タバコの話。
タバコはニコチンの作用によって"吸わなければ不快"な状態になってしまう。
耐性は個人によるが、おおむね不快さには勝てないので、値段を上げても金を払う。茹で蛙になっている。
そんな理由か、日本国民は都合のいいように認知を変えながら中毒者を利用している。
タバコを吸うことの原因を、"意志が弱いからだ"とすり替えている。
やめたければやめればいい。やめないのは自己責任。金を払ってタバコを買えと。
ここが都合のいい箇所である。原因が意志が弱いからだとすると、それの根拠は何か。対象がタバコを「やめたい」と言いつつ吸っているからだ。
「やめたい」と言いつつ吸っている原因は、何か。意志が弱いから・・・だ?なにかおかしくないだろうか。
結局、"タバコを吸い続ける"という現象を"意志が弱い"とラベルを張っているだけで、原因の説明には何もなっていない。
真の原因は様々ある。それを吸うことでメリットが得られる人、デメリットから解放される人。いろいろだ。
タバコを吸って理想のイメージに近づける人。仲間と会話の機会が得られる人。口への刺激が快感な人だっているだろう。
しかし、根底に医学的な中毒症状がある場合、自ら選択してそれを行っているとは言い難い。
つまり、中毒で仕方なく吸っている人たちへ段々と値段を上げてタバコを吸わせているのである。
それは酷ではないか。