27年前の羽生善治と今の羽生善治を比べること自体がナンセンスだってのは同意するが、割と見受けられる「今の羽生の方が強い」論には疑問符をつけたくなる
コンピュータ将棋が強くなったことにより、主に序盤中盤の定跡が劇的に進んだ、つまり戦術知識における緻密さ・正確さというものが27年前と今とではまるで異なることは周知の事実だ
しかし将棋の強さは単に豊富な定跡の知識や経験を持ち合わせていることにあるのだろうか?
否である
藤井聡太がデビューの頃から繰り返し「棋士のピークは25歳」だと発言しているのは有名な話だが
彼がそう言うのは、将棋が本質的に「読み」のゲームだと考えているからに他ならない
将棋は先手と後手が一手一手交互に指す
双方が予め組んできたデッキをバン!と突き合わせていざ勝負、というゲームではない
相手の出方を見て、次にどの手を指せばどう進むのか、頭の中で盤面を都度思考し、各分岐ごとに形成判断を行い、一つの指し手を選択するゲームである
むろん現代はあらゆる定跡が整備されていて、研究という名の早見表により作戦勝ちを決めやすい状況であることは先にも述べた通りだが、
それでも一手一手を考えること、終始手を読み、手を選択するということが将棋の真髄であり、それこそが「強さ」である、と藤井聡太は考えているんじゃないか
俺はそう思う
だから27年前の羽生善治七冠(25)と今の羽生九段(52)のどちらが強いか、という質問は決して的外れでバカな質問ではない
俺は支持する
ワイは昨日の増田ではない( ・`д・´)