百合の定義広げたい論争、嫌い 勝手にやってろと思う そもそも百合(あるいは女同士の連携と言われるもの)が嫌いなので嫌いなものに対して知見を深めろとか言われても知らん~~?!!! になってしまう 好きなものを否定されるとむかつく気持ち自体はよく分かるんだけど、知れば分かると言いたい気持ちも分かるんだけど、自分はどうしても百合が無理
どうして憎しみに特別なものを見いださなきゃいけないのかわかんない 女同士の物語だ! とはしゃぐ人たちのことが怖い 女が関わるものすべてが物語として好き勝手消耗されるように感じるし、そしてそれに誰も責任を持たない 性別を女として生きてきて、同性の知り合いとさよならしたことがある。自分はそれがトラウマなんだけど、彼女らの主張で行くとそれすら百合ということになるのではないかと思って辛い、フィクションとそうでないものの境界がガバガバなんであれだけど、百合って言葉がふわっとしてるから、なんか軽く見られる気がする(実際たいしたことに見えなかったとして、自分が決めることだと思うので)
サビ 現実ふつうに生活してたら突然知らん人から百合じゃんって言われる恐怖というか、自分が他人のジャッジで勝手にコンテンツ化される恐怖というか、そもそも別の言葉を作って運用してくれないかという思い もともと女同士の恋愛って意味で百合って有るんじゃないの 薔薇(BL)の対比ではないの それをいつのまにか範囲を広げて、すでにあたりまえであるように振る舞われたり説教されたりするのがふつうに苦痛 やめてほしい
チラ裏でした
わかる~ けどblのとき男に対して向けてた視線がそういうものだったってのもやっとわかった
レズと区別したがる百合厨とか ブロマンスアピール腐女子とか 自分の趣味をあくまで綺麗なものとしてアピールしたがる層がかなりいるよな