2007-03-21

だから僕は特定の宗教の教徒にならない

特定の宗教を信じているあいつらにとって、彼(あいつらが絶対しているもの。神でもしょーこーでもなんでもいい)が絶対なんだろう。

僕も信じているものはある。絶対かどうかは自信がないけれど、でも今までの経験から行くと信じるに値する。

光速普遍ユークリッド原論,etc

このような自分が信じている公理や定義から導き出される定理も信じている。

でもあいつらにとっての公理・定義は彼が言ったことなんだ。

もし僕がそんな奇跡おこりっこないよと言っても、あいつらは公理・定義は正しいからきっとその奇跡は起こるって言い張るだろうし、

僕がそんな奇跡起こってないよと言っても、あいつらの目にはその奇跡が起こっているように見えているに違いない。

だって、世界を構成するのは彼が発する言葉が元なのだから。

そもそも、あいつらにとてそれは奇跡ですらないはずだ。

僕があいつらと同じように特定の宗教に入信するときがあるとするなら、

それはその宗教の教えの中に矛盾のない公理・定義を見出したときだろう。

そこからきっと僕は定理を考えるだろう。

そして、きっと僕はその宗教原理主義者になるだろう。きっと。

ほんとうにすごいと思うのは、世の中の宗教ほとんどは少なからず矛盾がすでに発露しているのに

それを見過ごしてそのままその宗教を信じている人が多いということだ。

僕には耐えられない。

だけど、だから僕は特定の宗教の教徒にはならない。なれない。

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