大規模公共工事なんて、それが特に前近代であれば有るほど、利益は自分が受け取れないものだよね。
治水なんて結果が出るのは十年二十年後が当たり前だ。植林なんてのもそうで、利益(というか意味)が出るのは孫の世代っていわれる。じゃあやらないでいいのかって言えばそんなことねぇわけで。
時間軸方向じゃなくて距離方向でいえば、北海道や北方のインフラに、それ以外の地方の人が自分のリソース(例えば税金)を割くのは無駄かもしれんしそれでえられる利益は微々たるものかもしれんけれど、しかし共同体のためにはそれをやるのが有益だと判断されるから投資が行われる。
属性方向で言えば、弱者への保護や福祉なんて利益を受けられる人は少ないかもしれんけれど、それでも全体が薄く身銭を切ってやるもんだ。それを否定しちゃうと、自分もセーフティネットから落ちる。
そんなの、改めて考えたり腹を立てたりするようなことじゃないと思うんだけどな。俺ら人類の歴史と、その歴史の中における個人の寿命を考えたら、相対的にスケールの差でそうならざるをえないでしょ。何らかの結果や結論は、俺らは見ることが出来ないって、そんなの当たり前過ぎてことさら喚くようなことじゃない。
俺が生きてるうちにはたぶん火星に有人基地できないし、地球連邦も出来ないし、常温核融合発電も出来ないし、量子通信ネットもできないし、それどころか海底超特急マリンエクスプレスすらできないだろうけど、別にそれでもええやろ。昨日よりマシなら、明日はもっとマシだろうし。
そういえば今のお年寄りって将来世代のこと考えてるのかな いや、どうでもいいけど、弱者がほかの弱者のことを考えてるとは限らないのかなって
なるほど 弱者に政治の決定権を与えるべきでないな