はてなキーワード: フリーターとは
今から勉強して、今年度中に入ろうと思ったら私立に入るようになるわな。
まずそんなことは無理だけど。
インターネットで「3ヶ月で早稲田入れた!」とか抜かしてる大天才とは違って、自分は馬鹿だし、
志望校に入るために一生懸命がんばってる人を今から姑息に出し抜こうとも思えない。
でもね。
「行こうかな」「がんばろう」とは何度も気軽な気持ちで思ってみるんだけど、踏ん切りがつかない。
まず世間体を気にする自分としては中途半端な年齢の時点で躊躇う。
そんな理由で、浪人失敗したときに「寮に入って二浪しろ」って言われたけど、
禁欲して必死に勉強して大学に入って、その見返りをまるで感じなかったから、やめてニートまがいのフリーターになっちゃった。
勉強目的で三年次編入してみたらって話なんだけど、実は、勉強したいことがない。
文系(笑)のスイーツ(笑)脳だから理系科目ができないし、そもそも興味がない。
じゃあ文系はどうか、っていうと、色んな人文科学には興味あるけど、うーん・・・という感じで。
まあ、今大学に行ってる子たちがどれだけ勉強に興味持ってるか知らんけど、
自分は年食っちゃったから大学は真面目に勉強しに行かなくちゃいけない。
そんな気持ちで、なぜ大学に行きたいかっていうと、
大学全入時代なんて言われてるこの時代に「高卒」とか言われる思われることが嫌というか、
単に世間体へのこだわりがどうしても捨てられないからだと理由をつけてる。
どうしたらいいのか、あれこれ様子見しながら考えてるうちに、気づいたらもう取り返しのつかない所まで来てる。
去年一年浪人して「不出来は地べたに這いつくばっていよう」って真剣に思ってたけど、
そんなこと考えてたならその時点ですぐに自殺でもしたほうが良かったとも思う。
どうしよう。
まあ、相手よりも高い位置にいるんだと思っているんだったら、低い位置にいる人間に対して上から目線にもなろうというもんだよ。
俺もモテになったら非モテを扱き下ろすだろうし、更に年収増えたら更にワープアとかフリーター連中を馬鹿にしまくると思うし。だって、こいつらは俺に絶対に勝てないんだから。現に、学生時代から高学歴は低学歴を馬鹿にしてきたじゃないか。そして、これからは更にそれが顕著になる。上に立つ人間の傲慢さが、露骨に表れはじめた世の中になっている。自分の優越感を、正直に口にする時代。ネットだけで留まっていた自尊心が、リアルの世界になだれ込んできた。だから、叩かれたり馬鹿にされたくないと思ってみんな努力する。
大学3年のときに統合失調症を発症してから、もう3年になる。病気で授業が全く頭に入らなくなったことと、元々ギリギリ卒業を狙っていたのが悪く、二年も留年した。が、なんとか大学6年目にして4年次に上がり卒研着手ができた。
そして今、まだ就活をしている。というより、今更就活を始めた、という方が正しいか。今まで卒業したらフリーターをやって、どこかで正社員に拾ってもらえればいいや、もし拾ってもらえなくとも、自分一人暮らしていくだけならバイトで十分だし、と思っていたけれど、だけどちゃんと新卒で正社員を目指そう、と今更ながらに思った。
病気の容態は、全体的に見れば良くなっている。一時期の自分を罵倒し続けるひとりごとや考え、誰かに危害を加えられるんじゃないかという脈絡もない妄想、そういったものは薬を飲み始めてから割とすぐに無くなった。次に長く続いたのが異様な自責感とそれに伴う自傷、悲観と常に死にたいと思う気持ちが、薬を飲んでもなかなか治らずこの状態が1年半以上続いた。そして約1年前に病院を変え薬も変わり、自傷などはなくなった。けれども今度は薬の副作用で昼間は眠くなり病気の症状で夜は眠れない、という状態が続いた。これは半年ほど前に主治医が変わり、その主治医が眠気の副作用が出る薬を全て寝る前に飲む処方に変えてくれたおかげで解決した。そう。発症時と比べたらとても良くなっている。
会社に病気のことを隠すつもりはない。平日に通院をしなければならないので、隠そうとしても無駄だろう。けれどもこんな訳ありを拾ってくれる会社はあるのか?これだけのマイナスを考えてでも採用したい魅力が自分にあるのか?そんなことを考えると憂鬱になる。
でも自分は良くなってきてるんだ。一時期はとても卒業など出来そうにない、辞めたい、逃げ出したいと思っていた大学も、なんとかあと半年までこぎ着けた。あと少しだ。もし仮に内定がとれなくても、卒業だけはきちんとしたい。
格差の解消や派遣労働の問題等々、最近どのメディアでも本当に多く見かけるようになった。いわゆる就職氷河期世代で就職に失敗した人たちは相当厳しい所まで追い詰められてきているのは間違いの無いことで、格差の縮小と労働者保護に向けた対策を今すぐにでも行うべきだ。ただ、これに関係してどうしても一つ言いたいことがある。
「何故、悲惨な労働者の実態を“失っていく物語”として語る?」
以前、新聞でこんな派遣労働者の“失っていく物語”を読んだ。ほぼ私と同年代の人だ。
「Aさんは、小学校から高校までは田舎で育った。高校卒業後上京し就職したが職場でうまくいかず退職。転職までのつなぎと考えて派遣会社に登録しいくつもの派遣先を渡り歩いているうちにいい年齢に。年収は200万強、彼女はいるが同様の環境で、このままでは結婚もできない。田舎の両親も心配だが、帰っても就職先がない。もちろん年金は……。」
この話、普通の人生を送り普通の暮らしを手に入れている人なら同情してくれるだろう。
同じように何かを失っていく人生だと感じている人の共感を得られるかもしれない。
けれど「何も無い」状態からひたすら頑張ったような人だったら……。
小中高と、外見のマズさと吃音でイジメられ続けた、クラスの最底辺から頑張るしかなかった僕の正直な心の声
「だから何?その程度で社会頼るなよ」
普通の(普通であればそこそこ楽しかろうよ)学生生活、周囲からの承認、周囲に怯えず生きていける時間、それを当たり前のこととして受け止め、自分の興味ある事に取り組み成長できることが人生にとってどれだけのプラスになるか。18歳時点で「生きる」ためのリソースの量は、Aさんと僕とでは圧倒的な差があったはずだろうよ。それなのに……と思わざるを得ない。
人間、努力して這い上がる型の人生を送ると「最初から持っていなかった人」「得られなかった」人には普通に同情できるけど「失っていく」人に同情するのには条件が付いてしまうのではないかと考える。予測可能な困難に対して効果的な努力はしたのか、リスクヘッジはしたのか、とどうしても問うてしまうようになる。2chで格差問題やワーキングプア・フリーター等に関するスレが立つたび当事者を煽るレスが多く付くけど、本質的には変わらないだろう。そして、こういう人は一定の割合で社会に存在して、努力したなりの地位にいることが多い。少なくとも自分と自分近辺を見る限りにおいては。
だから、この種の問題を語るときは、基本的に現在の労働条件や将来における経済的な影響、対策として何が有効か、などできるだけ条件を限定して語るべきだ。“物語”を語れば語るほどに“自己責任”を突っ込まれる悪循環はいい加減に断ち切った方がいいんじゃないか?
自分は大学1年生の頃、ひきこもり気味でろくに大学にも行かずに、まさに無駄に大学生活を送っていました。
そんな自分ですが、大学1年の成績表を手にしたとき、これではダメだと心の底から思い、残りの3年試行錯誤を重ねました。結果、我ながら有意義な大学生活を送ることが出来ました。
そこで、これから大学生になる、あるいは今まさに大学生のために自分的に効果のあった生活術を書こうと思います。
社会人や普通の大学生から見たら物凄く当たり前のことかもしれないですし、あくまで自分が効果があったなと思ってるものを書くだけで当然誰にも効果があったりするわけではないですが、参考にしていただければ幸いです。
とにかく時間を持て余し、深夜の番組を見たり、ゲーム、ネットをついつい夜遅くまでやってしまい生活リズム崩壊なんてよくあること。「最近寝るのが??」と遅くまで起きて遅刻してくることを自慢する輩までいたりするのが大学。
「なんで起きる時間じゃないの?」と疑問に思う方もいるかもしれません。
しかし自分は、起きる時間を決めているだけでは、例えば『今3時だけだけど、7時までに4時間寝れるお!4時間寝れば大丈夫だお!』と考えてしまいがちでした。
仕事がある社会人なら義務感からそれでも起きられるでしょう。しかし、「講義?どうでもいい」と心の中で思っているところのあった自分は時間通りに起きることは無理でした。
そこで、寝る時間を守るということを試しました。
生活リズムが狂いまくっていたということもあり最初は中々寝付くことができなかったのですが、何日か続けていると自然と時間に寝れるようになりました。
そして、寝る時間が定まってくると起きる時間も自然と決まってきました。
また、寝る時間を決めていると、1日の行動が逆算しやすくなります。『23時には寝ることになっているから、○○時には課題に取り掛かろう』と時間を有効に利用することが出来るようにもなりました。
アルバイトはしていたものの本や飲み会の出費が嵩むので、お金を節約するために始めました。
しかし、金銭的に効率良く献立を立てて買い物をするためには先1週間の生活(1週間に1度買い物に行っていたから)を把握することが必須となり、自然と先の予定を気にするようになりました。
当時、1週間の予定と言えば必ず週何度かあるアルバイトくらいでスケジュール管理もいい加減だった自分には、これが大きな副産物でした。
大き目の手帳に献立を書いていたのですが、それに予定も書き込むようになり、就活以前に、自然と手帳の使い方(手帳癖)を身につけることが出来るようにもなりました。
また、「家事こそ脳トレ」と書いてる本がありましたが、自炊は家事の中でも特に頭を使うので脳トレにもいいと思います。
実際、ボーっとすることや1日ぐだぐだに過ごすなんて日が減った気がします。
1日あったこと、思ったことを何行でもいいから文章にするということをやっていました。
あまりたいしたことをしてないなあと思っても、見返してみると、意外と色んなことをやっていたり、色んなことを考えていたりするものです。
日記を残すことによって、1週間後でも1ヵ月後でもいい、それを見返したとき良かった所や反省点などを見つめ直すことができます。自分自身のモチベーションを高めることにもつながります。
また、壁にぶつかったり問題が起きたとき、過去の日記を見てみると、解決するためのヒントが隠れてあることがありました。
就活で、慌てて「自分の大学生活の良かったところは??」などと考える必要がなかったのも日記の存在が大きかったと思います。
今はネットを通じて、好きなブロガーさんに会ったり、オフ会に参加したりすることが簡単に出来ます。
大学は、同じ偏差値、同じ年齢の人が集まるため、考え方や視野が狭くなりがちだと思います。
たとえば、mixiでも2chでも、趣味系のオフ会に参加すると、高卒・フリーター・1流企業の社員さん・クリエイターetc普段接することがないような様々な人と話すことができます。
このような機会を有効利用しない手はないと思います。
自分で会社を興したり、複数のアルバイトを掛け持ちすることで色んな人に会う機会があるんだぜ!って人もいるのでしょうが、自分にはそんなバイタリティはなかったので、ネットで人と多く会うようにしました。
はああああ????
「俺は客だから何してもいい」とか思ってたらそりゃモンスター客だが、「俺は客だから敬語ぐらい使え」と思うのは普通だろ。ていうか色んなコンビニ行ってるが、マニュアル敬語も使ってない店員なんてほとんど見たことない。
「あたためますか?」
「このままでよろしいですか?」
「●●円です」
「マルボロ」→「何番ですか?」
でいいんだぞ? 敬語なんて。
むしろ初対面の相手に敬語を使うのは人として当たり前だろ。ましてや店員なんだから。
俺は元増田みたいにぶちキレたりしないが、敬語使ってない店員なんか見たら「あーあ」って思うよ。それが普通だよ。別に心狭くないよ。
フリーターが楽しそうだとしたらどんな奴か、を想像して言っただけで
俺はさっき書いた普通の価値観の持ち主なのでフリーターとか無理。ありえん。
ちなみに知り合いでフリーター40代はいる。自由が大事だからいいんだって。虚勢かも知らんが。
(実際正社員にならないかと言われてもことごとく断ってきたらしい)
まぁ好んでホームレスって奴もいるらしいしな。
あんたももっと広い世界が見えるといいね。も少し歳喰ったら。
金よりも何よりも自由が大事、ていう確たる信念があれば、それでも楽しいかもね
悪いことは言わない。考え直せ。
それこそ9割5分の人が高卒以上の中で、中卒としてやっていくんだぞ。
「とりあえず本気」くらいで大丈夫か?
何か飛びぬけた才能があるとか、手に職つけるために今からやり直したいとか、
どうしても今の年齢じゃないとできない、学校と両立できないものがあるとか、
そういう理由があるなら止めないが、「勉強嫌いだし」でやめるのはどうかと思うよ。
なぜかというと、お店や企業が人を雇うときに、その人が「仕事嫌いだし」って
辞めちゃうんじゃないかと思ったら、採用してくれないからなんだ。
若いうちはまだ仕事もいろいろあって、フリーターでもいいかもしれない。
結婚したくなったときに、フリーターと結婚してくれる人じゃなかったらどうする?
相手の親に紹介されて「フリーターじゃちょっとねぇ」と言われたら?
そこからまた高校に行くのってかなり遠回りだし、今よりずっと努力が必要だよ。
ほかの増田は高卒認定試験をすすめてる人もいるけど、私はすすめない。
同い年の人と同級生として過ごすことにも意義があると思うからね。
ま、あれだ。今できることを一所懸命やれ。がんばれ。
うつ病になったのは大変だったけど、生きるテンションを変えられたから案外よかったのかもしれないと思う。
小さい頃からがんばりやさん、勉強が出来て、ちゃんといい大学にも行けて、ちゃんといい会社にもはいれた。
頭の悪いワークフローが平然とはびこっていて、なんかすごい消耗した。
本当に賢かったらそこでダメージを受けずにやりすごすかのりこえるかできると思うんだけど
そんなに頭よくなかったから一人で疲れ果ててうつ病になった。
かなりこじらせて、今のような小康状態にもってこれるまで、数年かかった。
長かったなあ。
でもこの数年のうつ病との付き合いを経たおかげで、
それまでの、いやなことでも無理なことでもがつがつこなす、ていう生き方ができなくなった。
別に若い頃のそういうがむしゃらな生き方をけなすわけじゃないけどさ。
「うつ病のときに退職の決断をくだすのは禁物!ゆっくり休めばなおるからね☆」とかいう
素人さんむけのステレオタイプなアドバイスもあるけどここまで長い期間患ってるとさすがにそうもいかない。
休職だのなんだの、使える手を使い尽くし、最初の会社にも追い出された。
解雇じゃないけど。ちゃんとした会社はメンヘラにも「理解」あるからね、解雇はしない。
あの辺の重いでもなかなか生臭いものがあったなあ…。
坂道をごろごろと、さえない方へ、さえない方へと転がっていった。
でもこれが今の自分にとってのがんばれる限界だ。
キャパ以上のことやいやなことを自分に無理強いすると心身が動かなくなる。
その生を維持する最低限のお金を調達してくるくらいのぎりぎりの体力は回復したっていう感じ。
ありがたいことに実家がシェルターになってくれて、短期間倒れていても食事と住居は一応保障されている。
大学の友達はもうみんなしっかり者になっているようにみえてまぶしい。
まぶしいのは確かなんだけど、今の自分にはこのフリーター生活しかできない、ということが、
ようやく、という感じなのだけど、納得できた感じ。
たまに倦怠感で布団から出られない日もある。
減薬もはじめていて揺り戻しかと思う症状を感じるときもある。
毎日がんばれない。
クリエイティブにがんばれない。
でも、まあ、今はそんなもんか、と思ってきた。
今は、なんていって、ずっとこのままかもしれないけど、
それは今考えてもしょうがない。
とりあえず生きていようか、というスタンスを認められるようになった。
と、文章に起こせば、健全な(?)諦念をようやく手に入れたようにもみえるのだけど。
業が深いというかなんというか、ついつい、ついつい、がんばれもしない余計なことに手を出してしまう。
バイトで出向いている会社で(バイトしている会社、ではないところがミソ。直接お金をくれるところではない)、
自分のスキルがちょっと生かせるかもしれないような案件がスタートしつつあり、
そのためのブレインストーミング的な会話や他社との打ち合わせにまで出てしまった。
そしてなぜか企画書を出すことに。(ただ働きで)
なんでこんな関わり方してしまったんだろう。
最初はほんとに楽しそうだったから首を突っ込んだんだ。
そして、準メンバーとして組み込まれそうになった時ひきかえさなかったのは
あわよくば、この自分のフィールドで、もう一回ちゃんとした社会人になれるんじゃないか、
なんていう、明らかに自分の今の限度を越えた野望を抱いてしまったからなんじゃないかと思う。
そんなん無理だろ。
この数年で手に入れた「自分の身の程を知る」という視点から考えたらあきらかに無理な案件。
どうしよう。降り方がわからない。
自分で自分の首を絞めていることだけは自覚している。
いろいろ物言いのついた企画を練りなおすために頭を起動させようとするのだけれど
どこかで「もう無理、これ以上頭が動かない」て、自分が言ってる。
でも、降り方が、わからない。
やばい。
もう身をつぶしたくない。
つぶしたくない。
俺のことか。
まあ、確かに非モテだがね。
自民党の麻生太郎幹事長は5日、名古屋市で講演し、厚生年金保険料の企業負担分を5年程度免除し、高齢者やフリーター100万人の雇用を創出する構想を明らかにした。約5・5兆円の積立残高がある厚生年金基金を活用し、企業負担分を肩代わりするという。麻生氏は「高齢者らはもらう側から税金を払う側になる」と語った。この構想について厚生労働省幹部は「厚生年金の現状を分かっていない発言で実現は考えにくい」と批判した。
もう少し詳しく聞きたいが、高齢者と女性の労働参加率を高めれば、育児や健康維持に必要な社会保障費を増やしても、課税対象が増える分でお釣りが出るという試算はある。