昨日の昼、路上を歩いていたら、それぞれ自転車に乗ったお母さんらしき女性と息子の二人連れが向こうからやって来た。
お母さんは、「自転車に乗るとき下を向かないでって前から言ってるのに、なんで直せないの」と息子をずっと叱っていた。少しくどく怒りすぎな気もしたけど、その後ろにいる少年が小声でぶちぶち言っている様子を見るに、おそらく、女性が注意するたびに「向いてない」みたいなことを言い返されて、それでイラついて、「向いてない向いてない、ってホラ、いまも向いてるでしょう」という感じなんだろう。
息子は息子で、たぶん「なんで自分は直せないんだろう」と「なんでバレちゃうんだろう」がないまぜになっていて、母親の語調の強さが勘にさわって何か言い返したいんだけど、言われていることは真っ当なのでどうしようもなく、ぶちぶち言うしかないのだと思う。
子どもは大人よりもずっと視野が狭くて、自分のことを客観視することもできないので、「僕がいまどうなっているか」、僕自身のことなのに他人と言い争って勝つことができないというのが不思議でしかたがない。それでいてプライドも出てき始める年齢なので、どうしたって勝てない口喧嘩を挑んで負けて、苛立ちをためることになる。
これは、子どもが自分自身のことを考えている以上に、親は子どものことを長く見ているだけ、という単純な事実に気づくまで続く。喧嘩でキーッととなっていたお母さんの様子から、少年がなるべく早くそのことに気づいたらいいなあ、と思いつつ、ただ、同じような子どもだった俺としては、親の方も少しは、「『お題:僕』で議論してるのになぜ僕が勝てないんだ?」という子どもの混乱というか、やるせなさを理解してあげて欲しいな、と思わないでもない。
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今朝、コンビニでコーヒーを注文して、「タッチパネルで支払い方式選ぶの普通になってきたなあ」と思いながらクレカで決済してからコーヒーサーバーを操作していたら、レジの方で店員さんが「長さ、どのくらいで切ります?」というのが聞こえた。
葉巻? 葉巻売ってねえだろ。食パン? と思いながら様子を盗み見したら、カーネーションだった。そうか、母の日か。
買い求めているのはお父さんに連れられた8歳ぐらいの男の子で、たぶん自分のお財布から小銭を出してレジの機械に投入している。昔はなかっただろう機械方式。でも、まだ生きている現金決済。
コーヒーを手にして親子連れの後ろにつくかたちで店を出ると、お父さんが息子に、「贈り物をするときは値札を外すんだよ」と教えてあげていた。なんらかの行事に参加すると、それに付属するかたちで他の知識も身につくもんだよな、と思う。
数年前までよちよち歩きだった子どもからカーネーションもらったら、やっぱうれしいだろうなー、と思いながら家に帰った。ちなみに俺はあげない。カーネーション。