若いうちは情熱があってブログを書こうとかSNSで発信しようと思ったかもしれない
しかし32歳にもなると、大抵のことは予測の範囲内の出来事になり、発信など馬鹿らしく思ってくるのである
若いうちに「離した(話した)」ことの数々は、今ではありきたりなつまらない存在となり、どうでもよくなるのだ
ネットの言論やニュースを見ても、刺激を得られなくなってくるのである
「また似たようなことを言ってる」という感想に落ち着くので、わざわざ他人の言論を見る必要性がなくなってくる
フェミニスト・弱者男性論争だってそうだ、ありきたりなことしか連中は言っていない
下駄を履かせてもらているインフルエンサーや有名人の類が、傲慢チキにしか見えなくなるのもこの歳の現象だろう
「誰もが考え付いたことのない新規性の高いことを発信すること」を目指そうとしても、一筋縄にはいかない
検索すれば似たようなことを考えている人がいる
高度な数学的アイデアの類であれば「自分とそれを研究する者しか知らない」というドメインを見つけることもできるが、そのような事柄には人からの反応がないのである
そう、深淵には反応がない...これはネット社会の一つの奇妙な側面と言える。深淵の研究は孤独を伴うのだ
例えば平均場ゲーム理論やグラフダイナミカルシステムについて研究したいなら、ごくごく少数の研究者を見つけ出して彼らの知見を聞き出すのが良いだろう