はてなキーワード: めんどいとは
ちゃうねん(以下ネタバレあるよ)
でも、主人公がキーを握ってるから、ルート外れればあの事件に関してことみは一生救われない可能性が高い
さらにいくらCLANNADがマルチエンドを謳ってても主人公が選ぶのは渚ルートなわけだから、
ゲームの作りからしてことみが救われない可能性が高く作られてると言える
つまり「ことみが救われる世界」自体が分枝の中でも特に薄いifでしかない
そういう意味で「いたたまれない」って言った(やるせないの方が近いかもしれない)
CLANNADはエロゲでもないんだし、無理やりマルチにする必要なんてなかったんじゃないかって話(なの?)
腹立たしくて書きなぐっただけだったから乱文だった すまん
まあアニメでひとつの答えが出るかなと期待してる
>http://anond.hatelabo.jp/20071214121344
その通りだと思う
ただただ、何なのこの話って思っただけだから
うわ、考えれば確かに…
keyひどいわ…
>とらハ
名前しかしらんのですよ
にわかに近いのに偉そうなこといってすまんです
パスタといえば茹で時間+1分で作れるカルボナーラモドキはよいよ。書いたもんだけど、トラバもらって微妙だって言われた。
http://anond.hatelabo.jp/20071212020334
たしかにそのとおりだ、おおきなパスタパンと火力強いコンロ(ふたは使わない、洗うのめんどいから)は確かにひとりぐらしの干物女もしくは女ひでりの家に似つかわしくない。ごもっとも、ありがとうね指摘してくれて。勉強になったし反省した!
ただこれだけはむちゃくちゃ。「オリーブおいるは最低でもエキストラバージンクラスがいいです。麺はやすくてもあまり変わりませんがオリーブオイルは大きく違います。いいのを買いましょう。いいのをつかえばどばっと入れてももたれないのでどばっといれよう。」って、エクストラバージンって言うのはランクとかじゃなくて種類ね。オリーブの身をしぼったときの一番絞りがエクストラバージンで、これは「オリーブオイルの香りが主役」か「強い香りがでる食材のなかでオリーブオイルを主張したいとき」のためのオイル。へたに多用するとオリーブの生臭さがでるし、たとえば日清のエクストラバージンオリーブオイルとGotinoae(アルファベットじゃ書けない)のプレーンオリーブオイルだと「オリーブ」なのは前者だけど、値段とか飲んだときの味わいは猛烈に後者が勝ってる、というか、用途が違うんだけど。ちなみに保存利かないと思い込んでるから俺は高いの買わないけどな。あと、トマトソースや、オイルソースならよっぽど濃いやつじゃない限り、麺の味の影響はでかい。「あまり変わらない」は事実として間違っている。主観だろっていうならためしにくらべてごらんよ、ディチェコでいいよ、そんな高くないし。セービングのも好きだったりするけど。ただお金が無いなら100均一で500gのスパゲティーを買ってくるのが妥当だとは思う。金があるならごはん炊くだろうしな。
じわじわ加熱しながらその横で、
炒めながら、キャベツを
火が大体通ったあたりで鍋の湯が沸くので
鍋の湯をあけます。そうしておいて鍋を洗って、フライパンを洗います
このへんは諸手挙げて絶賛いたしますのですのだぜ!
でもなー。
クリームシチューの素って部分だけが惜しいんだ。きっと増田の皆は「真空パックを剥がした状態で残す」のにやりきれない思いを抱くと思うんだ。
てことで俺女流。お勧めはインスタントスープの粉。カップでもよし。きのこポタージュとか、ポテトポタージュとか、なんならクノールのミネストローネとか、そういうのを水少なめでパスタにぶっかけるイメージ。何より包丁もまな板もつかわないんだぜ!なんならフライパンも油も使わない。洗いは一瞬、もちろん食前に済ます!
はてな記法も上手くつかえないみたいだし。
中二病って概念は知ってるし、2chのスレ紹介してるブログとかで「中二の頃こんな痛々しいことしてた」みたいなのを見て笑ったり、いわゆる邪気眼みたいなのを笑ったりしてるけど、
でもある日ふと思った。
自分って中学生の時、こう言う経験なかったんだよなあと。
邪気眼はまあ大げさにしても、そういういわゆる「イタい事をした経験」ってのが、実はないんだよなと。
でも、笑ってる。さも「あるあるw自分も昔こういうしてたw」的笑いで笑ってる。でも、したことないんだよな。
反抗期も、思えば特に無かった。親に「うるさいんだよ!」とか理不尽に切れるとか、一切無かった。
普通に学校行って、まあちょっとだけ「授業めんどいw」とか言ったりして。した悪いことといえば本当はダメなのに学校にのど飴を持っていったこととか、掃除を適当に切り上げたとか、宿題を一日遅れで出したとか、そんなもんだった。
で、なんでかっていうと、そもそも中学の時点で既に、「イタい」っていう概念が皆に広まってたから(じゃないかと思う)。
ハジける前に、「そーゆーのイタい」って感覚が、何となく既に身についてしまっていたから。
だからなんか恥ずかしいこととかする前に、自然と「マンガキャラクターのまねとかしたら恥ずかしいしな…」的な感じで、自粛というと変だけど、自然と「そういうのはイタいからやめよう」って気になってた。今思うと。
でかといって大人しく完璧な優等生かっていうとまあそういうわけでもなく、ちょびっとハジけるくらいはした。運動会でバカやったりとかそのレベルならしたけど、ある種それも「皆にドン引きされない程度のバカ」を演じてた、というような感じで、皆がガチに引かないことを分かっていてやっていたんだよな。
高二病ではあったかもしれない。「こんなことやってるのってイタいよなw」「ちょっと流石に引くわw」みたいな、クール気取ってるような、どこか「分かった大人ぶってる」ようなところはあった。今思うと、それはそれで痛いのだが、なんにせよ中二病ではなくて高二病的だった。
そんで高校生になったらどうしたかっていうと、中二病については、ちょっと前の学年の事だというのに「まあ、若い頃は皆やるから、ある意味仕方ないんじゃないかな?」「はしかみたいなものでさ。そういう時ってあるよ」みたいに更に「分かった大人ぶってるモード」が変に進化してしまった。バカにするんじゃなくて、「まぁ、あるよあるよ。俺らもあったよ」的上から目線。本当は別になかったのに。この頃になると痛い人を見てもバカにするんじゃなく、「まぁ…彼もいつかはイタさに気付くさ」とか「まあ、ああいう人もいるわな」的な視線になっていった。中学校のときは心の中でバカにしていた。
そんでそう気付いてから、そうやって反抗期も特に無く、他人に対して特別「イタい」行動をとったわけでもない、いわゆる暗黒時代があるわけでもなく、まあそれなりにそつなくやってきて、かといって超モテたとか、超リア充ってわけでもクラスの中心ってわけでもなくて、どっちかというとインドア派で、だけれどもイジめられたとかキモいとか言われたわけでもない……
そんな自分が、急激に恥ずかしくなった。
過去を思い出すと、そんな「そつなくやってきてしまった自分」が恥ずかしくなった。
終始分かった大人ぶってたことが、なぜか今、とてつもなく恥ずかしいと同時に、もう少しくらい、年相応にイタイタしくしていればよかった、とすら思う。そして今になってそれを後悔するのだ。「あぁ、なんで自分はあんなイタいことを。邪気眼なんて恥ずかしいぃいいい」とか思いたかった。なんていうか、変な話、「それをして自分は成長するはずだったんじゃないのか」という、「手落ち感」があるのだ。思春期に受けるべきだった洗礼を、自分は変に知恵をつけ、ネットを見て、回避してここまできてしまった。思春期に、その年相応にハジけることをせず、既に20代の如き落ち着きを(振りだが)見せ、「まぁ…こんなものだろ」とある種の諦めを早々に得て、…………単純に言えば、自分は思春期にして「老けてしまった」。そんなような恥ずかしさ、手落ち感がある。「老ける」なんてのは、それ相応の人生経験があるからこそできるのであって、自分みたいな若造がしていいものじゃなかったんだと気付いた。思春期に外面だけ「これをしたらイタい」「あれをしたらイタい」という情報だけ汲み取って、それを回避し、分かっている大人ぶって……
それは、逃げてただけじゃないのか。
正面から何かにぶつかることを。
そして思春期ってのは本当は、イタくても構わないから、後でイタかったことに気付いてもいいから、未熟でもいいから、とにかく何かに、真正面からぶつかってみる時期だったんじゃないのか。
例えば劣等感。例えば自尊心。例えば自己愛。などなど、そういったもろもろの、ある意味いくつになっても存在する人間の「イタイタしいポイント」に、いっぺんぶつかってみるべきだったんじゃないのか。
自分はそれから逃げた。無理矢理にそれらのイタイタしい精神部分にふたをしたり、「まあ、そういうもんだよ」と言う呪文をかけたり「自分には才能ないって知ってるし」というポーズを決めて、それらを封じ込めてきた。眼を背けてきた。一度も、真正面からそういう心に向き合ってこなかった。とことんまで追求することもなかった。
確かにそつなく人生送ることはできた。でもそれでいいのか?で、それで、そつなく人生送って、自分はどうするんだよ、どうしたいんだよ。そういった疑問が今頃になってふつふつと浮かび上がってきた。本来はこうしたものは思春期に終えていないといけないのかもしれない。いまさら浮かび上がる。いまさら自分は「イタく」なる。
こういう「熱さ」みたいなのを、恥ずかしいと思っていた。「それで自分はどうしたいんだよ!?」そうやって自分に叫んだり、無我夢中であがいてみたり、自分の可能性を信じてみたり、それに向かって頑張ってみたり、そういう「熱さ」は、自分の世代じゃちょうど「寒い」ことになってて、マジに「自分のやりたいことで悩む」とかはなんとなく恥ずかしい感じがしていた。「自分探し」とか言い出す前に、そもそも「自分探しなんていう若者が最近多いけど、本当の自分なんてのは海外に落ちてるもんじゃねえよ」的な言葉を既に知ってしまっていて、それを見て、「そうだよな。自分探しなんてなあ(笑)」的にまた、深く考えることなく「分かってるポーズ」を自分は決めていた。何でもかんでも、「イタイタしいワード」が出てくるより先に、「そのイタイタしい行動についてのオトナの一般論」みたいなのを見てしまっている。その「イタイタしいワード」について自分で深く考える事も無く、「そうだよな(笑)」と「分かってる」振りをし続けてきた。
それが今になって、混乱している。それでいいのか。それでよかったのか。いや、過去をぐちぐちいっていてもしかたがない。でどうすればいいのか。自分はどうしたいのか?どう人生を生きたい?
そんなこと、今更考える事じゃないだろうといわれるかもしれない。
自分は、今更思春期が来たのかもしれない。
それでも、「分かっていた振り」を決めていた頃より、こうして真剣にぶつかる方が、なんというか、楽しい気がするのだ。
いや勿論、自分の嫌な所にぶつかるのだから、苦しさもある。けれど今まではただ封をして諦めていたところに、「希望を持ってもいいのかもしれない」というような希望が現れつつある。「イタいから、イタいからって今まで封印してたけど、いいのかもしれない」そんな希望みたいなものが生まれつつある。「枯れてる自分」を演出するのはもうやめる。イタくても寒くても熱いほうがいい。「枯れてる自分」を装っていると、確かにあまり傷つかないけれど、それは、最初から自分が水底に沈んでいるからってだけの話なんだ。傷つくのを恐れるのはもう……やめよう。
ずいぶん昔の話だが、中学生の頃男子に花をもらった。まぁやつは生徒会役員をしててお疲れ様かなんかで花束もらってたんだけど、持ってかえるのめんどいからこれやるっつって全部くれようとしたのだ。全部とかいらねーよ!おまえがもらったんだろ!となぜか半ギレ。向こうも向こうでいらねーんだよ!自転車で持って帰るんだぞ!嫌に決まってんだろ!と逆ギレ。だったらくばれよ!とさらに切れる私。友達はにやにやしてみてるた。ひどい話だ。まぁ簡単に言うとそいつが好きだったんだけど、そこで素直に喜べるようなキャラじゃなかったのでありますよはい。
結局バラの花一輪だけもらって変えるということで収集がついたのだが、なぜやつがそこまで執拗に花をくれようとしたのかはいまだ謎。その後ずいぶん経ちましたが花をくれるような男性にはついぞ出会わず。もらってついでに告っとけばよかったのかなぁ…とか思ったりまするけどできたら苦労しねーよ!
全然便利じゃなくなったため
こりゃどうにかせにゃならんとタグを整理し始めたけど
また面倒になりました。
だって400くらいブクマあったんだもん
今更タグつけなおしとか面倒すぎる
ていうかタグつけてないのとかあるし
あーだから!!最初にきちんとしとけっての俺!
何でもそうだもんな部屋の整理でも最初の設定めんどくて適当やってるうち時が結構たっちゃって気付いた頃にはもうぐっちゃぐちゃ。最初のちょっとした面倒を実行してればスムーズに行くことなのにどうして目先の楽さをとってしまうんだろう……どうしてってまあ面倒くさがりやだからなんだけど……
あーマジめんどい!
逆に便利さの奴隷になってるよ
便利な道具ってのは最初にしっかり設定したり使い方に慣れないと、こうやって後から面倒な事になるか、三日坊主になるかどっちかだ。あぁーーーーーーーもうやだ自分が嫌になる
それでいて捨てられない人間だからファイル全消しとかもできないし
もう嫌だめんどいわ
つか「ちゃんとしよう」と思うとそれはそれで今度はやけに完璧主義になっちゃうから
なんか肩こっちゃって(精神的な意味で)、途中でやめちゃうんだよね。面倒になって。
うまく力を抜くってのが破滅的に出来ない。完全に力を抜くか力を入れるかしかできん
そんな自分の性格がまた面倒臭い
あぁあああああああああああもううううううううううううううううううううう!!!!!!!なんでこんな性格なんだよ、氏ねよ俺
■昔、会社に入りたての頃、深夜に会社のコピー機のA4用紙が切れた事があった。
運が悪いというかなんというか社長の虫の居所が悪かったか「今すぐ買って来い!」とどやされて朝に近い深夜にコピー用紙を求めて徘徊する事に。
■A4のコピー用紙というものは意外と無いもので色々なスーパーを回っても置いておらず、一番有望な隣町の深夜までやっている100円スーパーに行っても50枚のB5しか無かった(;´Д`)
そうだ、コンビニのコピー機の紙を売ってもらおうと思い、コンビニに行き、いつも弁当の箸やフォークを入れ忘れくてくださるボンクラ店員に頭を下げて頼んでみると「売り物じゃないからとやんわりと拒否された。」
少し食い下がったですが「POSに入ってないからめんどい」とかでやっぱり拒否。
■そういう事で打つ手ナシでボショーン(´・ω・`)としていると店内でやりとりを見ていたと思われるおじさんが声をかけてきた。
■「少し歩くけどウチの事務所にあるからおいで」という言葉に甘えて着いていくと牛乳屋さん。
配達前の忙しい時間を割いてそのおじさんにA4用紙を20枚ほど分けて頂き、本気で助かったので寸志を渡そうと思ったら「いいよ、困った時はお互い様だから」と辞退された。なんかコンビニの自分はよっぽど必死に見えたみたい。とにかく人の情けが身に染みた。
■ーそんな事があってそういう人が困ってる時はできるだけ助けようと心に決めた自分。それがおじさんに対しての恩返しだと思ったからだ。
■チャンスは数年後のあるいい時間にやってきた。
コンビニでご飯を物色していると、女の子が「コピー機の用紙ありませんか?」と飛び込んできた。
案の定断られて困っているようだったので「あの時のおじさんの恩を返すのは今しかないヽ(`Д´)ノ」と声をかけてみた。
…すると一瞬ぽかんとしていた女の子はすぐさま困惑の表情を浮かべ「い……いえ結構です」とあわてて去って行った。
…………………(゜Д゜)……
もう親切なんてしないなんて言わないよ絶対(;´Д`)死のう。すぐさま死のう。