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1970から1980年代前半は、アメリカの視点から見れば米企業が多額の損失を被り失業が増大した時期であった。1985年のプラザ合意で円高が進行すると、日本企業は利益を円に替えることで利益を薄めるのではなく、利益をドルのまま米国内で再投資することを選択、不動産買収などに走り、幹部(候補)社員には、アメリカ合衆国で必要な米国流経営手法の学習(MBA 取得など)を推奨した。
この結果、海外ではルックイーストとまで呼ばれた日本流経営手法は日本では顧られなくなり始めた。まず、企業の青田買いが進んで官の人材不足が囁かれるようになると、官民の協力関係においては民(私企業)が優位にたつ傾向が生じるのに時間はかからなかった。次に、利益を確保するために終身雇用制度を放棄する企業が続出したが、官はこの流れを阻止できなかった。
1990年代にバブル景気が崩壊し、事業の再編成が必要になると、終身雇用制度を放棄して、必要なスキルを持つ人材を必要な期間だけ雇用(派遣労働)する『米国流人事管理手法(人員の最適配置、リストラクチャリング)』を導入する日本企業が続出、「リストラ」は整理解雇を暗示する言葉としてとらえられ始めた。
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