外に出れば、店員も荷物を運ぶ人も工事をする人もオフィスにいる人も、全員が何かしら仕事をしている。主婦だってただグータラやってるわけではなく毎日家族に貢献しなければならないだろう。誰もがやっていることが私にはできないんだなあと無力感を覚える。大学生のときも就活中に工業地帯を散歩して働く人達を見て同じように憂鬱になったものだ。新卒でたまたま運良く就職できて、人の厚意に支えられて今まで何とか生きてこられたが、私の無能さが年々加速してついに周りの人に見限られた。本当に働くことに向いていない。この世界のほとんどの仕事に対して私はトップクラスの無能である。だからほとんどの人が簡単だという仕事すら私には困難なことで、できる人が眩しく思える。
貧乏生活をすれば無収入で10年程度生きられそうな貯金はあるが、寿命があと最大10年しかないともいえる。そして貯金額と精神の安定は直結するので、1年目より2年目の方が追い詰められた生活になる。10年間同じペースでは消費できない。健康を損なえば消費のペースが上がる。それを考慮すると寿命は実質10年もない。
セミリタイアとは稼ぐことを前倒しにした人間がやることであって、宿題をダラダラやっていた者がやるのはセミリタイアではなく困窮である。セミリタイア者は使う金額を気にせずに楽園で暮らすような人生を満喫できるが、困窮者は寿命を1日でも延ばすために余計な消費をしてはならない。就活や仕事など、やるべきことが常にあるはずだからそれ以外のことをやって楽しむことは許されない。そのやるべきことが絶対に達成できないので、楽しいこともなくだんだん苦しくなって惨めに死ぬ人生しか残っていない。
鬱お疲れ。 疲れてるみたいだから精神科いってSSRIもらってこい。話はそれから。