ニートの生活費はぼくの祖母(そしていとこの祖母でもあるが)の少ない年金によって賄われているらしい。らしいというのは、ぼく自身がその証拠を見たことがないからである。
ニートは、ぼくをはじめ他の家族が出勤する朝、ぐうぐうと眠っている。昼ごろ起きてきて、冷蔵庫のものを勝手に漁りご飯を食べる。そのあとは部屋の隅でゲーム。1日に何度か(何度も?)タバコを吸い、祖母が作った夕飯やぼくの母が買ってきた夕飯を選り好みし(たとえば、ぼくたちの夕飯は寿司だが、ニートは魚が嫌いだから別メニューにしよう、とぼくの母親が甘やかすようなことをするのも原因ではあるのだが)、夜は消灯してもスマホの画面の明かりが煌々とついている。
その間、ぼくたちは仕事、家にいる祖母は家事の全てを行うわけだが、ニートはそのいずれも行わなず、正しくニートなのだ。これが、ぼくがニートをニートと呼ぶ所以である。
ニートがぼくの家に寄生しているということは、ニートの父母(ぼくのおじ、おば)はいないのでは?と思う人もいるかもしれないが、それは違うのだ。2人とも健在である。
表向きの理由としては、元々体の強くないおじが大病を患い、収入が減ったからということだが、本当の理由というか、理由のもう一つとしては、おばが「巣立った子どもはもう自分には関係ない」と思っている節があるから?らしい。ぼくにはこのあたりの情報は回ってこないのだが、おじおばとニートが世帯を同じくすると、税金が一人分多くかかるわけで……というようなことのようだ。
ニートは、ぼくが小学生の頃から、つまり10年以上ニートである。ずっとニートだったわけではなく、年末年始どこかの寺で働いたり、親戚が誰もいない県で1人働いたりした時期もあった。が、どう考えてもニートでいる期間の方が長いのだ。
ぼくの家は一度引越しを経験しているのだが、当たり前のようにニートもついてきた。その頃小学生のぼくは何とも思わなかった(ニートが家にいるのが当たり前だと思っていたから)が、今になって思い返してみるとどういうことなのか理解に苦しむ。
残念ながらタイムアップなので、ニートについてというか、世界がきちがいなのかぼくがきちがいなのかについては、また続きを書きたいと思う。