下記引用の「リタリン乱用によって、ADHD関係者に迷惑をかけた」 を「リタリン規制のせいでADHD当事者は不利益を受けた」とする解釈が正しいことを前提とします。
借金玉先生はいまに至るまで「自身のリタリン乱用によって、ADHD関係者に迷惑をかけた事はない」と主張していると受け取らざるを得ません。彼は発達障害を題材に執筆・講演活動をされてる以上、リタリン乱用問題が社会に与えた影響について慎重に発言すべきと思います
https://twitter.com/hataraku_arai/status/1437615332689002500
薬物依存を患っている人をあくまで治療対象者とするなら薬物を処方した責任の全ては医療体制側(特に医師による処方と薬剤師による処方監査)に求めるべき、と思うんですが
医療の哲学?倫理?としては薬物依存の責任所在についてどう捉えているんでしょうか?
個人的には、下記引用に示す通り、リタリンを処方されてたら死んでたかもしれないという当事者の話もあるため、
(リタリン乱用問題を発端として?)リタリン規制がADHD当事者に不利益をもたらしたとは考えがたい(少なくともリタリン規制による乱用問題抑止という利益を上回ることはない)のかなと現時点では思っています。
「私はコンサータという薬を飲んでいます。ADHDの治療にはリタリンという薬が処方されていましたが、乱用や不適切な処方を問題として、数年の間(2007年~2013年)、処方が止められました。
真面目に治療していた人が、それを苦にして、亡くなったケースもあります。
コンサータがない時期に診断されていたら、私もリタリンを飲んで、2021年まで生きていないと思うので、結果オーライです。
ずっと苦手や困難があって当たり前の人生です。もっと早く診断されていたらとか、タラレバは考えないようにしています」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee28e4decc06aca38f9c99e5a8e97ef50315b53d?page=2