はてなキーワード: どうしてこうなったとは
今日は7時過ぎに起床。
7時半過ぎに朝ごはんを頂く。
毎度のこと東京へは観光に来たわけでは無かったので、とてもブルー。
さすがに今のままお世話になるのはごめんだ。
家に居るのも気まずい。
せっかく田舎から来たのだからいろいろ見て回らねば。
おじさんに、秋葉原に行ってくるといったら
そっちの方に行くなら上野とかアメ横とか雷門とか見てきなさいといわれたのでとりあえず見に行くことにした。
秋葉原は一度入ってみたかったところだったが、やはり一人で行ってもなんか虚しい。
とりあえずヨドバシカメラと近くのファミリーマートと楽器屋とかに行って見た。
楽器屋のドラムとかあるフロアで、小出シンバルの特集がされてたニュース番組かなんかの映像に見入った。
自分はドラムを叩くのだが日本にシンバル職人が居るなんて知らなかった。
DTMのフロアでナノコルグに触って遊んだりした後上野へ向かう。
上野へ行って適当に歩いてたらアメ横についた。すごい賑わいぶりだ。
気持ちの切り替えができていたら何かいろいろ買っていたとこだろうが
すぐに歩いて通り過ぎた。
そして、上野公園へ。
すごい広いかった。とりあえず適当に座ってファミマで買ったタピオカミルクティーとパンを食べたかったので
適当に歩いていたらアコーディオンの音が聞こえたのでそこへ向かうと大道芸人がアコーディオンを弾いていた。
座って聞きながら昼食を食べた。
その後浅草へ向かうものの東京メトロがどこから乗ればいいのか分からず
改札口を通ってしまったのでいったん一駅のって上野に戻ってから浅草へ。
駅から出たら金のうんこみたいなのが見えた。あれってなんなんだっけ?
まぁ、いいや雷門へ向かうもののたどり着くまでちょっと時間がかかった。
雷門をくぐって店が並んでるとおりをまっすぐ行って次の提灯あるところまで突き当たった。
お賽銭を入れて拝んだ、あとおみくじを引いた。なんてこった「凶」だった。
途中で電車を降りるの忘れて焦ったけど、気付いたところで降りたら目的地行きの電車あったのでそれに乗ったら帰れた。
戻ってきたのが17時くらいかな・・・
晩御飯を19時過ぎに頂く。
後は話をいろいろした。明日は下北沢に行ってみようと思うとか。
そのあと、親戚宅の近くを散歩した。
東京で仕事探すとかでかいこといったけど、親戚に迷惑かけるし帰るとか
家出して住み込みで働こうと思ったけどそれこそ心配かけるし迷惑だとか。
友人が、じゃあバンド組もうぜとか。専門学校なのに独学でやってきた自分より下手の人しかいないとか信じられなかったけど。
自分はもうちょっと思ったことを遠慮なしにいったほうがいいとガチで思う。
思ったことを言えない、それなのに裏ではぐちぐちいうめちゃくちゃたちの悪いタイプ
事なかれ主義なんだよなぁ・・・安定を求めるが上に言われるがままって言うか・・・
自己開発セミナーとか行ったら変わるもんなのか?とか考えたりする。
どうすれば誰にも迷惑や心配をかけずにうまく社会的に復帰できるのだろうか
4ヵ月で会社を辞めてしまって次の仕事探すにしても何も無いから資格を取ろうとかバイトしながら音楽やるとか
都合のいいことばかり考えてしまう。
だいたいこういうことは昨日にも増田に投稿していて
なんだ、まだ何もして無いじゃん。
自分の甘さがわかってるなら4択。
1)慰めて欲しい
2)甘さを克服したい
4)EASYモードでお願いします
1か3か4→せっかく生まれてきたけど運が無かったと思え。
というのを見つけた。自分は18歳でこの先まだ長いので覚悟を決めればやり直せる
もともと音楽をやって生きたい。
まだその覚悟ができてない。そこがだめなんだろうな。ちくしょう。
この記事の中でも何回も「とりあえず」がいっぱい出てきてお分かりのことだと思う。
出来の悪い兄がいる。どうしてこうなったかは親の育て方の裁量一つによるのだろうか。
その兄が派遣で工場で働いているのだが、今日はなんだか同じ職場のオバさんに「(Aさんに比べて)仕事が遅い」と文句を言われたそうな。
兄は頭に血が上って皮肉っぽく「すみませんね」と言ってやったことを誇らしげに団欒で話していた。
同じく出来の悪い自分は彼に哀れみを感じざるを得なかった。
どうして口に出して「仕事が遅い」と言われなければならなかったのか、今一度考えなければならないのに、
目先のことしか見えていない。悔しいからもっと仕事ができるようになろうと思わないのだろうか。どうしてそんなに視野が狭いのだろう。
ともかく、仮に一生懸命だとしても、傍目から見て仕事が遅いのは事実なのだろう。会社はそんな人材を求めていない。
正社員の道は遠いな、と思った。
こんな自分は間違っているのだろうか。
という日記を書いて約2年たちました。
2年間精神科に通ってパキシル飲んで、ここ半年は薬なしでも生活できるようになりました。
ちょっと落ち込むこともあるけど2日くらいで復活して
先生にも「それはあなた自身の力だから自信を持っていいですよ」と褒めてもらって
ついに通院もなくなりました。
お守りのつもりでメイラックス10錠だけ手元に残してます。
だけどここ二週間くらい毎晩涙が止まりません。
仕事で「ここはどうするつもりなの?」「どうしてこうなったの?」と言われただけで
喉がつまって泣きそうになってしまいます。
打ち合わせや電話などは涙が出ないよう感情を抑えるのに必死です。
上司にはすごく良くしてもらっていて
「あなたは与えられた仕事をこなすようなタイプの人間じゃない。もっとできる仕事がある」と
今までの受け身でこなしていく作業とは一変して、
自分で考えて組み立てていく業務を任せてくれようとしています。
とても嬉しいしやりがいも感じているけど、
自分の能力のなさに絶望して全部投げ出してしまいたくなります。
2年前の「何も考えないマネキンになりたい」という感情が戻ってきました。
また世話好きの知り合いの社長に心配され、とりあえずウチへ来いと誘われた。
とはいっても、働く気が無いわけではない。自分はとても仕事がしたい。
ブランクはあるし、年齢の割に洗練はしてないけど、ある問題さえなければ、出来ると思えることは山のように思いつく。
別に選り好みしているわけではない。できるんだったら、アルバイトだっていい。
なぜか年上に好かれるのと、学生時代に色んな仕事をしてたおかげで、人脈もあり、今回のように、ウチへ来ないか的なはなしがたまにある。
しかし、私は断る。
知り合いだからこそ、迷惑を掛けたくないからだ。
履歴書だけ見ると、上場企業を数回転職してきた、向上心あふれる人に見えなくもない。
それはある面で正しい。次こそは、あの悪夢が来なければ、と、思いながら、20代は転職をしていた。
仕事をやめる理由は毎回同じだった。
昼間から、突然ぶっ倒れるように寝てしまうためだ。
職場ならまだいい。会社のビルを前に、顔面蒼白で倒れることもあった。
最初は同情されるが、すぐに荷物になる。まあ当たり前だ。
原因は正直よく分からない。医者には大抵、自律神経失調症と言われるが、10年近く薬を飲んでも治らないので、2年くらい前にやめた。
慢性の鬱ではない。怠惰でもない。ただ、体が言うことをきかないもどかしさが、とても悔しい。
さらに5年前くらいから、みぞおちが刺すように痛み、毛穴という毛穴から脂汗やら老廃物やらがドクドクと流れ出るようになった。
これもまた医者で内視鏡やらなにやらで調べてもらったが、目立った異常が無く、結局また自律神経失調症だ。
こっちは初めての発作の時、本当にこのままだと死ぬと思い、救急車を呼んだりしてたレベルなのに、何もないんだそうだ。
そして運び込まれた病院で触診を受け、確かに胃が痙攣しているといわれ、首をかしげられる。
だから言ったでしょう。手を当てると、胃の中でカエルが暴れてる感じって、そう伝えたでしょう。
本当に、全く意味が分からない。
しかも最近、外に出るとまた失敗するんではないかという恐怖感から、ひきこもりがちになりつつある。
それでも私が努力しているのは、この体を何とかしなければ、もう生きるすべが無いと思うからだ。
今はほぼ、ドクターショッピングな日々を送っている。
それしか、自分が前に進む方法は無いからだ。
でもたまに、夜に苦しんだ分の脂汗を流すため、シャワー浴びながら朝から泣いてたりする。
どうしてこうなった、何をどう努力すればいいんだ、そういう感じで顔を歪めて。
医者通いも時々嫌になるし、全て放り出したくなることもある。
でもやらなきゃ始まらないとおもって、医学書や論文をあさり、目星をつけ、病院を回っている。
癌の人とかが代替医療を求めて転々とするのって、こういう気分なのかなー、とか思いつつ。
私にはやりたいことが山のようにある。
友達にわざわざ近所まで来てもらったりしたくない。
そんな願望を心に、私はもうすぐ35歳無職となる。
最近、友人(?)のNの言動が鼻につきます。
Nの言動が、目に余り始めたのは、6月はじめ頃。
それまで面接全敗のNが、学校推薦をとり見事内定を勝ち取った頃からです。
その当時、彼がまだ内定を得ていない友人に対して
「え?まだ内定もらってないのか?」
と空気の読めない発言をしたので、
以前のNならそういう事は言わなかったはずなのに、内定でてから雰囲気が変わったなと思いました。
そしてNの周りに対する悪口は日に日にエスカレートしていき、
反比例して口数は減って行きました。
一度、Nが「ほんとクズだな」と、その場にいない人の事を中傷し始めたので
そういう事ばかり言わない方が良いと注意したのですが、
それ以来、Nの言葉の矛先が私にも向くようになったようです。
今ではグループ内は、Nの勝手に作った敵ばかりなので、彼とほとんど口をききません。
Nがやってくると、場の空気が悪くなってしまうようになりました。
良好とはいかないまでも、普通に会話できるくらいには修復出来たら良いと思う今日この頃。
そのためには、彼の根拠の無い自信をブチ壊せば良いのか、
相手を思いやることの大切さを諭し聞かせれば良いのか……。
しかし、25にもなるのに、幼稚に聞こえる発言が痛くていたくて。
てか、年上……(-_-;
かつて、この街には何もなかった。何も決まりのような物はなかった。
強いていえば、元来この街は他の街のルールでは暮らせない、暮らせなかった流れ者たちの街だった。
だからお互いに今ここに居ると言う事情を察し、そこにはけして深入りしないのがルールだった。
だからそこには緩やかな連帯があり、独特の自由と住み心地があった。
しかし、その住み心地を聞きつけて、いささかこの街に流れ人が増えすぎてしまった。
そうすると変な連中もやって来た。ここで上手く商売を始めれば金になると踏んだ連中だった。
彼らはこの街の真ん中に塔を立てた。大きな塔で、そこで毎日音楽を流した。音楽のほかにも色んな物を流した。
この街の新しい音楽。新しい挨拶。新しい踊り。新しい人気者。新しい話題。そういった、新しい文化が絶え間なく流れた。
当初、この街の旧い偏屈な流れ者たちは、これを取るに足らないものだと相手にせず、楽観視していた。
そういったものを受け容れたくない者達の街でそんな物が流行るわけが無い、素晴らしい徒労に終わるだろうと。
しかし現実は違った。この街は新しい文化を喜んで受け容れる人達で溢れた。
この街だけの新しい挨拶が溢れ、新しい音楽に合わせて新しい踊りを覚えようと練習する人達で街はいっぱいになった。
どうしてこうなった。旧い者達はなんともいえない居心地の悪さと戸惑いを覚えた。
しかし、その時には自分たちは既にこの街の中でも、「また乗り遅れた、落ち零れた」少数派になっていることに気付くにはもう遅すぎた。
今度こそ乗り遅れなかった、落ち零れなかった物達は今度こそこの街で受け容れられた喜び、新しい街を作っていく喜びで満ち溢れていた。
だから、出て行くなら落ち零れたもの達の方なのだろう。
どうしてこうなったといえば、
http://anond.hatelabo.jp/20090514205146
http://anond.hatelabo.jp/20090514153515
も君の投稿なのだが、あまり言及してはいけないのかもしれない♪AA略
http://anond.hatelabo.jp/20090513235247
http://anond.hatelabo.jp/20090513235122
大学1年のときからつきあっていた4つ上の元彼が忘れられない。運命の人というのか、呼吸するタイミングが一緒というか、とにかく波長の合う人だった。友達の延長線上にいるような人で、死ぬほど愛している!!というような熱い感情はなかったけれど、でもこういう愛の形があるんだなあと初めて思った人だった。家族愛というか、そんなかんじの愛。お互いそう思っていた、と言うと自惚れだとか言われるかもしれないけど、そういことを疑う余地がないくらい何もかも合う人だった。なんだろう、バイオリズムというか、生きてるリズムが合うというか、魂が合うというか、まあそれは大げさだけど、でも恋人というよりはソウルメイトというのが本当にふさわしい、自分にとっては空気みたいな人だった。別に改まってそこに居てもらう必要はないんだけど、でもいないと生きて行けない人。
でもあることがきっかけで私は留学する道を選ぶことになった。このままずっと一緒だよね、とか別れたくない、とかそんな将来のことを話し合うこともなく、じゃあ行ってくると言って出てきた。大学を卒業したらいずれ日本に帰って、いずれ彼と結婚するんだろうと漠然と思っていた。その間、適当だけどでも定期的にメールで連絡は取っていたし、日本に帰るたびに彼には会っていた。お互いに死ぬほど好きな相手ではなく、でもずっと一緒に寄り添って生きて行けると思っていた人。相手に彼女ができたとか、自分に彼氏ができたとか、そういう話が出ても卒業したら日本に戻って結婚するんだって信じきっていた。今思うと自分たち二人の関係はちょっと理解し難い関係だったかも。お互いの存在があって、初めて成り立つというか、うまく説明できないけど、でも彼がいて初めて他に遊び相手として彼氏がいる、みたいな。ビッチって言われればそれまでなんだけど、まあ自分も若かったし、遊び相手みたいのは別にいてもいなくてもよかったし、彼が彼女の話をしたりしても束縛間とかそういうのは全くなかった。自分が物理的に離れてしまった罪悪感みたいのも今思えば少しあったのかもしれないけど、今遊び歩いていたとしても、いずれお互いに戻る場所はひとつしかないって信じてた。
3年前の秋、仕事先で出会った”遊び相手”にプロポーズされた。その年の冬、妊娠が発覚。忘れもしないクリスマスイブだった。結婚することに抵抗はなかった。お互い仕事もあったし、出産後も生活していけるだけの収入もあった。それでもいちばん最初に頭に浮かんだのは彼だった。最後の最後まで言えなかった。妊娠がわかってから彼へのメールはできなくなった。裏切ってしまったという罪悪感。私の両親はできちゃった結婚という結果に最初は当然戸惑っていたけれど、私の妊娠初期がかなり不安定でだったので旦那さんとなる人が私の両親をこちらへ招待、滞在中にこんなにいい人はいない、という結論に達し、不安材料は全くないはずだった。私はそれなりに幸せだったし、旦那さんのことも愛していた。夏に女の子が生まれ、とっても愛おしい存在になった。その彼に全てを話すことができたのは、娘が生まれてから3ヶ月後だった。
私が連絡をしなくなった間も彼からは相変わらず適当だけど、それでも定期的に連絡は来ていた。それでも私が結婚したこと、娘が生まれたことを話すと連絡はなくなった。当然だった。
今でも思い出す。夢に見たりする。その度に胸が痛くなる。彼から何事もなかったように突然メールが来たのをきっかけに前ほど頻繁ではないけど今も連絡は取っている。今の旦那と離婚してまで彼とヨリを戻したいとは思わない。過去の思い出が美化されてるのもわかってる。それでも未だに考える。どうしてこうなったんだろう。彼を失ったら後悔するであろうことは自分が一番よくわかっていたはずなのに。そして彼もそう思っていたに違いないのに。