はてなキーワード: 原理主義とは
特定の宗教を信じているあいつらにとって、彼(あいつらが絶対しているもの。神でもしょーこーでもなんでもいい)が絶対なんだろう。
僕も信じているものはある。絶対かどうかは自信がないけれど、でも今までの経験から行くと信じるに値する。
このような自分が信じている公理や定義から導き出される定理も信じている。
でもあいつらにとっての公理・定義は彼が言ったことなんだ。
もし僕がそんな奇跡おこりっこないよと言っても、あいつらは公理・定義は正しいからきっとその奇跡は起こるって言い張るだろうし、
僕がそんな奇跡起こってないよと言っても、あいつらの目にはその奇跡が起こっているように見えているに違いない。
だって、世界を構成するのは彼が発する言葉が元なのだから。
そもそも、あいつらにとてそれは奇跡ですらないはずだ。
僕があいつらと同じように特定の宗教に入信するときがあるとするなら、
それはその宗教の教えの中に矛盾のない公理・定義を見出したときだろう。
そこからきっと僕は定理を考えるだろう。
そして、きっと僕はその宗教の原理主義者になるだろう。きっと。
ほんとうにすごいと思うのは、世の中の宗教のほとんどは少なからず矛盾がすでに発露しているのに
それを見過ごしてそのままその宗教を信じている人が多いということだ。
僕には耐えられない。
だけど、だから僕は特定の宗教の教徒にはならない。なれない。
そもそも正確な理解ってどれ?
現行の「腐女子」の記号内容
腐原理主義者としては、自称しない場合は客観的に同じ行動、思考形式を持っていても、ただのやおい好きな人ですので、そういう字義を持つ「腐女子」をカテゴライズの用語として使うことには抵抗があります。しかしそういう狭義の「腐女子」という言葉はすでに失われつつあることを理解してもいます。
現在様々に変容し、悪意を持って語られることもあるこの語を用いて「正確な理解」とかぬかされるのはちゃんちきおけさ。拒んでいるんじゃなくて、その「正確な理解」とやらが用語のあいまいさゆえに理解対象(どの記号内容を指してるのか分からないけど)の「腐女子」に伝わっていないのではないでしょうか。言葉の選択からして、現状を理解していないと解釈されてもしょうがないほど、この言葉は今揺らいでいます。
残念なことに「腐女子」って言葉は、現在の使われ方と定義の多様性から言って、口にした人に悪意があると誤解されやすい状況にあります。他のあまり手垢のついてない言葉を探してきて、定義を明らかにしてから「正しい理解」の内容を展開されたほうがよいのではないでしょうか。
不便だからこっちもなんとかしてほしい。叩かれやすいのはある程度あきらめてますが、正しい理解をしたいと臨まれる外部の方が混乱しているのを見るのは、いくら萌え以外に無関心な輩でも少しは心苦しいものです。
あと、性的な妄想だから口にしたくないのではなく、むしろ背徳的だから萌えると理解してもらった方が字面がかっこいいです。エロは刺激的だから着目されるけど、だめな腐女子もいますよ。
性的じゃなくて背徳的。秘すれば花ですよ。そこらへんの隠微さが萌えの根幹だと個人的には思います。違うって言う人も多分たくさんいます。
*{ margin : 0 }はもう古い!? | Emotional Web
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はてなが酷い。
base.cssとかcommon.cssとかを書いて読み込ませるのは、何のためだったか考えてみよう。古い新しいの問題じゃないと気づくだろうか。少なくとも、レンダリング時間なんて完全に後付けだと洞察できるはずだ(あなたたちはjs大好きだよね)。
さて、真っ新なとこからCSS書いてくとき、どんなデザインにしろほぼ毎回指定する要素が出てくる。a img{border:none;}とかhtml,body{margin:0; padding:0;}とかだ。それなら始めにa img{border:none;}とかを羅列したファイルを用意しておけば、余計な手間が省けるじゃないか。たぶん根本の動機はこんなとこだろう。
それがいつの間にかデフォルトで適用されるスタイルをキャンセルするっていう方向へ迷走し、*{margin:0; padding:0;}なんて表現が生まれた。この指定は言うまでもなく有害で、著名なのはフォームのボタンが縮こまったり、liのネストが判別できないなどの副作用が生まれる。あまりにもすべてがキャンセルされるため、わざわざひとつずつ要素のスタイルを定義しなければならなくなって、ファイルサイズは増え可読性は下がり、冒頭で言うようにレンダリングにも時間が掛かるようになる。FireBugがない時代、この要素のスタイルはどのファイルのどの部分で指定されてるのか調べるのは本当に大変だった。*.cssをgrepしたとしても、単にul li{}とか書かれてるのがカスケーディングしてたらお手上げ。
これらのデメリットを認識したとき、はて*{margin:0; padding:0;}のメリットはなんだろうと考える。あ、特にないよね。じゃあやめよ。←いまここ
こんなのは実際にCSSを書いてたら気づくことだ。海外とか時代とか関係ない。元記事の趣旨は「*{margin:0;}は古い」じゃなくて「どんなCSSが効率的か Part2」だ。レンダリング重いから*{margin:0;}やめようなんてコピペ脳丸出しじゃ、いつまで経っても効率的なCSSなんぞ書けんよ。
*原理主義者が「(例えば数十年後にリリースされた)UAがどんなスタイルを適用するかわからないので、最初にリセットするのは永続性完全性の観点から意味がある」と言うけども、未知のUA(というかデフォルトスタイル)まで考えてCSSを書くのはあまりに大変だ。それに、そんなことになれば、たぶん、compat.user.cssみたいなのが流行るはず。デフォルトスタイルに頼った表現がしょせん実装依存なのは認めるけど、ちょっと非現実的すぎるので、考慮から外させてもらう。俺はいま実務の話をしたいんだ。
で、元記事では、じゃあどんなCSSがいいのかって点がついで程度にしか触れられていないので、俺なりに考えてみた。
これは外せない。aの中のimgにborder付けたいってほうがイレギュラーなので、わざわざa.logo img{border:1px solid #333;}なんて書き直すのも苦にならない。例外には手作業でもって対応すべき。
ほとんどの場合、隙間を空けたいよりも隙間を空けたくない。キャンパスはフルに使いたい。
印刷時にはそうでもないので、@media print {body{padding:1cm;}}なんてのがあってもいいけど、それはまた別の話。あとそういうのは印刷するユーザー側で指定すべきだとも思う。理想論だけど。
lang="ja"な文章において斜体は不要。どうせあなたはemとかaddressとかにfont-style:normal;付けるんだから。
preやcodeがsans-serifだとイラっと来ますよね。
やられるとイラっとくるもの。個人的。
俺はページをメイリオやヒラギノやM+ FONTやVLゴシックで見たいんだよ! お前の趣味を押しつけんな! あと最後に一般名(sans-serifとか)くらい書け!
でもpre.2ch-ascii-art{font-family: "MS Pゴシック";}なんてのはやさしさが溢れていてとても好ましいと思う。部分的にfont-family指定するのは別にいいけど、全体のデフォルトフォントをいじられるのは不愉快でしかない。
まあ仕方ないのはわかる。解決法も知らない。けどホイールでスクロールしてるとき興味のないサンプルコードで引っかかるのはとてもムカつくんだ。俺は君のサイトが崩れてるかどうかより、いつも通りのスクロールに関心がある。
pre以外にグラフィック目的でoverflow:auto;を指定するのは論外。
「CSSは個々人のスタイルを反映してるということでしかないんじゃないの」
「そうですね」
パラグラフはパラグラフだから、見た目が読みにくいと思ったらユーザースタイルシートでどうにかするべきだろ。もしくは自分のブラウザの幅を小さくして、自分で読みやすいようにするべき。
と、原理主義っぽく書いてみたものの、実際は増田を読んでる人の環境も多種多様だから難しいのだろうな。増田の過去にはこんなのも。
http://anond.hatelabo.jp/20060927022345
SXGAで画面幅いっぱいにブラウザを開いて増田を読んでる人もいれば、縦QVGAな携帯電話のフルブラウザで読んでいる人もいるだろうし、高解像度の画面で文字を大きくして読んでいる人もいるだろうし、低解像度の画面で文字を小さくして読んでいる人もいるだろう。
固定幅がいいのか可変幅がいいのか、という点とかもあろうけど、IEも7.0になるんだし、はてなの方でmax-width使ってくれればOK?
まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。
むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。
だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。
なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。
恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。
私は別に人類学や社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。
さて。
人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト(近親相姦)タブーを第一にあげるべきだと思う。。
http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。
私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。
でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。
それは例えばこうだ。
私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。
そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。
この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?
このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。
目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。
肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。
そもそもインセスト(近親相姦)タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。
原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。
それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。
ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりでたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。
なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。
ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。
なぜなら「翌日提出の卒論がPC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。
終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。
お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。
つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。
それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。
そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。
でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。
肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。
ID論とかキリスト教原理主義のプロパガンダとしか思ってない人が多いと思うんだけど
実際学会で議論になるのは進化現象の創発による上位概念の判別システムをどう考えるか?って感じなんじゃね
ここら辺は遺伝的アルゴリズムのプログラムを効率化する上位概念の観察の構築ででる観測者主観を模したタスクを考えてもらえれば解ると思うけど
(例えば有名なサラリーマンの巡回経路最適化問題で、突然変異とかの係数を自動的に変えるタスクのこと)
別に神とかいう概念でもないよーな気がする。進化現象のようなより複雑なタスクになった場合、これは知性と呼べるのかどうか?って感じ。
そういえば脳生理学とかでは自我とかも創発現象からアプローチした研究が多いよね最近。
まあそんなわけで、ID論自体は前回も書いたけど私は現実的な解は得られそうに無いと思うので否定的なんだけど。
web2.0とかも創発を利用したもんを指すって説に自分も一票
年末特番が詰まらなすぎて匿名ダイアリーでツマミを食べながら徒然なるままに書いてみた。
[糸井重里には負けないぞ][京都に向かって敬礼]を更に付けようとしたらタイトル制限食らってしまったYO(ノ∀`)。
今日、我が民族は地上で滅亡する危機、あるいは奴隷民族として他の民族に奉仕することになる危機に陥っている。
我々は我が祖国の存続のために、我々の子供達の毎日のパンのために、格闘しなければならない。
闘争によって、武力によって、最後の精神力まで緊張させ、世界の強国となり、
新しい領土を獲得することによってのみ、我が偉大なニンテンドウ民族は生存することが出来る。
人々は岩田社長に対し、全く無批判でした。 「ハード選択の自由」など大多数の人々にとっては、価値のある概念では全くありませんでした。 任天堂に疑いを差し挟むと、次のように反論されました。 「岩田社長が成し遂げたことをぜひ見て欲しい。 我々は今ではまた、以前と同じように大したものになっているのだから」 NDSのソフトがミリオンセラー問題を解決したことこそ、私達にとって重要な点だったのです。 大衆へ情熱を込めて語ったのは彼だけでした。 私たちは何か新しいことを聞くために、 なんでもいいから新しいことを聞く為に任天堂のプレゼンに出掛けたのです。 日本国内の状況は悪化する一方でした。 人々の日常生活を支えていたゲームの売り上げが根底から無くなり、 ゲームをやめる人が溢れ、ゲーム業界は乱れました。 経済状況に絶望していた私たちには岩田社長の語る新しいWiiは 素晴らしいものに思えました。 任天堂のプレゼンには神秘的な力で我々を魅惑し、 熱狂させる何か違ったものがあったのです。 それは旗をなびかせ、じっと前方を見つめ、太鼓を鳴らしながら進む 妊娠たちの一糸乱れぬ行進でした。 この共同体には何か心を揺さぶる圧倒的なものがありました。 しかし、私の父が妊娠について語る時、その言葉に感激や誇りが無く、 それどころかひどく不機嫌な響きがあるのが理解できませんでした。 父は「妊娠の言うことを信じるな、妊娠はオオカミだ。妊娠は日本国民を 恐ろしいかたちで誘惑しているのだ」 というのです。 しかし父の言葉は、興奮した私たち若者の耳には入りませんでした。 SCEI支配下に住むPS3住民は、クタラギ支配のもとで限りない苦しみを味わっています。 SCEIは200タイトルに及ぶ旧作ソフトの不具合と暖房器具のような消費電力量で、PS3住民を血の海に沈めています。 PS3難民の群れが任天堂帝国の保護を求めています。 (難民の女性の話) 「PS3の発熱がひどいのですが、仕様と認めないと射殺すると脅かされたんです」 ――プロパガンダ映画「PS3の難民」より 我々が今日持っているゲーム文化、芸術、科学および技術の成果は ほとんど専らニンテンドウが創造したものである。 ニンテンドウは人類のプロメテウスであって、 その輝く額からいかなる時代にも常に天才の精神的な火花が飛び出し、神秘の夜を明るくし、 人類をこの地上の生物の支配者とする道を上らせた。 ニンテンドウに最も激しい対照をなすものがクソニーである。 この世界にクソニーしかいなければ、彼らは泥や汚物に息がつまるか、 憎しみに満ち満ちた争いの中で互いに騙しあおうと務めるだろう。 我々任天堂原理主義国家は人種を一般生活の中心に据え、 人種の純粋維持のために配慮しなければならない。 ――我が闘争より この開発者たちが―― 世界一の浮動小数点演算能力、ポリゴン演算能力 高性能のXbox360を作ったのです このビルの40階に人がいます 何をたくらんでいるのでしょう 「DEAD OR ALIVE Xtreme 2」です 何のために夢も希望もないユーザーに 高性能のXbox360が必要だったんでしょう ――プロパガンダ映画(ソ連制作)より
http://anond.hatelabo.jp/20061127113348 のお陰で前にギャラクシーエンジェルのアニメ版原理主義者について書いてたのを思い出した。ぱにぽにだっしゅ!もマッドハウス版のGAも好きだという点では20061127113348と異なるものの《原作もアニメ版みたいになればいいのに》のような意見にはやはり同意できないから、そういう者を憎む気持ちは分かる。
原作付きアニメを必ずしも嫌いになるわけじゃないけど、【つまらないアニメのせいで面白い原作まで見限るアニメファン】や【面白いアニメのせいでつまらない原作を見限るアニメファン】の言動については作品そのものよりも嫌えることもあるかも知れない。にしてもオレのような【面白い原作のせいでつまらないアニメを見限る原作ファン】も対立するファンにとってのウザったさでは同じようなものか(いちいち書かなくても分かると思うけど面白い/つまらないは各々の主観に拠るよ)。
人の楽しみ方にケチをつけるのは不毛です、なんて月並みなオチがすぐそこに見える。