https://twitter.com/maromiso1/status/1517404401706717185
よく差別を訴えた時に、被差別側にそれ受け入れている人がいるんだから問題ないと差別側が反論するケースがあります。例えば、これは女性差別にあたる表現だと指摘すると、女性にも嫌がっていない人がいるから問題ないと反論したりします。しかし、この反論には極めて大きな誤解が含まれています。
まず当たり前ですが、そもそも差別的な表現や言動とは全ての被差別者が同じように差別されたと感じるものでも不快に感じるものでもありません。例えばある女性を差別する表現を不快に感じる人も感じない人もいるのは当たり前です。そして、何より誤解してはいけないのは、被差別者は社会的なマイノリティであるため、差別に対して反対することは簡単ではないという事実があるということです。差別のある現在の社会では、社会は基本的に社会的なマジョリティである差別側が動かしているため、被差別側は、差別を感じず受け入れる方が生きやすいという場合が多くあります。
差別と感じなかったり、不快に感じない女性がいることは当たり前ですし、だからこの表現は差別に当たらないという反論は、差別というものを全く理解できていない現実と剥離したものです。それは差別だ、不快に感じると言うことがどれほど難しいことか、それを言う人がいることがどれほど重たいことか、それが分かっていたら、不快じゃないと言う人もいるという反論がどれだけ現実から離れているか分かると思いますし、取るべきは、差別や不快さを訴えるその勇気ある意見と向き合うことです。
・そうですね。「私はオタクだがオタクは陰に隠れるべきだ」というオタク差別世代の人がいるからといってそれが正しいわけではないですしね
・ これオタク側が差別を訴えるケースもあるんだけど被差別側になることはないのなんで?
bigapple11 私はガチオタクだけど差別されてると感じること2022年の今ではほぼ無いので、ブコメの他オタクが感じてる具体例を純粋に知りたい。ちなみに公共の場にエロ持ってって怒られるのはオタクが悪い。差別ではない。
maromisoニキは、こっちの言い分は100%信じるだろ。