一昔前のいわゆるぼっちに対する反応というのは如何なものであったか。現代におけるぼっち(とりあえずこの文章での定義は友達がいないor友達がいるがあえて1人で行動することを好む人間とする)の立ち位置はどのようなものになるのだろうか。2014~2017年最初の3年はぼっちに対する当たりはまぁまぁ強かったように感じる。ひとりでどこか出かけるというだけでお前1人なんてマジかって感じだったし。そうだったから自分自身が恥ずかしかった記憶もある。ただそのころに「一人旅」がピックアップされ始めていたこともあり、ぼっちに対する意識が少し変わりつつあった時期なのかもしれない。しかしそれでも「一人カラオケ」「一人旅」という言葉が出ている時点で本来大多数で行う必要がないが大人数で行うことが暗黙の了解とされていたことに対して、新たな考えであったことは確かである。2018~世間の考え方も少し変わったように思う。集団であること、誰かといることが当たり前であるという考え方に変化が生じたように思う。これはLGBTQへの寛容さなどと一緒で、他人と違うことを茶化したり、差別的な意識を持つのはやめようという考え方が広まってきたことと連動しているように思う。そのため、ぼっちでいることに対してとやかく言われることは無くなった。世間のぼっちに対する目は確かに変わったのである。しかしこれはいつ壊れるか分からない橋を渡っている感覚に近いのではないかと感じる。少数派への尊重は建前でしかないからである。少数派はどこに行っても少数派であり、他者とは異なった姿を取る。それまで当たり前と信じていたことを人間は早々変えられない。ぼっちだから、LGBTQだから。少数派の主張が通りやすい世の中では必然的に多くの人が窮屈な思いをする。それまでの当たり前を安易に共有できなくなり自分の発言に自信がなくなる。そして限界が来たら多数派であることで暴力を振るう。多数が認めることが普通で、常識で、当たり前であると。