はてなキーワード: エントリーとは
増田では、その日にブラウザでお手軽かつ受動的に手に入れた情報をできるだけ話題にしたくない。
資料や出来事そのものを1次ソース。マスメディアのニュースや、独自取材に基づいて書かれた記事を2次ソース。それらをクリッピングする孫ニュースとか、はてブエントリーを3次ソース。さらにそれらに食いついて不毛な論評を加えるぐるぐる泡沫ブログを消費者と考えると、増田親衛隊はそんな道ばたに落ちている味の薄くなったガムを口に入れるようなことはしたくないよね。
もっとなんかこう、それぞれの得意料理を持ち寄ってパジャマパーティー的な、そろそろ寒くなってきたから鍋でもやるか的な、外の無間地獄ではまた少ない食料をめぐって争いが起きてるよみたいな。そこまでアットホームな雰囲気は鬱陶しいというのなら、立ち飲み的なぬるゆる感でもいいよ酒場。
「あの時のあれはあれだったねぇー」みたいな温故知新も悪くないと、メタおじいちゃんは思うよ。
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/
何か既視感があると思ったら、これだ。
http://www.youtube.com/watch?v=hr-M32izelE
ミステリー仏壇屋のほうなんですけど、この「にーちゃんねーちゃん仏壇買って」っていうのが「Wii買って」に聞こえるというか。今日は安ぅ売っとるんやけど。知らん顔しとる。
(で、白菜とか日常雑貨はブログの右にはりつけてあるゴッドオブウォーとかディープブルーになるの)
しかし、kowagariさんのエントリーを見てみると、本当にWiiが仏壇に見えてくるなぁ。最近中身に対する説明がないよねみたいなところとか。
まぁ、Wiiは仏壇なんですよ!その心は、仏壇は形だけだけど拝めば拝むほど中身や利益がでる!(*´ω`*)
「私は買っていただくために、お(岩田社長のありがたい説)教を読みます」
はてなブックマークが衆愚化したと言われて久しい。多くの人が多くの解決策を打ち出しているように見えるが、未だ決定的な解決策は発見されていない。というかそもそもはてブの衆愚化問題は解決する訳がない。その理由を考えてみた。
衆愚化をホットエントリーに自分の好みと違うサイトが上がることだとすればそれははてなが真に民主主義に突入したことの証である。一部のハッカーやプログラマーがはてなを統治していた身分制の時代から、一般ユーザーが増えたことによって民主主義へと移行したのだ。
但し民主主義は、全員の絶対幸福を実現しない。何故ならば対立する概念が存在する以上その全てを満たすことは不可能だからである。
民主主義が実現するのは最大多数の最大幸福であり、言い換えればそれは皆、少し不満と同義なのである。
上の意見に反論するにはGoogle等を始めとするパーソナライズ技術を用いれば、全員の絶対幸福を達成出来ると主張することである。
一見この主張は正しく見える。ああGoogleは万能だ。それでも仙・・じゃないGoogleならやってくれるという奴である。
問題はあなたの好みを完全に、それこそ漏れなく、ダブりなく説明出来るアルゴリズムが存在するのか否かということだ。ここで漏れや、ダブりを生じさせると、情報の多さというレバレッジがかかってとんでもない差が発生する。
君は常にAmazonを見た際にオススメされた本を買っているのか?欲しいと思っているのか?
他人の趣向のデータの部分集合はあなたの趣向と似ることはあっても完全に同じにはならない。
こと趣向に関しては部分の集合は全体にはならない。
このことよりどんなにパーソナライズを突き詰めてもそれが問題の全てを解決はしない。
不完全な技術で莫大な量の情報を裁かなければならず、結果として自分の好みと合わない誤差=衆愚化問題の本質が発生してしまう。
以上より、この問題の解決策は禅の思想、足を知るが必要であると言える。
はてな匿名ダイアリーでのバトンといえば「しりとり」が一般的だけど、もうひとつ盛り上がっていないのは、
以上のふたつの理由があるのではと考えるに及んだ。
というわけで、しりとりのような匿名でコミュニケーションできるアイデアを拡張して、「所定のテーマに関して、特定のエントリーを指定してバトンを渡す」ちうのをやってみたら面白いんでないかと思ったんだけどどうかな?
手始めに私がやってみますね。
目に止まって応えてくれればもうけもの、みたいな感じで。
あ、うそいつわりで回答しても本人以外はわからないと思うので、そのへんはご自由にということで。
http://anond.hatelabo.jp/20061102053355 を読んで。
このエントリーは「ブックマーカーの意識が個人の内に閉じこもってしまった」ことの弊害を指摘したものだと思う。
最近とみに語られる「衆愚化」には両極端の側面があることがわかって非常に興味深かった。
で、最近思うことを箇条書きにしてみた。
caramel*vanilla: はてなブックマークがどっかおかしい件をはてブでたまたま見かけて思い出したんだけど、del.icio.usのタグは本当に整然としているなあ。
そのへんのさじ加減って、どのあたりを落としどころにすればいいんだろうね。
「はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い」という記事が注目を集めていたようなので、遅まきながら言及してみる。
先ずは周辺記事から目についたものをピックアップ。
アルファクリッパーの影響力なんてそんなに大したものではないんじゃないか、という話なのだが、その根拠が「アルファクリッパーがブクマした記事が全てホッテントリになるわけではない」というもので、元記事とかみ合っていない。
元記事をよく読めば分かるが、元記事は別にアルファクリッパーがブクマしたら必ず話題になるなんて主張しているわけではない。
例えば、あるブログの記事をアルファクリッパーが十回ブクマしたとして、そのうち九回までが1userのままだったとしても、残りの一回でブクマ数が伸びて話題になれば、それは十分「話題になるブログ」なのだ。
そして、そのようなブログはそうした機会すら得られないブログに比べてはてブで話題になるという点において絶対的に優越した地位にある、というのが元記事の主張である。
なので、「アルファクリッパーがいくらブクマしても全然話題にならないブログもある」と言うのならともかく、個々の記事単位でホッテントリにならないものもある、と言ってみたところで反論として成立していない。
また、アクセス数の話にしても、はてブがアクセス増に必ずしも結びつくものでないことは以前から指摘されていたことであり、これも反論になっていない。
アクセス数が少ない=はてブへの影響力も少ない、ではないのだ。
(アルファクリッパーのブクマ数・アクセス数への影響力については、「萌え理論Blog - はてブのアルファクリッパーの影響力」も参照)
「流動的」「癒着」「支えあう」といった言葉の意味が曖昧で、正直、何を言いたいのかよく分からない。
おそらく、常に同じ人がアルファクリッパーであり続けられるわけではない(なので、アルファクリッパーを囲い込む必要は無い)、という主張なのだろうと思うが、やはりそれも反論としては不十分だろう。
アルファクリッパーが移り変わるものであるという主張が正しいとしても、それは単に囲い込まなければならないアルファクリッパーが変遷するというだけで、アルファクリッパーを囲い込むことの重要性自体が否定されることにはならないのである。
この他にもいくつか関連記事を読んでみたが、どの記事も元記事の内容にあまり深くつっこんで書いておらず、元記事に対して適切な反論を加えることができていないように思う。
そこで、ここで改めて元記事を検証することで、そこに潜んでいた問題点・レトリックを明らかにしてみようと思う。
過去のブックマーク界隈を思い返せば自明であるように、ブログの記事がブックマークされるためには、完成度の高い記事である必要は全くない。隙の多い記事である方が、ブックマーカーの言及欲を刺激してブックマーク数は伸びる。
斬新な視点も必要ない。ブックマーカーは何度同じ話題を繰り返しても平気である。
真理を突いている必要もない。はてなブックマーカーの眼力が大したものではないことなど、あえて言うまでもないことだ。
先ず指摘すべきは、この記事が、ブログの「質」というものを非常に限定的に捉えているということだ。
少し考えればわかることだが、ブログ記事において重要なのは、ここに挙げられている三つの要素、完成度の高さ・斬新さ・真理を突いていることに限られない。
例えば、文章の分かりやすさや構成力、情報量なども記事において重要な要素であるし、そもそも完成度の高さや真理を突くことが要求されないネタ記事や体験談のようなものの場合、当然「質」の意味も変わってくるだろう。
ブログの「質」というものを語るのであれば、そういった諸々の要素を総合的に考慮した上で語られなければならないはずであるが、この記事はその中から恣意的に三つの要素だけを抽出し、あたかもそれだけでブログの「質」の全てを説明できるかのように語っているところに欺瞞がある。
また、それら三つの要素にしても、「必要が無い」ことと「あっても意味が無い」こととは異なることに注意しなければならないだろう。
少なくとも、斬新さ及び真理を突いていることについては、それが必要でないというのが正しいとしても、それを備えていた方がよりブックマークされやすくなることだろう。(ブックマーカーの判断力の高低が様々である以上、的外れな内容の記事で関心を引けるブックマーカーの数は限られてくるし、同じ話題を繰り返すことを好まないブックマーカーにブックマークされるためには斬新さも必要となる)
完成度の高さ(これも曖昧な言葉だが)については微妙なところもあるが、完成度が高いことはそれ自体が大きな魅力となり得るものであり、完成度の低い記事が言及欲を刺激するのと比べて、どちらが多くのブックマーカーをひきつけるかは一概に言えるものではない。
大体において、アルファクリッパーが巡回しているブログの中にも、ブックマークされやすいブログとそれほどでもないブログがあることはある程度はてブを知っている人間ならすぐ分かることなのだから、ブックマークされるためにはアルファクリッパーが巡回していること以外にも何らかの要素(ブログの「質」、ジャンルなど)が絡んでいることは明白であろう。
よって、ブックマークされるかどうかは記事の内容によっても左右されるということができ、ブックマークされることはブログの「質」と何の関係もないとする元記事の主張は過剰な物言いであることが分かる。
さらに、ブックマークされる機会をどのようにして得るかという観点からも、アルファクリッパーの巡回先にならねばならないとする元記事の主張に批判を加えることができる。
というのも、はてブで話題になろうと思えば、アルファクリッパーの巡回先になる以外にも、様々な方法があることは経験上明らかだからだ。
例えば、その時話題になっている記事について言及したり、有名ブロガーにトラックバックを飛ばしたりすることで無名のブログが話題になるなんてことはざらにある。
他にも、ニュースサイトで紹介されるといったパターンもあるし、荒っぽい方法としては、わざと炎上を誘発することで人を集めるというやり方もあるだろう。
このように、ブックマークを集める方法が多様に存在している以上、話題になるためにはアルファクリッパーの巡回先にならなければならないとする元記事の主張は簡単に否定されるのである。
ただ、こういった方法にはその時限りの効果しかなく、継続的に話題になる機会を得るためにはやはりアルファクリッパーの巡回先になるしかないのではないか、という疑問も湧く。
「話題になる」の前に「継続的に」と一言添えるだけで、元記事の主張は極めて真っ当な主張であるようにも思えてくるのである。
しかし、ここで少し考えてみて欲しいのだが、なぜ巡回先に入れてもらうブックマーカーは「アルファ」でなければならないのだろうか?
アルファクリッパーとそうでないブックマーカーの間には、本当にそれほど大きな違いがあるのだろうか?
元記事も述べているように、記事がはてブで話題になるためには、多くのブックマーカーの目に触れる機会を持つことが必要となる。
多くの被favを抱えているアルファクリッパーが重視されるのもそのためであるが、ここで忘れてはならないのが、注目エントリーやはてブニュースの存在だ。
これらは、ブックマーカーがアルファかどうかなどといったことに関わりなく、ブクマ数が閾値に達すれば記事が掲載されるというものであり、事実上、ブックマーカー間の影響力の格差を縮減させる機能を果たしている。
つまり、ブログ側としては、何もアルファクリッパーにこだわらなくても、自分のブログをブックマークしてくれるブックマーカーを数人持つことができれば、それだけで話題になる機会を確保することはできるのである。
無論、アルファクリッパーの影響力に比べれば、そうでないブックマーカーの力によって記事が表舞台に出ることは少ないであろうが、少なくとも、アルファクリッパーが巡回先になることが必要であるとする元記事の主張はアルファの優越性を絶対視し過ぎており、不当なのである。
さらにもう一つ付け加えると、ブックマーカーの影響力は、実のところ、外からは非常に判断しづらいものであるということ述べておく必要があるだろう。
一見無名で被fav数も少ないブックマーカーであったとしても、被fav数の多い大旦那クラスのブックマーカーのお気に入りに入れられていたりすれば、間接的に非常に大きな影響力を及ぼすことがあるし、コメントの有無、タギングのし方、一日あたりのブックマーク量などによっても影響力は左右される。
つまり、ブックマーカーの影響力とは単純に知名度や被fav数から判断できるものではなく、他のブックマーカーとの関係や本人のブクマ態様等によって変動し、そのため、ブックマーカーにおけるアルファ概念の確立は非常な困難を伴うのである。
元記事には、そういった点についての配慮も無く、アルファとそうでないブックマーカーを単純に区別できるものとして捉えているところにも問題がある。
以上見てきたように、元記事の主張には明らかな誤りが多数含まれており、その内容自体は暴論と断じていいだろう。
しかしながら、今この記事を書きながらも、私の中に何か虚しさのようなものがこみ上げてくるのは何故だろうか。
私がこの記事を書いたのは、冒頭に挙げたような例を除いて、ブックマーカーたちやブロガーたちの元記事に対する反応の多くが元記事の内容を肯定するようなものであったことに危機感を覚えたからであるが、そこで彼らが漏らしていたはてなブックマークの現状に対する不満や失望には、むしろ共感を覚えていた。
新規に発掘されるブログが少ない一方で、一度有名になったブログは、「質」の低いどうでもいいような記事でも盛んにブックマークされて注目エントリーや人気のエントリーを賑わすという現状。
そんな現状に対する失望感が多くのブックマーカーたちの間に広がっていたからこそ、あの記事は、その粗雑な論理にもかかわらず、多くの支持を得ることができたのだろうと思う。
その「質」というのはお前の価値基準に過ぎず、ブックマークする人々はそれぞれ違った価値基準でブックマークしているのだから文句を言う筋合いは無い、というような正論も、彼らの失望の前では何の意味も持たない。
そのような相対論によってしか正当化を図れないという事実こそが、まさに彼らの失望の対象に他ならないからだ。
結局のところ、はてなブックマークは、我々一人一人の理想とは異なる、別の「何か」でしかなかった。
そして、その当然の事実について、もう誰もが気づき始めてしまったのだということを、あの記事への反応は示していたのだろうと思う。
その諦観は深く、このような記事を書くことの意義を私の中で危うくさせるのである。
webサイト(このエントリーで言うwebサイトとは、アクセス認証などのシステムを取っていない、不特定多数の人間が閲覧可能である物を指すこととします)というのは、管理者が自由にできる空間なんです。
気に入らないコメントは自由に消してOK。
トラックバック削除OK。アク禁OK。誹謗中傷や著作権法に抵触しなければ、何書いても良い。
でもその力は、残念ながら、貴方のwebサイト上でしか効力を持ちません。
貴方はインターネット上の全てを自由にできるわけではないと言うことです。
それどころか、あなたのwebサイトをあなたがいかようにもできる権利を持つように、他のwebサイトには、あなたのwebサイトに無断でリンクする権利が認められています。あなたのwebサイトも、他のwebサイトを批判する権利を持っています。反論もできますし、また他の誰かが「そうだ、もっと言え」「ちょっと言い過ぎじゃないですかね」「こういう考え方もありますよ」などと横やりを入れることも可能です。
インターネットは貴方の言論をリスクなしに放言できる空間ではありません。
マスメディアが(建前上は)持っている、「責任者によるチェックシステム」を、インターネットは持っていません。それゆえ、無断リンクや批判を禁止してしまうと、影響力のもつ人間がwebサイトで嘘の言論を発表した瞬間、多くの人がその欺瞞や間違いに気づかず信じ込んでしまうことになります。
ですからインターネットでは、そのチェックシステムの代わりに、「全てのwebサイトを検閲なしに批判することができる」という権利を他者に与えて、貴方は初めて貴方のwebサイトを自由に扱えるようにしているのです。貴方は「自由」である代わりに、批判される「義務」を持っているのです。
(無断リンクに際して誹謗や中傷が行われる可能性もありますが、それはまた別件として糾弾すべきことです)
隙のある記事でうけを狙うのは、まぐれ当たりにはなるとしても、継続的な読者は獲得できないのではないだろうか。
情報の持ち合わせが少ないのに名声は獲得したい一般人が発する妄念を感じることがある。それらの妄念のうちのいくつかは、なんらかの条件が重なって多くの読者の目にとまることがある。これらは珍しい事例であり、妄念界の一発屋、「一発妄念」とでも言うべき作品である。しかし、一般的にほとんどの妄念は、Web上で流通する玉石混淆の情報群の中の「石」に属しているものだから、記事に重み付けをおこなう技術によって淘汰されていってほしい。
アルファブロガーについて。私が知っているアルファブロガーとされる人達は、それなりになんらかの専門的な知識や得意分野を持っている。多くの読者の間に「○○ネタなら××さんのトコが詳しい」といった認知が定着している。
これからもアルファブロガーの称号を与えられる人々は増えていくだろう。しかし、アルファブログのジャンルの内訳には偏りが予想される。たとえば、コンピューター関連の技術に関して、目下商品として自分が開発に携わっているプロジェクトの製法や根幹技術にまつわる生のレポートなどではなく、開発が完了して出荷を待つ商品の広告として。アルファブロガーの執筆活動は余技の中で行われる。苦労して編んだ成果は、無報酬の場ではなく、報酬も名声も実体を伴って得られる現実世界の閉鎖的なコミュニティの中で流通している。
一方、アルファブロガーではない人のブログは記事の蓄積の中に一貫性が感じられない。もしくは、一貫性があったとしても、情報としての価値が低い(たとえば「今日、○○さんたちと一緒に××で△△を食べました、おいしかったです(以上)」みたいな)。
アルファクリッパーについて。はてなキーワードの定義によれば、アルファクリッパーとは「一日に20以上のエントリーをクリッピングをしている人達のこと」だという。「アルファ」という接頭語をつけるのは妥当なのだろうか?アルファクリッパーとされる人達のクリッピングは他のソーシャルブックマーク利用者になんらかの影響を与えているのだろうか。アルファクリッパーとされる人達とそうではない一般クリッパーとの間に一票の格差はあるのだろうか。
ブックマークされる記事の種類に偏りがあるように思う。
今のはてなブックマークは「未知との遭遇」を促す道具というよりは、ありきたりな情報に大衆がつばをつけた痕跡をさらす場所のように思える。
自分にとって、ホットエントリーや注目のエントリーは最大公約数の列挙にしか見えない。だから、自分の興味のあるタグ名から生成したフィードをRSSリーダーに登録して、読む記事を選り分けている。この手法をつかうと、はてブの飽和状態への不満に一定の精神的安定がはかれるし、自分の興味の対象がWeb上でやりとりされやすい情報なのか否かが判断できて面白い。
例えば、最初に何時までにいくつブックマークされるかを競う。で、宣言通りになったらその投稿者のidを、それを見た人はマイハテナーにしないといけないが、宣言を外せば、そのエントリーに足跡をつけた人をマイハテナーにしないといけない、みたいなの。ただ、それだと宣言リスクが余りにも大きすぎるので、最初に別エントリーを立てて賭けに乗る人をブックマークで募るというのがいいかもしれない。で、マイハテナーに入れるのはそのブックマークした範囲でみたいなの。
参照:http://yuichirou.g.hatena.ne.jp/Yuichirou/20060401