多くの人はここまで飛躍したおめでたい頭の持ち主ではないことぐらいわかってる。
仮にいたとしてもごく一部だ。
「日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。
何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本SUGEE!」なのだ。
文章全体をみればこれが20代とか30代の人間であったら、日本の未来の雲行きは怪しいなと思う。
10代なら20代までになんとかなってくれるだろうけど、もし30越えてこれだとああもう。
いちいち根拠がうすい。
どこかしらよくある考えを引用して、わざわざ批判するために持ってきてご苦労なことだが、言っていることが的外れだ。
過去の結果なんてなくたってそもそも努力を放棄している人間はそこらじゅうにいる。
本気で努力する期間なんて人生3~5年で、あとはボケーと生きてるだけだ。
それも稀で、たいがいは全編通してボケーと生きて結婚してボケーと死にたくないとか考えて、ボケーと血をはいて死ぬのだよ。
それが醜悪であるなら、人間そのものが醜悪であるというわけだ。
そんなことない、なんて思うなら過去の努力していたと思い込んでいる自分へノスタルジーしてる中年と同じだ。
停滞しているからコピペ化させてまで日本の凄さを再確認したいのか(再三するがキミが出した結果でもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、過去を憧憬するから停滞してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。
日本の凄さを再確認したいのか?だって。おかしいことをいう。しかしコーヒーおいしい。
そもそも思い込んでいなくて、その上努力していないだけだ。再確認して努力を怠ろうなんていう甘っちょろいことも考えていない。
もっと甘いんだ。甘党だ。
それだけじゃない。「日本SUGEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。
日本すげーは、我々が発展させてきた文明を誇るものでありそれがあるから努力を怠っているんだ今の日本人は、とか思う発想は無い。朝から牛丼は有りだが吐いた。
これは「(他国に比べて)日本はSUGEE!」「(他国じゃなくて)日本に生まれてよかった」「(他国の人間に比べて)日本人の俺はSUGEE!」という含みが入っている。それは外国人を排除するという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはついこの前オーストラリアの白豪主義を笑ったばかりじゃないのか?
一番つっこみたかったのはここだ。陳腐で幼稚な妄想だ。
他国に比べて○○、という含みが入って考えているやからはそういない。2chでもごく一部であろう。
そもそも日本人はそんなことに興味もなく、明日のスイーツ(笑)を楽しみにし、今月の給料で何を買うかを考えることの方が興味ありありの人間ばかりだからだ。我が国は他国に比べて優秀なのだ!なんて考えているよりも、服を買ったりとりとめのない話をしたり恋愛したりする方が楽しい人間ばかりだ。
ヨーロッパや、その他海外へいけば自分の民族を最高の民族だと思っている国が多い。
だがそれは他の民族を排除する、見下す言葉、差別する言葉ではない。では、その彼らなりの言葉の意味ではっきりいおう。
自分は日本の国は一番良い国だと断言する。なぜそう思うかといえば日本人だからだ。
ではお隣の韓国人が「そうです。日本は一番良い国ですごいです。韓国はだめです」とでもいえば、自分はその韓国人を張り倒すだろう。信用できない。
言っている意味がわかるだろうか。
張り倒すって本気で暴力するわけではないとクソ真面目な人のためにいっておく。そんなことは実際しない。
要は、自分の国に誇りをもてということだ。日本が一番だなんて思うな。韓国人なのだから、韓国を、朝鮮人としての誇りを持てということだ。ちなみにいまの朝鮮人というか韓国人がしていることはその誇りを、祖先だけでなく他国も汚していることばかりしているように思えるから、それで誇りを持てというのもきついかもしれないが…。となるとある意味では信用できるかもしれない。
しかしキムチおいしい。
ではもし仮に自分がイギリス人であるとして、そのとき自分は日本が一番良い国だとは言わないだろう。
もちろんイギリスが一番だと誇らしく語る。
これで言いたいことがわかってくれただろうか。こんなせまっくるしいはてなで言うのもなんだが。
それから、海外に行って人と触れ合ってきた経験のある人ならわかると思うが、
自分の国をなんとも思っていないような人間は差別され信用されないことが多い。
彼らは祖先への敬意と、誇りを持つことの大切さを知っているからだ。たくさんの戦争をしているヨーロッパでは特に。
後ろ向きかつ自分の国を誇らない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。
ちなみにその誇りとは、戦時中の愛国心まがいの盲信とは違うともいっておこう。
もう書くことがなくなったが全文やっておく。
もっと言おう。この「日本SUGEE!」は同じ2ちゃんねらーが嘲笑うスピリチュアリズムと同じである。何故か?
それはスピリチュアリズムが人間の資質は前世によって決まるとしているからである。この「前世がすごいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「先祖の日本人がすごいんだから俺もすごい」と一緒だ。どっちも自分のすごさの立脚点を自分と関係ないところに置いているのだから。さらにはスピリチュアリズムは「前世がダメだからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、江原はこれを臆面もなく「霊的絶対差別」とまで言っている。「日本SUGEE!」も「日本人じゃないからすごくない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。
二度言うがこれは現代社会が絶対に受け入れてはいけない考えだ。絶対に!
以上のように「日本SUGEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはコピペを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分を承認できるかを考えた方がいい。そして日本が好きならば「日本SUGEE!」などという後ろ向きな考えを捨ててこれからの日本がさらにすごくなるように努力すべきだ。
日本すげー=俺すごい
的な発想があるのかもしれないとしても、我々はこれを絶対に受け入れてはいけない。江原も受け入れてはいけない。美輪はけばけばしい。
日本が好きならば日本すげーなんて思うな、と後ろ向きな考えを捨てて、
祖先の行ってきたことを誇りに思い、また行ってはならなかった歴史の過ちを認め、それら全て責任をもって努力し次の時代へ語りつなげるべきだ。
もっというと努力しなくてもいい。やるべきことをやればそれで良い。結果的にそれが努力につながっている。
日本を知り、日本を誇れ。日本人なのだから。そして他国を敬い理解しよう。彼らの国も日本と同じように、祖先が築いた誇らしい国なのだ。
そうか、好きじゃなくてもセックスできるのか。いいなあ。便利。
女の人でもそれは可能だけど、私は無理。
チョコレートアンダーグラウンドがアニメ化されているみたい、そんなことはさておいて。
ネタバレもあるので注意
最近規制の話が多いよね、え、また?うそだろ?ってか違憲じゃね?とか思いながらネットでニュース見ているわけです。
私は規制は嫌い。規制ってあんまり快いものじゃない。自由に選べる方が好き。規制以外のやりかたでうまいことやってほしい。
でもどんどん規制が進んでいく予感がする、実際もうすでに取り返しのつかないことになっているのかもしれない。
では本題にはいる。
“舞台はイギリス。選挙で勝利をおさめた“健全健康党”は、なんと“チョコレート禁止法”を発令した!国じゅうから甘いものが処分されていく…。そんなおかしな法律に戦いを挑むことにしたハントリーとスマッジャーは、チョコレートを密造し、“地下チョコバー”を始めることにした!チョコレートがこの世からなくなったら、あなたはどうしますか?禁チョコなんて、ダイエットのときしかしたことない!読めばきっと、チョコレートが食べたくなる…。”
http://www.books-ruhe.co.jp/recommends/2004/06/chocolate.htm
『チョコレートアンダーグラウンド』(以後CU)の世界ではチョコレートは「有害なもの」として扱われている。その理由は甘いものは体に悪い、太る、虫歯になるなど。
人々の多くは、有害なものは規制して当然だろう、そう認識したから、健全健康党が選挙で勝利し、チョコレート禁止法が成立した。
一方日本では
ちまたで話題の青少年ネット規制や小中学生の携帯所持禁止の法律など、さまざまな規制案が進んでいる。児童ポルノ改正やら、今度は二次絵に対しても規制の話題もある。
表向きの規制の理由は「有害であるから」である。福田首相が「有害情報の心配をした方がいい」と申している。
有害なものと捕らえられている例としては、学校裏サイト、ワンクリ詐欺、出会い系、自殺の方法などがある。または常にメールや電話、ネットを利用し、それらに依存しすぎる生活がよくないなどもある。もちろん他にもあるだろうが思いついたのは今のところこの程度。
自分たちには関係ない、有害だったら規制するべきだよね、テレビでもネットが危ないなんて連日のように報道されているし、規制したらいいんじゃないかな、と日本人のたぶん多くの人は思っている。少なくともお偉い方々はそう思っている。
そして健康を守るためにチョコが規制されたCUの世界では、その後も、甘いものが次々と規制されることになる。
一方日本では上記の「健全な社会作りを目的とした新たなる法律」が最近次々と話題にあがるようになった。
児ポ改正の時には「ロリコンざまぁwww」とか某掲示板などに書かれたりもした。また「二次オタの俺は勝ち組」と言う人もいた。それが今度は二次元の絵なども規制される可能性が出てきた。つまり徐々に規制ラッシュがはじまってきているということだ。
“政府が児童ポルの方を規制した時、ロリコンでない自分は行動しなかった。
二次ヲタでない自分は抗議しなかった。
政府は、同性愛者やアダルトビデオにも弾圧の輪を広げ、最後に性的なものすべてを弾圧した。
童貞の自分は立ち上がった。
時すでに遅かった。
『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』”
こんな感じのコピペをどこかで見た、もとはヒトラーに抗議し、収容所に送られたドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉の
“ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった。
社会主義者でない自分は抗議しなかった。
ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、最後に教会を弾圧した。
牧師の自分は立ち上がった。
時すでに遅かった。
『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』”
携帯電話で有害サイトにアクセスできないように最近なったけど、今度は小中学生に携帯電話を持たせることすら禁止になる可能性がある。
これはらCUで言う「チョコレート規制」から「甘いもの全般を規制」の流れに酷似している。
CUではチョコ規制のおかげで、お菓子屋さんが客の減少に困り、悪に走るw
一方日本は若者のネットサービスの利用が減り、携帯サイトサービスおよびIT産業全般に大きな問題を起こすこととなりうると私は予想する。
また二次絵規制が通ったら経済的損失は計り知れない。少なくとも多くの成人漫画や同人誌などを扱う方々にとっては、CUで言う「客のこないお菓子屋さん」の存在になる。
CUだと、町では密かにチョコを売る人も存在した。また、主人公とその友達たちが秘密の地下室でチョコレートパーティーを頻繁に行った。もちろん先ほどの悪に走ったお菓子屋さんも一緒にパーティーしていた。
このことは禁酒法時代のようなものだ。規制によってアンダーグラウンドな場所で取引が行われたり、密輸入なんかが起こった。
“合衆国の領土内における酒類の製造・販売・輸出入を禁じたものだった(飲酒そのものを禁止するものではなかった)が、かえって密造酒やアル・カポネなどのマフィアの横行を招くところとなり、1933年に同憲法修正第21条によって廃止された。”
たとえば児童ポルノの所持を規制したら、禁酒法時代のようなことも考えられる。アンダーグラウンドのところでやりとりが続けられてもっと悪質なものになるのではないかと危惧する。例えば「児童の性的な画像」を所持していたとしても、「児童」を所持すれば児童ポルノ方には引っかからないのである!!!!!より危ないではないか!!??
たとえば二次絵を規制したとしよう、しかしアンダーグラウンドなところで取引が盛んに行われ、正規で販売している成人向け漫画が売れなくなってしまうかもしれない。もともと成人向けのものは18歳未満が登場するものが非常に多いらしい。ということで、その可能性は否めない。そのうち、一連の流れに便乗して鬼畜なものやその他諸々も規制されるかも。
CUではチョコレートの作り方が書いてある本は処分された、じゃぁもし二次絵規制されたら、ロリ漫画絵の描き方本も処分されるのか?w
CUの世界では国民の予想以上に規制が強化されて行き、どんどん自由が奪われていく、最初はいいことだと思っていたんだが、逆に自分の首を絞めるようなものと感じる国民も出てきた。
そして、最終的には主人公側の人間の演説により多くの国民が賛同し大規模デモが発生、そして健康党崩壊。チョコと自由を取り戻すことになる。
チョコレートは健康に悪いかもしれないが、食べ過ぎなければ太らないし、歯をしっかり磨けば虫歯にはならない、それにおいしい。
日本の今の状況に置き換えるなら
ネットには有害情報もあるが、使い方さえ間違わなければ(メディアリテラシーさえあれば)有害な事件に巻き込まれることもないし、ネットや携帯を使いすぎなければいい、それに本当に多くの知識や情報を得られるメリットだってある。なによりもおいしい(性的な意ry)
チョコレートアンダーグラウンドは私が読んでとても興味深い作品だと思い、
その内容と今の日本がかなり近い状況にあると感じたからこんなことを書いている。私の他にチョコレートアンダーグラウンドを読んだことがある人がいるなら理解してもらえるところもあるだ
ろうと思ってこんなことを書いている。(ちなみに原作の方です。金原さん訳の)
私はすでに成人だが、これらの規制は少年少女たちが影響を受けることとなる、そしてチョコレートアンダーグラウンドの主人公も少年だ。私はそこにも共通点を感じてしまった。子供なんだからいろんなものに興味を持つだろう、ゲームや携帯やネット。それは普通のことだと思う。(もちろん成人にものちのち影響を及ぼす可能性があるのは前述したの通り)
私が危惧するところは、今後多くの規制が成立し、表現の自由が奪われ、人々の行動も制限され、自由が奪われてしまう社会になることだ。
どんどん、自由が無くなっていく社会、そのような日本は好きかい?
マスコミを見ていると自分で自分の首を絞めるようなことをしている。無駄な危機感を視聴者に与えさせ、すぐ規制に走らせる。そのうちマスコミも規制されるぞ。
たとえば、「とりあえず規制してその後緩くしていこう」って言うんだったらわかる気がする。しかし、規制によって、それ自体が「悪」であると認識してしまう。
わかりやすく説明すると
児童ポルノ法ができる以前では、テレビにも平気でそのようなものがあったり書店で平気で売られていたり、そんな感じだった。
しかし、児童ポルノ法により、そんなもの見るのは最低ロリコンだとか、社会にとって不健全きわまりないものだ、「悪」だ、という意識が完全に定着した。
要するに一度法律ができてしまうと、それ自体が「悪」と見なされ、緩和されることもなかなか無いと思われる。
児童ポルノの例ばかりで申し訳ないが、子供の携帯電話の所持が禁止されたら、子供なんぞが携帯電話を持つべきでは無い、持つのは悪だ、dqnだ、あほだ、ヤンキーだなんて認識をもたれてしまう可能性が高い。そうなってしまったら規制緩和も難しい。
だからこそ短絡的な規制は控えるべきであり、長期的に物事を考えてもらいたい。
規制じゃなくて別の方法をもっと考えようよってことだ。
しかしそんな他力本願だといけないから、私もいろいろ考える。
やっぱり誰もが考えるであろうことはメディアリテラシー教育の必要性だと思う。
カナダやイギリスではメディアリテラシーの教育がそれなりになされているという。
が、実際機能してるかどうかは私は知らない、申し訳ない。
ゆとりゆとり言っているけど、若者の方が実際メディアリテラシーが高かったりする。
仮にネットを規制したら、子供たちのメディアリテラシーは今以上に下がる気がする。私はネットがあったからこそ、大メディアに多くの違和感を覚えるようになった。
物事を多角的に見ることができるようになった。
ネットを規制なんてしたら、かえってリテラシーも身につかない。
子供だって楽しいことしたいし、珍しいことを知ったり、いろいろなものに興味持ったり、言いたいことを大人の用に堂々と主張したり、
ちょっとくらいいたずらだってしたくなる。そりゃエッチなことにも興味持ったりもするさ、人間だもの。
昔は自分たちも子供だった訳なのにそんなことはもう忘れてしまっているんですかね。
子供にはほとんど権利なんて無い、大人が勝手に作ったやり方を押しつけられてその通りにしなければならない、なにか発言しようにも知識が無いから論破されたり丸め込まれたりする。
ゆとり教育だって、知らない間に勝手にできて、勝手にゆとりゆとり言われて馬鹿にされる。そしたら今度は、ゆとり教育はやっぱろよくなかっただのアホなことを言い出したりして、子供の方
は相当かわいそうだろうなと思う。
法律を作る人などは子供の気持ちなんかどうでもいいですからね、自分はもう大人だから。
でも自分が子供だったらどうですか?次々とやってはいけないことばかり言われて。そうしたら逆に反発したくなりませんか?
規制やルールに縛られすぎの子供たちが将来を背負っていくよりも、自分たちで、善し悪しを判断できるように教育された子供たちが将来活躍して行く世の中の方が良くないですか?
良いと思って短絡的思考で規制をするとかえって自分の首を絞めることになる。だから、普段何も考えない人は、よく考えて。大メディアの人は自分の首を絞めることにならないかをよく考えて。ゲームやネットを悪者扱いするとそのうちテレビも危ないって政府の人がお思いになり、ドラマとか放送できなくなるかもしれないよ?さらに視聴率落ちるよ?いいの?なんなの?ばかなの?視聴者はもっとはなれるよ?
メリットとデメリットは長い目で考えないと実際どちらが得になるかわからないものだ。
そして、最終的に良くないものについては、みんなで抵抗しようではないか。ダウンロード違法化の時は多くのパブコメが集まったみたいだし、結果は駄目だったけれど、私たちはちゃんと意志を持って行動した、そのことは大いに意味のあることであったと思った。CUはフィクションだからうまくいったけど、現実ではなかなかうまくいかないと思う。だからってあきらめないで抵抗しようよ、サイレントマジョリティーにならないように、またパブコメとか出してやろうぜ!なんか世の中のために俺たちはがんばってるんだぜっていう訳わからない自尊心も得られるし、べ、べつに世の中のためなんじゃなくて自分のためなんだからね!
*いろいろ書いてみたけれど、書いてみるだけなら簡単だ、実際うまいこと機能させるにはどうしたらいいものなのか、具体的に記述できていないところもある。そして可能性ばかりを取り上げていてうまい具合な批判ができていない。私はたいした知識も文章能力も解決能力もないのでこんな感じになってしまった。そしてグダグダだった。理想論みたいな感じで、たいした内容も含んでいないこの日記は法律そのものへの批判というよりかは、今後の流れを危惧しているということを伝えたい日記だ。それとチョコレートアンダーグラウンドを見た人に共感してもらえたらという気持ちもある。そして私はより自由な世の中であってほしいと願う。
補足はまた書くかも。長ったらしくてわかりにくくてすまん。手元に本がないので多少違っている部分もあるかもしれない、ご了承を願う。
そろそろチョコレートが売れる季節だ。バレンタインデーには女子の皆さんが費用を出し合って義理チョコレートを男子の皆さんに配布する、という風習のある職場は多いと思う。私のかつての職場は男子が圧倒的に多かったため、バレンタインデーのチョコレート購入費は膨大で、女子の経済的負担は過大であった。しかしホワイトデーにはなぜか男子が個々に女子全員へ過分なプレゼントを贈る傾向があり、そっちも経済的負担がたまらんかったであろう。
以上、枕。かつて私には職場的バレンタイン風習についていくつかの案があった。過去形。
第1案「義理チョコ廃止」。
もらう側の男子の皆さんだけでなく、こんな風習なくなってほしいと愚痴をこぼしていたはずの女子の皆さんからも「ずっとやってきたし」「楽しみにしてくれる人もいるし」「職場のうるおいとして必要」と反対が出て実現せず。意外に根が深い。
第2案「チョコあげたつもり、ホワイトデーのお返ししたつもり、で阪神淡路大震災被災者向けに募金」。
募金したのにやっぱりチョコも配った。なんでやねん。でも幹事が神戸のメーカーのチョコレートを買ってきてグッジョブだった。
第3案「2月14日と3月14日は男女対抗おいしいお菓子プレゼンテーション大会」は提案する前に OL を引退してしまった。これは、2月14日と3月14日に、みんなでお金を出し合っておいしいお菓子を食べて一服しましょう、が趣旨で、それだけじゃ面白くないので男女がお菓子選びのセンスを競う対抗戦にしましょう、というイベントである。
2月14日、先攻女子。賛同者から募った出資((好みや健康の問題があるので、出資の際、甘いものと辛いもののどちらかを選べるといいと思う。両方食べたい人は2口出資))をもとに、女子の意見で選んだおいしいお菓子が購入され、午後3時をもって配布される。皆でしばし仕事の手を休めて賞味し、味やボリューム、仕事の合間に食べやすいかなどを点数評価して投票。3月14日は後攻男子。男子の意見で選ばれたおいしいお菓子を皆で食べ、また投票。投票結果は後日集計して貼り出し、勝ったの負けたのとわいわいやる。予算が余ったら翌年用に積み立て、また両軍の買い出し係をねぎらうのに使う。
お固い上司がお菓子を食べる姿に親しみを覚えたり、酒豪のあの人が意外に甘党でもあったり、お菓子という他愛のない共通の話題のおかげで普段接点のない人と気軽に話せたりすると思う。まあこんなことを思いつくぐらいのんびりした職場だったということです。聖バレンチノも、職場で茶飲み話をするダシにされるぐらいは許してくれるだろうか。