先週くらいに話題になっていたアッコちゃんは世界一って漫画のブコメに、九州の息苦しさ繋がりで紹介されてたのきっかけに読んだ。15話まで読んだとこ。
はじめは引き込まれるものはあるものの、何もない田舎町から自分は脱出できたしなと思った。けれど自分のことを振り返ったときに本当は違うのではないかと思ってきた。
漫画の舞台同様に、ずっと同じような日常が続いていく感覚、小さい頃からの関係が保存されたまま大人になっていく感覚はがあるのは何となくわかる。実際そんな環境に飲み込まれる未来もあったのかもしれない。
ただ自分は地元の友人がいないような学校に行ったところからそんな未来からズレていったんだろう。たまたま勉強ができ、深い人間関係を築くのが得意ではなかったのでしがらみなく選択肢の中で偏差値が上の学校を選んだ。そこからは大学進学とともに上京し、すんなりとはいかなかったが就職し、そこそこの暮らしをしている。
けれどふと思う。これまでの人生で日常の延長じゃない選択肢を選んできたのかと。日常の中で選べる一番上と見做される選択肢を選んできただけの自分と主人公たちに何の違いがあるんだろうか。
少年のアビスを読んでいると、周囲に助けを求め、打ち破るアクション取って絶望を克服できないものかという考えが脳裏をよぎる。しかしその努力の仕方を知らないのは自分も一緒ではないか?状況は大きく違うが自分が日常の延長を大きく破るようなアクションを取ってきたか?という疑問が浮かんでくる。
たまたま選択肢の範囲が広く与えられ、それをモノにしてきたこと自体は自分を褒めていいとは思う。そうでもしないと心が押し潰されそう。ただ今の自分も田舎町の日常の延長にいることに気づいて怖さを覚えた。