二十代のころ、趣味で書いていた小説を新人賞に応募してみたことがある。
賞はとれなかったものの編集部に目をとめてくれた人がいて、なんと電話をもらった。自分が「準担当」みたいな感じで面倒見るよ、プロとして本気で書くなら応援するよ、という話だった。その人がどういう立場の人だったかはわからない。でも声からすると仕事のできそうな壮年のハキハキした男性で、結構偉い人だったのかもしれない。まあ、実力や素質があったというよりは幸運が重なったんだろう。
今思うとその瞬間が希少度ウルトラレアのチャンスタイムだったんだと思う。
けど当時の自分はプロになれる自身もなかったし、正直言うと「賞を取らずにひっそりデビューしてひっそり消えていくのはダサいな」という思いもあった。それで「いや~自分はできれば新人賞とりたいんで次回また頑張ります」みたいな回答をしてしまった。相手は「そうか、うーん」としばらく唸ったあとで、吹っ切れたように「うん、それなら仕方ないな! お互い頑張ろう!」と気風よく言って電話は切れた。
あっ、と思った。やってしまった、と。
自分が盛大にミスったのが、巨大な魚を逃してしまったのが、電話が切れた瞬間に分かった。思えば電話をくれた相手の名前も聞いていなかった。
それでも必死にその人を探し、やっぱり面倒見てくださいと頼むことは不可能ではなかったと思う。でもそうはしなかった。プロの編集者の目に留まったのだからいつか賞をとったり、また声をかけてもらえたりするだろう、という驕りがあったのだ。そのためその後数年にわたり、仕事の合間に小説を書いては新人賞に応募し続けたが、結果としてはそれ以後一度として箸にも棒にもかかることはなかった。もう小説は10年近く書いていない。
そんな体たらくなのだからそもそも才能がなかったのであって、生活を犠牲にしてプロを目指したりしなくてよかった……と、思わなくもない。仮にデビューはできても、大成できず貧乏なまま人生を終えることになっていたかもしれない。しかし今ふと我が身を顧みてみると、今の自分は作家にもクリエイターにもなれず、その上で安月給のサラリーマンとして貧乏なまま人生を終えようとしている。
だったら。
だったらあの時編集者に縋り付いて、意地でも小説家になればよかったんじゃないか。その肩書だけでもあれば、あの世に持っていく手土産になったんじゃないか。定期的にその後悔にとらわれて身動きが取れなくなる。
新人賞も取れない売れない小説家になったってろくな人生じゃないよ
中途半端になって小説家になんかならなければよかったってなってる可能性もあるなーって思わせる そういうショートショートなんだろこの増田も 文才あると思うよ
たったひとりの、オンリーワンな人生を、ろくでもないって言う、人間にならなくてよかった。
今日が残された人生で1番若いんだからもう一回恥を捨てて書けばいいじゃん。賞を取っても取れなくても前より書かなくても書いて応募してみてよ。
太宰治に千代女っていう小説があったなあ