悪質じゃない痴漢なんてあるかというとそんなものはありっこないんですが、尻や胸を揉まれるよりも酷い痴漢にあって、その際に運良く逃げられて更に運良く素晴らしいタクシードライバーに巡り合ったので、そのことについて書こうと思う。
電車の中での痴漢で、ドアが閉まる寸前に逃げたものの、痴漢してきた人も追ってきて、駅前に止まっていたタクシーに滑り込んだのですが、私の様子がおかしいことに気づいたのか目的地を言う前に発進してくれて、その時点でああ私は当たりを引いたな、と思いました。私は喋りながら自分の感情を整理する癖があるので、そのタクシーの運転手さんに自分に起こったことを話したのですが、開口一番運転手さんは「逃げられて本当に良かったね、怖かっただろうに頑張ったね」と同情を示すだけではなく褒めてくれて、これが本当にありがたかった。そう、本当に頑張ったんです、逃げたら性暴力だけでなくって暴力をふるわれる可能性もあったわけです。逃げるにしてもたまたま改札口に一番近い車両にいたからなんとか逃げられたけれども、そうでなければ追いつかれたかもしれない。土地勘のある駅だったので逃げられる可能性に賭けて、たまたま勝っただけに過ぎなかった。だけども、私は運が良かったというのが一番だけども、それをものにすべく努力をし、賭けに勝つことができた。その努力を認められたのが本当に嬉しかった。痴漢をされた直後は自尊心が非常に傷つきます。自分をぞんざいに扱われるのはとても気分が悪いです。そういったさなかに自尊心を再び持てるような言葉をかけてくれる存在は本当にありがたかった。タクシーは家に向かって進みます。タクシーの運転手さんは時折「いま〇〇駅のそばだよ」とか、「いま〇〇通りを走っているよ。ここは見覚えあるんじゃないかな?」と声をかけてくれたのですが、これも本当に嬉しかった。怖い思いをした際は、そんな目にあったところから早く安心できる場所へ移動したい気持ちが強くありますが、運転手さんのそういったガイドはわかんないが今帰路についていることを自覚させるのに十分でした。それからも運転手さんは、ぼろぼろに泣きながら支離滅裂なことを繰り返す私の話を、相槌を打ちながら聞いてくれました。
今はもう痴漢にあってから半年以上経っていて、その間にも性暴力に巻き込まれてタクシーに乗って逃げることはありましたが、この運転手さんほど良い人はいなかったとつくづく思います。決して責めない、励ます、安心させてくれる、踏み込んだことを訊いたり言ってきたりしないことが心地よかった。だから、もし、あなたが誰かからそういった話をされたときには、このことを思い出して欲しいなと思います。もちろん、だれもが私と同じようなことを求めるとは限らないけども。