……と、今なら言えるのだ。あれが感情のレイプだったこと、人はそんな出来事を受け入れてしまった時、誰を憎んだりすることも出来ず静かに絶望すること、感情の爪痕は永遠に残って人生を縛ること。
何のことはない
小学4~5年の頃にされた、どこにでもありそうな「いじめ」の一コマである
「担任」と「クラス」という閉鎖的環境に置かれ30人の子供達にとって、ごくごく「順当」な行動であった
こんなことは「起こり得た」でもなく「起こり得る」でもなく、「起こっている」現象だ
人の衣服を集団で剥ぎ、手足を拘束し、生殖器を蹴り(これが痛いんだ、本当に)
挙句の果ては異性の前にそのまま蹴り出す
こんなことは、今現在でも然程珍しくもないのだろう
救い難い事に、そうされた自分自身が成人になった今、形を変えて無自覚にも類似の行動を他者に行っているのだろうという事
どれだけ気を付けていても、人間というのはそこにいるだけで他者へ有形力を行使し続けている
「人の嫌がることをするな」は、気付いていようが気付いてなかろうが不可能だ
人は成り行きで他者を傷付ける
しかし、この広い世界はそんな事とは無関係に今日も一切の綻びなく営まれていく